おへそを見せてくれるグラーフ・シュペーです.
今年はこれで描き納め.
もしかすると古典文学の中に一定の役割を持って描かれる虫類は,人間の文明的活動と何らかの類推が成り立つ生態をもっているのかもしれない(蝉=詩人,蜜蜂=社会の形成,蜘蛛=織物).
前バス停でバス待ってる時に『オトッペ』のシーナちゃん大人版みたいな感じの人がいてめちょかっこよかったのを思い出した
上手い人の絵は急所のみ描き込んであって他は観察してみると驚くほど簡単に済ませてあることが少なくない.
作業の効率化と労力の削減という以上に,全体の情報量の適切な管理が行われている.
論文についても同じことが言えそう.
明晰な叙述が行われているものは,詳しい引証の類は全体の主張にとって枢要な部分に限り,それ以外は思い切って刈り込んであったりする.さりとてそれで調べを怠っているわけではないので,その枝葉の部分をつかまえて「ここの記述が詳しくない」と因縁をつけたところで,何が重要かを理解していない人間の所業となってしまう.
もちろん,「わかったことは全て書く」方針のものも資料として独自の揺るぎない価値を持つものであることは確かなのだけれどもね.