Szeged(セゲド)は1879年の大洪水でほとんどの建物が被害を受け、その復興都市計画により現在の街路や建物が作られたとのことで、復興時に破壊され一部だけが残るVármúzeum(セゲド城)で当地の歴史のお勉強と思いましたが、イベント?のせいでお休みのようですね。
Szeged(セゲド)は1879年の大洪水でほとんどの建物が被害を受け、その復興都市計画により現在の街路や建物が作られたとのことで、復興時に破壊され一部だけが残るVármúzeum(セゲド城)で当地の歴史のお勉強と思いましたが、イベント?のせいでお休みのようですね。
今日も冷たい雨がしとしと降っていますが、Szeged(セゲド)の近隣都市への旅ですね。2021年に開業したSzeged–Hódmezővásárhely tram-trainに乗車することにしますが、Hrvatska(クロアチア)のZagreb(ザグレブ)やOsijek(オシエク)と異なり、電停に自動券売機がありますし、車内にも自動券売機があっていいですね。
Szeged(セゲド)のトラムトレイン(Szeged–Hódmezővásárhely tram-train)、市街の路面区間では電車として走り、郊外のMÁV(ハンガリー国鉄)のローカル線区間ではディーゼルで走るとのことで、市街と郊外で走りや走行音が全く違っていて観光アクティビティとして面白いですが、愉しんでいる乗客は自分一人だけのようですね。
Szeged(セゲド)のトラムトレイン(Szeged–Hódmezővásárhely tram-train)、Szeged(セゲド)市街では既設の路面電車の線路を利用のようですが、Hódmezővásárhely(ホードメゼーヴァーシャールヘイ)市街では新設とのことで、せっかくですので新設区間を散策してみることにしますね。
Szeged(セゲド)のトラムトレイン(Szeged–Hódmezővásárhely tram-train)、郊外区間はトラムトレインの車両だけでなく、MÁV(ハンガリー国鉄)のローカル線車両も引き続き走っているようですね。
Hódmezővásárhely(ホードメゼーヴァーシャールヘイ)市街の新設区間はほぼ単線のようですね。
トラムトレインが乗り入れるHódmezővásárhely(ホードメゼーヴァーシャールヘイ)の旧市街は小さいですが、壮麗な建物が点在していますね。
Szeged(セゲド)もですが、Hódmezővásárhely(ホードメゼーヴァーシャールヘイ)も意外と中心市街地やその近くに社会主義リアリズムな建物が点在しているんですね。
オスマン帝国からハプスブルク帝国の支配に変わった18世紀初め、現在のMagyarország(ハンガリー)はハンガリー系よりセルビア系の人々の方が多かったという統計があり、第一次世界大戦後のユーゴスラビア成立まで少数派として暮らしていたという歴史的背景があるようで、Hódmezővásárhely(ホードメゼーヴァーシャールヘイ)の旧市街にはセルビア正教会が残っていますね。
後ろの方から自動車の隊列が警笛を鳴らし続けながら近づいてきて、地元民の壮絶な煽りが繰り広げられているものと思いましたが、先頭車が装飾されていて、何かしらの冠婚葬祭系の隊列のようですね。
ほな、Hódmezővásárhely(ホードメゼーヴァーシャールヘイ)の終点から、トラムトレイン(Szeged–Hódmezővásárhely tram-train)でSzeged(セゲド)に帰りましょう。うどんの島ではJR四国さまやことでんさまを1日でも生き長らえさせるために片道700円くらい取られる距離でHUF550(約210円)しか取られなく、ことでんさまのように今にも脱線しそうな壮絶な縦揺れでコトコト走行せず揺れなくキビキビ走行しますので、地元の人々の乗車が多いですね。
ややっ、Szeged vasútállomás(セゲド駅)に明日の鉄道チケットを買いに来ましたが、当駅周辺の運休により各方面行き列車に乗るのにトラムトレイン(Szeged–Hódmezővásárhely tram-train)&代行バスでSzeged(セゲド)郊外の駅に向かわねばならぬようですね…
MÁV(ハンガリー国鉄)の自動券売機では明日の行き先が検索出来ずチケット購入できませんが、幸い有人窓口では購入できましたね。
京都市内で走っている古めかしいのではなく、ヨーロッパ都市向け3扉100%ノンステップな最新鋭のBYDさまEVバスの走りを愉しみ、生きてアパートホテルに帰着。そういえば、BYDさまは当地郊外にヨーロッパ市場向けEV乗用車の工場を建設するようですね。https://byd.co.jp/news/2024_0208_174.html
今日も今日とて、Szeged(セゲド)市街は雨がしとしと降り続いていて10℃前後の気温で凍えますが、はるか東方の島々の灼熱地獄に喘ぐ人々を思いますと、泣き言を言ってはいけませんね。
そういえば、前回のMagyarország(ハンガリー)では、Budapest(ブダペスト)の有名なエキナカのマクドに行こうとして臨時休業であることに気づいて結局行っていませんので、Szeged(セゲド)にいる間に行っておこうと思いましたが、中心市街地のマクドは日曜は朝9時からのようですね。
ちょろっと市内を往復しただけで最低賃金以上の運賃を取られてしまう(公共交通だけ?)物価の高いうどんの島に生きていますと、交通モード関係無く市内24時間乗り放題チケットがHUF1450(約570円)のSzeged(セゲド)では公共交通ゾンビとなってしまいいけませんね。
Szeged(セゲド)郊外の妖しげなタワー下に立地するマクドは日曜でも朝早くからやっていて、朝マクドを愉しむことが出来ますね。
昨日昼頃から宿泊アパートホテルのWi-fiがインターネット接続が出来なくて困っていますが、寝て待っても果報はやって来ませんでしたので、こちらのマクドのWi-Fiで楽天モバイルローミング圏外の世界に旅立った時用のAiraloのesimを購入などなど用事を済ませておきますね。
Szeged(セゲド)では、トラムトレイン、ノンステップor昔ながらの路面電車、BYDさまのEVバス以外にも、3扉ノンステップ最新鋭トロリーバスの観光アクティビティが用意されているようで、当然ながら乗っておきますね。
当地Szeged(セゲド)では、運賃収受や案内放送などのもろもろの雑務から解放され、好きな音楽をスピーカーから流して聴き放題でありませんと、路線バスの運転手はなかなか集まらないんですかねえ。
Szeged(セゲド)中心市街地の建物は1879年の大洪水後に一斉に建てられたものが多いようで、19世紀末から第一次世界大戦までの期間に建てられたMagyarország(ハンガリー)のアール・ヌーヴォーであるSzecessziósの建築は外周部に多く点在しているようですね。
Szeged(セゲド)のSzecessziós(アール・ヌーヴォー)の傑作であるÚj Zsinagóga(新シナゴーグ)に来ましたが、パイプオルガンの演奏が行われていて、当地のユダヤ教徒や他所から観光に来たと思しきユダヤ教徒が集っているようですね。
Hrvatska(クロアチア)に存在したファシスト国家、Nezavisna Država Hrvatska(クロアチア独立国)と異なり、1944年にナチス・ドイツにより占領されるまで存在していたMagyarország(ハンガリー)のファシスト政権はユダヤ教徒を強制労働させたり戦地で軍属にはしても虐殺行為には及ばなかったようですね。
早くもMagyarország(ハンガリー)最終日ということで、Szeged(セゲド)中心市街地のレストラン(Régi Híd Vendéglő)に来ましたが、地元の老若男女が多く会食に集うお店のようですね。
Öreghidi harcsapaprikás(ナマズのパプリカ風味シチュー)や、Magyarország(ハンガリー)の有名なデザートであるSomlói galuska(ショムローイ・ガルシュカ)を美味しく頂きましたね。
名残惜しいですが、日本語を話していた女性グループを含めて意外と東アジア系観光客を見かけたSzeged(セゲド)ともお別れですね。Wi-Fi接続障害が無ければ大変快適な滞在だったSzeged(セゲド)中心市街地の豪勢なアパートホテル(Széchenyi Center Szeged)から大きなバックパックを回収しますね。
Hrvatska(クロアチア)もMagyarország(ハンガリー)も郊外型商業施設の立地規制が緩そうで、各都市ともショッピングモールが多く立地しているようですが、トイレ資源という点で日本のよりその存在をありがたく感じますね。
Szeged-Rókus vasútállomás(セゲド・ロークシュ駅)からSzeged(セゲド)郊外の駅に向かう代行バスに乗車しますが、意外と乗っていますね。
Szeged(セゲド)郊外の真新しい駅で気動車に乗り換えますが、制服を着た人々が寄ってたかってパスポートを要求し、次々スタンプを押されますね。
今朝仕込んだAiralo esim回線のおかげで、楽天モバイルローミング圏外に放り出されてインターネット回線難民にならず、生きてЖелезничка станица Суботица/Železnička stanica Subotica(スボティツァ駅)に到着のようですが、偉大なる中華民族の国家からの援助により高速鉄道建設中とのことで鉄道インフラが新しいですね。
Србија/Srbija(セルビア)国境至近にもかかわらず、Szeged(セゲド)の両替所ではどこもRSD(セルビアディナール)のレートが異様に悪かったですので両替せずに来ましたが、トルコの銀行ATMより神の御心に従った?手数料の提案を受けましたのでそのままキャッシングで引き出しますね。
キリル文字の洪水に流されず、生きてСуботица/Subotica(スボティツァ)中心市街地に程近いゲストハウスに到着ですね。Србија/Srbija(セルビア)ではキリル文字オンリーワールドが広がっているとの先入観におののきながら来ましたが、お店についてはラテン文字表記の方が主流のように見えますね。
昨日は美術館系が尽くお休みなのと冷たい雨が降り続いていましたので、Суботица/Subotica(スボティツァ)の宿泊ゲストハウスで実質休養日を過ごしましたが、今日は快晴になりましたね。
昨日はСрбија/Srbija(セルビア)のキャリアであるmtsのお店に赴き、プリペイドSIM(Super Turist SIM)を購入しましたが(購入後オンライン登録でパスポート撮影と顔写真撮影が必要)、200GBでRSD1800(約2400円)とは相場がおかしいですね。https://mts.rs/Privatni/Mobilna/Pripejd/Tarife
昨日は休養日といってもお腹が減りますので、Google Mapsの日本人旅行者の情報におすがりし、緑豊かなСуботица/Subotica(スボティツァ)旧市街にひっそりとあるこちらのレストラン(Нада/Nada)でお昼の定食?のスープとシチューを美味しくいただきましたが、その量の多さにより撃沈しましたね。
Szeged(セゲド)のレストランで当地Суботица/Subotica(スボティツァ)の地名が入ったSzabadkai Palacsintaというデザートがあって気になっていましたが、旧市街にいくつかPalačinke(パラチンタ)スタンドがあるようで、これまた日本人観光客の情報におすがりし、こちらのスタンド(SUR Palačinkarnica Harmonija)で軽い夕食として頂きましたが、モチモチ弾力があってうどん県民に合ったデザートですね。
需要ゼロのような気がしますが、Железничка станица Суботица/Železnička stanica Subotica(スボティツァ駅)のЖелезнице Србије/Železnice Srbije(セルビア鉄道)時刻表情報ですね。
これまた需要ゼロのような気がしますが、Железничка станица Суботица/Železnička stanica Subotica(スボティツァ駅)から南に少し歩いたところにあるバスターミナル(Autobuska stanica JP "Subotica-Trans")のСрбија/Srbija(セルビア)国内都市行きバスの時刻表情報ですね。
至近距離にあるMagyarország(ハンガリー)のSzeged(セゲド)と当地Србија/Srbija(セルビア)のСуботица/Subotica(スボティツァ)は、ハンガリー帝国内で2番目・3番目に人口が多い都市として第一次世界大戦までは同様の歴史をたどってきたということで、当地もハンガリーのアール・ヌーヴォーであるSzecessziósの建築が多く残っているようですね。
1902年に建てられたСуботичка синагога/Subotička Sinagoga(スボティツァ・シナゴーグ)は、同時期にSzeged(セゲド)に建てられたÚj Zsinagóga(新シナゴーグ)と比べますとこぢんまりとしていますが、こちらはこちらで装飾に魅せられますね。
ややっ、Суботица/Subotica(スボティツァ)のSzecessziós(アール・ヌーヴォー)の傑作であるГрадска кућа у Суботици/Gradska kuća u Subotici(スボティツァ市庁舎)の一角にマクドが入っているとのことで来ましたが、日本のガラパゴスマクド以外で久しぶりにセルフオーダー機を見かけず恐れおののきますね。
Суботица/Subotica(スボティツァ)での観光アクティビティ(マクドナルド店員さんへの注文)をこなし、Szecessziós(アール・ヌーヴォー)な店内でのんびりできますね。
Југоносталгија/Jugonostalgija(ユーゴノスタルギヤ)な人々が歓喜しそうな自動車を見かけますね。
当地Суботица/Subotica(スボティツァ)のPalačinke(パラチンタ)にハマってしまったか、昨日とは別のスタンド(palačinkarnica Smajli)でまた頂いてしまいますね。
Градска кућа у Суботици/Gradska kuća u Subotici(スボティツァ市庁舎)の塔からСуботица/Subotica(スボティツァ)を見下ろしますと、旧市街から郊外に至るまで緑豊かな街であることが分かりますね。
Суботица/Subotica(スボティツァ)のSzecessziós(アール・ヌーヴォー)の建物は旧市街だけではないとのことで、路線バスで郊外に向かうことにしますが、Google Mapsで検索できるからいいもののバス停での案内表示はゼロのようですね。
Суботица/Subotica(スボティツァ)東部郊外にある19世紀後半にリゾート地、保養地として成立したПалић/Palić(パリチ)に到着しましたが、さっそくゲートを兼ねた給水塔が出迎えてくれますね。
偕楽園の日本家屋がハンガリーのSzecessziós(アール・ヌーヴォー)の建築に置き換わったようなものなんですかねえ。
Палићко језеро/Palićko jezero(パリチ湖)は千波湖のように緑々としていますが、こちらの人々は透明度の高い湖よりこういう湖で保養したいんですかねえ。
Палић/Palić(パリチ)はハンガリー系の住民が半数を占めていてSzeged(セゲド)と食文化を同じくしているようで、Палићко језеро/Palićko jezero(パリチ湖)を眺められるレストラン(Riblja čarda)でRiblji paprikaš(ナマズのシチュー)を頂きますが、シェア前提かと思われる特大サイズで撃沈ですね。
ほな、Палић/Palić(パリチ)からСуботица/Subotica(スボティツァ)に帰りましょう。至近距離のSzeged(セゲド)ではマルチモード(電気・ディーゼル)の最新鋭路面電車や100%ノンステップの最新鋭トロリーバス、100%ノンステップの最新鋭BYDさまEVバスなどの共演が見られるのに、国境を挟んだこちらでは凄まじいエンジン音を放つ年代物の高床式バスの共演が見られますね…
年代物のバスから吐き出される排気ガスにより行き倒れせず、生きて宿泊ゲストハウスに帰着。こちらの人々、街なかでの振る舞いはシェンゲン圏のカーテン内の人々と一見変わらないように見えて、スーパーのガラガラのセルフレジの隣で現金払いのための大行列を作っていたり、電動キックボードでなく中国でよく見かける電動バイクで歩道を走っていたり、ミレニアム世代なのにプカプカ煙草を吸う学生が目立ったりと、違和感のある振る舞いを目にしますね。
Суботица/Subotica(スボティツァ)の宿泊ゲストハウス(Guest House Mali Hotel)をチェックアウトですね。国境を挟んだSzeged(セゲド)と比べますと宿泊料金の相場が大きく下がるようで、比較的安価に宿泊出来たのにもかかわらず清掃具合が素晴らしく、大変快適な滞在でしたね。
宿泊ゲストハウスから旧市街の間にあるこちらのバーベキューやさん?(Original Roštilj)が気になっていましたので朝食に頂くことにしますが、おそらく現場労働者の昼食用か大量注文している人がいて待たされますね。
せっかくですので、ちょっと路線バスでСуботица/Subotica(スボティツァ)郊外に向かうことにしますが、またけたたましくエンジンオンを鳴らし外装が薄汚れていて車内の床がザラザラしている高床式バスにあたってしまいましたね。
Google Mapsを見ていて、Суботица/Subotica(スボティツァ)郊外にMini Jugoslavija - Yugolandというのを見かけて気になっていましたが、どうやら当地の住民が開設した民間キャンプ場兼イベント会場といったところですね。
Суботица/Subotica(スボティツァ)は、これまで訪問した中欧〜東欧の都市と比べてもメンテナンスが行き届かない建物が一段と多いようで落書きの楽園となっていますが、1989という数字に横棒をふった謎の落書きが気になりますね。
Суботица/Subotica(スボティツァ)は、セルビア系、ハンガリー系、現在のクロアチア南部〜ボスニア・ヘルツェゴビナ南部から移住してきたクロアチア系のБуњевци/Bunjevci(ブニェヴァツ人)など、現在でも民族混淆の地となっているようで、バス停などで多言語表記が見られますし、セルビア正教よりむしろカトリック教会の方が多いようですね。
Суботица/Subotica(スボティツァ)旧市街のPalačinke(パラチンタ)スタンドも恋しいですが、食べ納めということでこちらの菓子店(Daraboš Nova)で生クリーム入りの豪勢なバージョンを頂きますね。
Суботица/Subotica(スボティツァ)の旧市街はえらいレトロなキオスクが多いですね。
名残惜しいですが、旧市街含めて緑豊かなСуботица/Subotica(スボティツァ)ともお別れですね。民族混淆の地である当地は1990年代でも紛争は起こらなかったようですが、おそらく徴兵の兵士を中心に犠牲があったようですね。
偉大なる中華民族の国家からの支援を受けて、Железничка станица Суботица/Železnička stanica Subotica(スボティツァ駅)の工事がせっせと…休み休み進められているようですね。
Железнице Србије/Železnice Srbije(セルビア鉄道)は同ホームに二編成同時に高速入線し、衝突スレスレで停止するパフォーマンスを魅せてくれますね…
Суботица/Subotica(スボティツァ)を含むАутономна Покрајина Војводина/Autonomna Pokrajina Vojvodina(ヴォイヴォディナ自治州)はほぼほぼハンガリー平原ですが、Железнице Србије/Železnice Srbije(セルビア鉄道)は、先程の二編成同時高速入線パフォーマンスとうってかわって、ほぼほぼ直線の線路を50km/hでチンタラ進んでくれますね…
Железнице Србије/Železnice Srbije(セルビア鉄道)は踏切がない(もしくはあっても壊れている?)ところが多いようで、踏切の手前で一旦停止し汽笛を上げてから進入するようで、チンタラ走行に拍車がかかりますね…
Суботица/Subotica(スボティツァ)から1日2往復あるこちらのЖелезнице Србије/Železnice Srbije(セルビア鉄道)の路線、高速鉄道工事中の線路でなくMagyarország(ハンガリー)国境〜Hrvatska(クロアチア)国境近くの線路を迂回するようですが、かつてはHrvatska(クロアチア)国境を越えてOsijek(オシエク)に行く列車があったようですが今は無いようですね。
広大なるハンガリー平原のチンタラ走行や踏切での一旦停止に苦しみ、ことでんさまの生き写しのような今にも脱線するかのような壮絶な揺れにも苦しみ、かと思えば偉大なる中華民族の国家からの支援による高速鉄道建設に伴う改良区間に入るとピタっと揺れが無くなり、何とか生きてЖелезничка станица Нови Сад/Železnička stanica Novi Sad(ノヴィ・サド駅)に到着のようですね。
ややっ、行き倒れせず、生きてЖелезничка станица Нови Сад/Železnička stanica Novi Sad(ノヴィ・サド駅)近くのスパ併設宿泊施設?に到着のようですが、今日まで宿泊していたСуботица/Subotica(スボティツァ)の宿泊ゲストハウスよりちょっとだけ高いだけでここまでの設備とは衝撃的ですね。
Суботица/Subotica(スボティツァ)だけでなく、Нови Сад/Novi Sad(ノヴィ・サド)でも1989横棒の落書きを見かけますね。
Железничка станица Нови Сад/Železnička stanica Novi Sad(ノヴィ・サド駅)から旧市街まで歩きますと結構遠いですね。
Аутономна Покрајина Војводина/Autonomna Pokrajina Vojvodina(ヴォイヴォディナ自治州)の州都のНови Сад/Novi Sad(ノヴィ・サド)、偉大なる中華民族の国家の支援による高速鉄道効果か、Суботица/Subotica(スボティツァ)より明らかに観光客が多いような気がしますね。
Budapest(ブダペスト)以来のДунав/Dunav(ドナウ川)ですが、Googleさまの情報と異なり洪水が起きている気配は無いですが、心なし水が淀んでいて木屑が流れているようですね。
上流側にあるHrvatska(クロアチア)のOsijek(オシエク)と同じく、Нови Сад/Novi Sad(ノヴィ・サド)も現在の旧市街から少し離れた川沿いの要塞が現在に続く都市の起源となっていますが、18世紀前半に対オスマン帝国の最前線になっただけあってか、要塞の規模が比較にならないほど大きいですね。
Дунав/Dunav(ドナウ川)に橋脚だけの橋を見かけますが、第二次世界大戦で破壊されたもののようですね。
Петроварадинска тврђава/Petrovaradinska tvrđava(ペトロヴァラディン要塞)の建屋に立地するCity Museum of Novi Sad
Музеј Града Новог Сада/Muzej grada Novog Sada(ノヴィ・サド都市博物館)、都市博物館と言っても要塞で出土された遺物の展示がメインのようですね。
上層部も含めて多民族国家であるオスマン帝国とトルコ民族とは異なりますが、偉大なるトルコ民族の国家に対する華々しい勝利を協調したいんですかねえ。
Петроварадинска тврђава/Petrovaradinska tvrđava(ペトロヴァラディン要塞)はえらい商業化されていて、カフェやレストラン、観光客向けの路上商人が多いですね。
Петроварадинска тврђава/Petrovaradinska tvrđava(ペトロヴァラディン要塞)では、当地の高速鉄道建設を支援している友好国?からの観光客を多く見かけるレストランで休憩することにしますね。
ややっ、Петроварадинска тврђава/Petrovaradinska tvrđava(ペトロヴァラディン要塞)内のレストラン(Тераса/Terasa)、注文したКремпита/krempiteがSamoborska kremšnita(サモボルスケ・クレムシュニテ)の本場で頂いたのと似ていて大変美味ですが、シェア前提かと思われるほどの特大サイズで撃沈ですね。
1942年1月のMagyarország(ハンガリー)ファシスト政権の占領に対するノヴィ・サド蜂起を祈念した薔薇の花を見かけますね。
Музеј Војводине/Muzej Vojvodine(ヴォイヴォディナ博物館)、当地の歴史や遺物文物の展示が非常に充実していてお腹いっぱいですが、16〜17世紀のオスマン帝国統治時期が非常に簡素だったのはあまり触れたくないのか、そもそも戦乱で住民が逃散して遺物が出てこないのかどうなんですかねえ…
Музеј Војводине/Muzej Vojvodine(ヴォイヴォディナ博物館)、Аутономна Покрајина Војводина/Autonomna Pokrajina Vojvodina(ヴォイヴォディナ自治州)における民族混淆がよく分かる展示でしたね。
ハンガリー系しか居住が許されなかったПетроварадинска тврђава/Petrovaradinska tvrđava(ペトロヴァラディン要塞)の対岸にセルビア系の集落が作られたのが現在のНови Сад/Novi Sad(ノヴィ・サド)旧市街の成り立ちですが、1848〜1849年革命期に破壊されて以降のハンガリー帝国統治期の建物がメインのようですね。
Нови Сад/Novi Sad(ノヴィ・サド)旧市街も、観光客向けの路上商人が多いですね。
Нови Сад/Novi Sad(ノヴィ・サド)旧市街の工事中の路地に、住民と思しき人々が並んでいるСендвич/Sendvič(サンドイッチ)スタンド(TETAK indeks sendvic)を見かけますので、看板メニューと思われるアツアツ肉入りサンドイッチで夕食としますね。
Szeged(セゲド)やСуботица/Subotica(スボティツァ)と同じく、Нови Сад/Novi Sad(ノヴィ・サド)でもMagyarország(ハンガリー)Szecessziós(アール・ヌーヴォー)様式のシナゴーグを見かけますが、ハンガリーファシスト政権による占領からナチスドイツによる占領を経た当地のユダヤ系の人々は、先の都市と同様ホロコーストに見舞われたようですね。
Нови Сад/Novi Sad(ノヴィ・サド)の夜の街に消えず、生きて宿泊スパ併設宿泊施設?に帰着。果たして、生きてCiudad de México(メキシコ・シティ)の地に降り立つ日はやって来るんですかねえ。https://novisad.travel/single-kafeterije/kafe-galerija-frida-kahlo/
キッチン冷蔵庫電子レンジなどなど完備のНови Сад/Novi Sad(ノヴィ・サド)の宿泊スパ併設宿泊施設?(Daisy Resort)をチェックアウトですね。洗濯機が無いことと旧市街から距離があること以外は不満なく大変快適な滞在でしたが、部屋の名前的にこれからナポリを見て(から御当地の幫派勢力に始末されて)死ねということですかね…
今日は、一昨日に続いてЖелезнице Србије/Železnice Srbije(セルビア鉄道)の旅ですね。Железничка станица Нови Сад/Železnička stanica Novi Sad(ノヴィ・サド駅)から、最高時速200km/hの高速鉄道列車Соко/Sokoに乗車しますが、車両の方は偉大なる中華民族の国家からの提供を受けられなかったんですかねえ。
自動券売機での発券時から嫌な予感がしていましたが、高速鉄道列車Соко/Sokoは座席指定の希望が出来ず、何も考えず1号車1番から順に座席を割り振るようで、前方車両だけみっちりのようですね…
日頃の行い的に当然ながら?通路側席を割り当てられてしまいますが、Железнице Србије/Železnice Srbije(セルビア鉄道)さまの御慈悲か、車端部に座席番号が付いていない窓付きロングシートを設置しているようで、そちらに座りますね。
Железнице Србије/Železnice Srbije(セルビア鉄道)が誇る高速鉄道列車Соко/Sokoは、時速200km/hでワープ…と思いきや地域列車用の駅に入線して運転停車、平原の線形がいいところでノロノロ運転&停車…と休み休みしつつ時々思い出したように高速運転し、何のアナウンスも無く9分遅れで終点Железничка станица Београд Центар/Železnička stanica Beograd Centar(ベオグラード中央駅)に到着ですね…
Железничка станица Београд Центар/Železnička stanica Beograd Centar(ベオグラード中央駅)で次の鉄道チケットを購入しておきますね。Железничка станица Нови Сад/Železnička stanica Novi Sad(ノヴィ・サド駅)と同じくガラガラの自動券売機に有人窓口の大行列が見られますが、自動券売機の方も端末の調子が悪いのが一部あるようで係員が常駐して対応にあたっているようですね。
先程までいたАутономна Покрајина Војводина/Autonomna Pokrajina Vojvodina(ヴォイヴォディナ自治州)とは雰囲気が異なりますね。
宿泊アパートに大きな荷物を投げ込み、そそくさとКућа цвећа/Kuća cveća(花の館)に馳せ参じますね。
世界中のЈугоносталгија/Jugonostalgija(ユーゴノスタルギヤ)な人々が、Маршал/Maršal(元帥)を偲んで馳せ参じているんですかねえ。
Кућа цвећа/Kuća cveća(花の館)では、現在でもЈугославија/Jugoslavija(ユーゴスラビア)が存在し続けているようですね。
おやや、Кућа цвећа/Kuća cveća(花の館)に来た時には無かったЈугоносталгија/Jugonostalgija(ユーゴノスタルギヤ)な自動車が並んでいますが、持ち主が集まって交流している感じでもなく、車内でスマホをいじったり外で佇んでいるようですが、何しに来てるんですかねえ…
お昼を食べずにМаршал/Maršal(元帥)の下に馳せ参じていましたので、お腹ペコペコでБеоград/Beograd(ベオグラード)旧市街にやってきましたが、身体が蘭州を求めているのか、印象兰州Yxlanzhというお店にぶち当たって吸い込まれますね。
ぱっと見、偉大なる中華民族の国家からやって来たСрбија/Srbija(セルビア)料理に飽きた旅行者が中心に見えて意外と地元の人の来客がいますし、本場蘭州の人では無く地元の人が麺を伸ばしているように見えますね。
羊肉串と拌面に蘭州風に辣椒をたっぷりかけて美味しく頂きますが、短期弾丸はともかくやや長期の旅行になりますと偉大なる中華民族の人々がお作りになる料理にすがらねばなりませんね。
路線バスの無賃乗車で連行されず、生きてБеоград/Beograd(ベオグラード)旧市街の宿泊アパートに到着ですね。海外番号を無慈悲に弾く悪名高き?フィンランドのSMS公衆トイレと異なり、当地の公共交通は、国内番号でのSMS送信以外に英語対応のスマホアプリからクレジットカードで購入するという御慈悲な購入手段も用意されていて、そちらでRSD120(約164円)の24時間チケットを購入してから乗車できましたね。https://bgnaplata.rs/beograd-plus-aplikacija/