何もしてないのに2時になった
成果物として紙に印刷された形態が想定されている場合は,画面の黒み・白みを見て漢字を平仮名に開いたりそのまま残したりして表記の統一性を多少犠牲にすることはあるけれども,データとしての提供を念頭に置く場合は,検索性の観点から表記の統一は徹底していてほしいのでむつかしい.
ホラーティウス『カルミナ』1巻2番で,デウカリオーンとピュッラの時代の大洪水に言及するところで,「魚の種族がそれまでには鳩たちに馴染みの座であった楡の梢に宿り……piscium et summa genus haesit ulmo | nota quae sedes fuerat columbis, 9-10」とあるのはサッと読んでしまったが,Nisbet-Hubbardの註釈を見ているとどうもBentleyが,「鳩columba」は普通樹上にいなくて「森鳩palumbes」の方が適切と考えているらしい(この語はポルピュリオーの註釈にも出てくる).
ただ続きを読むとスエートーニウス『アウグストゥス伝』94.11には棕櫚の木に鳩が巣を作った話が出てくることに触れてあるので,ホラーティウスの方で本文に手入れまでする必要はなさそう.
Porphyrioの註釈に出てくると書いたが,palumborumという妙な形で出てきている.
https://books.google.co.jp/books?id=FWcIAQAAMAAJ&hl=ja&pg=PA5#v=onepage&q&f=false
この場合は採用できないにしても,出てきた動物の生態という観点から本文の妥当性を検討するという考え方は他のケースでは成功することもあるだろうし,そもそもそういう考え方があるということもこの指摘がなければ気付けなかったので大変に学びがある.
「正しいこと」と「意義のあること」が一致するとは限らなくて,「意味のない正しさ」と「意味のある間違い」というのもあり,優れた学者はどちらかというと後者をやるほうに傾くのではという気がしている.
ホラーティウスのスコリアは後pseudo-Acroによるものもある.
https://archive.org/details/pseudacronissch00kellgoog/page/n6
https://archive.org/details/pseudacronisscho02kelluoft/page/n3
どちらもEnciclopedia Orazianaにイタリア語つきで入っているらしい.
珈琲を飲みながらお菓子を食べる>珈琲が冷める>牛乳を入れて電子レンジ>砂糖とブランデーを追加,を行った.
すばらしい | 使用自由、作品1200点超をウェブ公開 愛知県美術館:社会:中日新聞(CHUNICHI Web)
http://www.chunichi.co.jp/s/article/2018121190155646.html
今度本屋行ったら忘れないように.
青土社 ||現代思想:現代思想2018年12月号 特集=図書館の未来
http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=3237