ローマ帝国時代からの悠久の歴史があるらしいБеоград/Beograd(ベオグラード)ですが、オスマン帝国直接統治からセルビア王国に変わった19世紀以降の都市計画によりヨーロッパを模範にした街路や建築に置き換わっているようで、第二次世界大戦の戦災の影響もあってか社会主義リアリズム?建築も多いですね。
ローマ帝国時代からの悠久の歴史があるらしいБеоград/Beograd(ベオグラード)ですが、オスマン帝国直接統治からセルビア王国に変わった19世紀以降の都市計画によりヨーロッパを模範にした街路や建築に置き換わっているようで、第二次世界大戦の戦災の影響もあってか社会主義リアリズム?建築も多いですね。
オスマン帝国直接統治期のБеоград/Beograd(ベオグラード)は、現在のトルコ地方都市の旧市街と同じく曲がりくねった狭い街路に比較的低層のオスマン様式建築が並んでいたようですが、今はその痕跡すら見られぬようですね。
Budapest(ブダペスト)方面から流れてきたДунав/Dunav(ドナウ川)とZagreb(ザグレブ)方面から流れてきたСава/Sava(サヴァ川)の合流地点の高台にあるБеоградска тврђава/Beogradska tvrđava(ベオグラード要塞)に到着のようですが、各国観光客だけでなく市民の憩いの場となっているようですね。
Београдска тврђава/Beogradska tvrđava(ベオグラード要塞)、観光客向けの露店がやたらと多いですが、それ以外にも城壁の間の空間にテニスコートを作っていたり、20世紀イメージな古めかしい恐竜のオブジェが並ぶ公園を作っていたりと、シェンゲン圏内ではたぶん見られない(というより都市計画的に許可されないであろう)土地利用が見られますね。
Београдска тврђава/Beogradska tvrđava(ベオグラード要塞)、Југославија/Jugoslavija(ユーゴスラビア)時代のものらしい戦車やミサイルなどの兵器の展示も見られますが、まさか1990年代に実戦で使用されたものなんですかねえ…
Београдска тврђава/Beogradska tvrđava(ベオグラード要塞)は、18世紀にはオスマン帝国とハプスブルク帝国が川を挟んで対峙し、19世紀〜20世紀初めにはセルビア王国とオーストリア=ハンガリー帝国が川を挟んで対峙する最前線になっていたようですね。
Београдска тврђава/Beogradska tvrđava(ベオグラード要塞)、一部だけですがオスマン帝国時代の建物が残っているようですし、復元されたと思われるオスマン様式の建物も見られますね。
19世紀前半のセルビア公国成立後に建てられたКонак кнегиње Љубице/Konak kneginje Ljubice(ルビツァ公妃の館)は、ヨーロッパとの折衷ながらもオスマン帝国統治期の建築様式を今に伝えるもののようですね。
Конак кнегиње Љубице/Konak kneginje Ljubice(ルビツァ公妃の館)の地下では、思い出に残る写真を掲げる人を写したインスタレーションアートをやっているようですね。
Конак кнегиње Љубице/Konak kneginje Ljubice(ルビツァ公妃の館)から外に出ますと、ちょうど目の前にあるСаборна црква Светог арханђела Михаила у Београду/Saborna crkva Svetog arhanđela Mihaila u Beogradu(聖天使首ミハイル大聖堂)から十字架を掲げた人々の行進が始まるところのようですね。
Београд/Beograd(ベオグラード)では、Hrvatska(クロアチア)やАутономна Покрајина Војводина/Autonomna Pokrajina Vojvodina(ヴォイヴォディナ自治州)では見かけることの無かったБалкан/Balkan(バルカン)という固有名詞を見かけるようになりますね。
Београдска тврђава/Beogradska tvrđava(ベオグラード要塞)から滑落せず、生きて宿泊アパートに帰着。皆さん、城壁から足を乗り出して怖いもの知らずのようですね。
古今東西、夭折した女性ミュージシャンや女性俳優は、永遠のアイドルとして人々の心に残り続けるものなんですかねえ。https://sr.wikipedia.org/wiki/%D0%9C%D0%B0%D1%80%D0%B3%D0%B8%D1%82%D0%B0_%D0%A1%D1%82%D0%B5%D1%84%D0%B0%D0%BD%D0%BE%D0%B2%D0%B8%D1%9B
タダほど高いものはないと思いつつ、日曜無料に目が眩んでНародни музеј Србије/Narodni muzej Srbije(ベオグラード国立博物館)に出向きますね。
Народни музеј Србије/Narodni muzej Srbije(ベオグラード国立博物館)、クラシック音楽の生演奏を聴きつつ鑑賞できるようでいいですね。
Народни музеј Србије/Narodni muzej Srbije(ベオグラード国立博物館)、ローマ帝国時代までや中世セルビア王国時代の遺物の展示はやたら詳しくていいんですが、民族移動期の遺物の説明を端折っていたり、オスマン帝国直接統治期はセルビア正教会絡みの展示しかなかったり、近代セルビア公国以降は絵画のみの展示だったり、収集した他国の絵画をただ単に並べているコーナーがあったり、一貫性に欠ける展示でしたね。
路線バスでお出かけとしますが、Београдска тврђава/Beogradska tvrđava(ベオグラード要塞)と同じ高さにある中心市街地とバス停を行き来するのにアップダウンがあって大変ですね。
Београд/Beograd(ベオグラード)の路線バスは1年中暖房を効かせているようで、火傷しそうになりますね。
Сава/Sava(サヴァ川)を挟んだ対岸にあるЗемун/Zemun(ゼムン)に到着のようですね。
Земун/Zemun(ゼムン)は、対岸のБеоград/Beograd(ベオグラード)とは歴史的背景が異なり、Аутономна Покрајина Војводина/Autonomna Pokrajina Vojvodina(ヴォイヴォディナ自治州)と同様、Magyarország(ハンガリー)様式の建築が並んでいて懐かしく感じますね。
Нови Сад/Novi Sad(ノヴィ・サド)でも見かけたゴシック様式のセルビア正教会に来てみますと、ちょうど結婚式が催されているようで、чочек/čoček(ジプシー・ブラス)の楽団の演奏が聞こえてきますね。
Земун/Zemun(ゼムン)中心部の広場は、観光客よりは近隣の人々が多く憩っているようですね。
Земун/Zemun(ゼムン)中心部の菓子店(Poslasticarnica Sara)で、明らかにオスマン帝国の影響と思われる当地の伝統菓子であるБаклава/Baklava(バクラヴァ)を頂きますが、トルコで見るのとサイズも形も違っていて違和感を感じますが、甘いシロップがようけかかっていることに変わりないようですね。
オスマン帝国直接統治期のБеоград/Beograd(ベオグラード)は住民の殆どがムスリムでモスクの尖塔が林立していたようで、Земун/Zemun(ゼムン)がヨーロッパ世界の最前線だった頃を偲びますね。
Земун/Zemun(ゼムン)からДунав/Dunav(ドナウ川)沿いの遊歩道、散策する人々も商売する人々も多いですね。
社会主義リアリズムな建物が林立するНови Београд/Novi Beograd(新ベオグラード)に入ってきたようですね。
Нови Београд/Novi Beograd(新ベオグラード)の川沿いは社会主義リアリズムな建物だけでなく、船舶のレストランも林立していますが、ギラギラライトアップな火鍋店も見られますね。
Хотел Југославија/Hotel Jugoslavija(ホテル・ユーゴスラビア)はリッツ・カールトンに売却されたようで、今月営業を終了したばかりのようですね。
お腹が減りましたので、Нови Београд/Novi Beograd(新ベオグラード)の真新しいショッピングモール(Ушће/UŠĆE)に入りますが、当地の商業施設は日曜でも営業時間が短くなったり小売系店舗が閉まることは無いようですね。
シェンゲン圏外のСрбија/Srbija(セルビア)は、トルコ資本のブランドが見られますね。
ショッピングモール(Ушће/UŠĆE)のフードコートにあるブッフェで夕食としますが、子牛肉のスープであるJuneća Čorba(ユネチャ・チョルバ)、作り置きで温いのにえらい味わい深いですね。
Нови Сад/Novi Sad(ノヴィ・サド)でもБеоград/Beograd(ベオグラード)でも高松仕様の嫌がらせ地下道を見かけますが、Титоизам/Titoizam(チトーイズム)の負の遺産なんですかねえ…
人口100万人台のБеоград/Beograd(ベオグラード)都市圏ですが、地下鉄のような大量輸送の都市内交通機関が無く、かといって他所の旧共産圏の大都市のように路面電車網が張り巡らされているでもなく、中心市街地に直通する路線バスは渋滞に巻き込まれ、高速鉄道以外でも偉大なる中華民族の国家のお助けが必要な気がしますね。
美しき青きДунав/Dunav(ドナウ)に消えず、生きて宿泊アパートに帰着。DVや各種ハラスメントの加害者は、自身を被害者だというメンタリティを持っているとよく言われますが、国家についても同様のことがいえるんですかねえ…
オシャレオープンカフェ&レストランが並ぶБеоград/Beograd(ベオグラード)中心市街地でもЋевапчићи/Ćevapčići(チェヴァプチチ)スタンドがあるようで、こちらのお店(Ћевабџиница Цица/Ćevabdžinica Cica)で持ち帰りしますが、えらい肉がでかくてジューシーですね。
Београд/Beograd(ベオグラード)中心市街地のオシャレオープンカフェ&レストランが並ぶ通りに立地しているにも関わらず一切入らず、スーパーで買ってきたサラダやソーセージもろもろで食費節約に励んだ宿泊アパートを出発ですね。宿泊アパート自体は古めかしくも大変清潔で良かったんですが、夜な夜な外のオープンカフェで繰り広げられるジャイアンリサイタル(誇張無し)に喘ぐ日々でしたね。
今日は移動日ですね。Железничка станица Београд Центар/Železnička stanica Beograd Centar(ベオグラード中央駅)から、三度Железнице Србије/Železnice Srbije(セルビア鉄道)のお世話になりますね。
今回のЖелезнице Србије/Železnice Srbije(セルビア鉄道)はかつてオリエント急行が運行していた結構な幹線を経由するようで、この前のローカル線のような壮絶な揺れはありませんが、区間によってえらいキビキビ走る区間とノロノロ走る区間がありますね。
へぅ〜、Железничка станица Београд Центар/Železnička stanica Beograd Centar(ベオグラード中央駅)から各駅に止まりつつ、約6時間30分で終点Железничка станица Ниш/Železnička stanica Niš(ニシュ駅)に到着のようですね。
へぅ〜、暴走自動車に惹かれず、生きてНиш/Niš(ニシュ)旧市街のホテルにチェックイン。何と言いますか、Суботица/Subotica(スボティツァ)やНови Сад/Novi Sad(ノヴィ・サド)と同じ国にいるとは思えぬ街の雰囲気ですね。
昨晩はНиш/Niš(ニシュ)市街のレストラン(Код Рајка/Kod Rajka)でПљескавица/Pljeskavica(プレスカヴィツァ)を大変美味しく頂いたんですが、レストランですと追加で注文しないとパンとかが標準で付いてこず、肉だけを食べる背徳感を味わえるようですね…
Србија/Srbija(セルビア)南部のНиш/Niš(ニシュ)は、1878年にセルビア公国軍に占領されるまでオスマン帝国直接統治下にあって、当局にはブルガリア系と認識されていたキリスト教徒が多く住んでいて、アルバニア系のイスラム教徒やセルビア公国から南に追われたトルコ系などのイスラム教徒もある程度住んでいたようですね。
1878年にセルビア公国軍に占領された後のНиш/Niš(ニシュ)では、アルバニア系の地区は焼き払われイスラム教徒はさらに南に逃げ出し、「セルビア人」の都市になった当地では街路や建物の近代化が進められたとのことで、近代化の経緯は異なってはいますが、戦災を経ていない日本の地方都市感(ただし中心市街地は空洞化していない)がありますね。
Ниш/Niš(ニシュ)の路線バスは、車内に運賃収受員がいてゾーン制運賃のチケットを購入できますが、バス停で待機している検札要員が車内に入ってきて、外国人は抜き打ち検札の格好のターゲットになるようで注意が必要ですね。
Google Mapsの乗換検索結果の運賃を見ますと、どうも購入したチケットのゾーンが間違っていたようで、不正乗車となって警察にしょっぴかれぬよう、ギリギリゾーン内にあると思われる一つ前のバス停で降りて歩きますが、一つ先のバス停がえらい遠いですね…
Ниш/Niš(ニシュ)はローマ帝国時代からの悠久の歴史を有するようで、当地出身のコンスタンティヌス1世のお住まいといいますか別荘跡(Медиjана | Царска палата Константина Великогメディアーナ)に到着ですね。
今住んでいる人々とは全く繋がりがないであろうローマ帝国時代の展示にかける熱心さを、今なお少なからず影響を及ぼしていると思われるオスマン帝国時代の展示にもかけられないんですかねえ…
Југославија/Jugoslavija(ユーゴスラビア)では、発掘は上半身裸で行うのがデフォルトだったんですかねえ。
Ниш/Niš(ニシュ)に来てから、警笛を鳴らす自動車が増えたような気がしますし、横断歩道で歩行者がいても止まらない自動車が増えたような気がしますし、街なかのタクシーが増えたような気がしますし、自動車交通のカオス味が増してきましたね。
Ниш/Niš(ニシュ)に来てから、飼い犬が自発的に散歩…ではなく、野良犬をあちこち見かける気がしますね…
昨日のレストラン(Код Рајка/Kod Rajka)でも持ち帰り用のスタンドがありましたが、Ниш/Niš(ニシュ)はПљескавица/Pljeskavica(プレスカヴィツァ)スタンドを多く見かけますね。
何となくСрбија/Srbija(セルビア)実質最期…最後の夜のような気がしますので、Ниш/Niš(ニシュ)中心市街地からちょっと東に行ったレストラン(Зврк/Zvrk)に入って、今のうちにアルコール…ということで地ビールを頂いておきますね。
こちらのレストラン(Зврк/Zvrk)では、Teleća krem čorba(小牛肉のクリームスープ)以外に、今のうちに豚さん…ということでMućkalica(ムチュカリッツァ)を大変美味しく頂きますね。
犬さんの落としものによりスリップして行き倒れせず、生きて宿泊ホテルに帰着。Београд/Beograd(ベオグラード)と異なり、Ниш/Niš(ニシュ)では偉大なる中華民族の国家からの観光客は見かけませんが、住人と思しき人と飲食店は見かけますね。
ミニキッチン&バルコニー付きで快適なひとときを過ごした個人経営の宿泊ホテル(Вила Нова/Cila Nova)をチェックアウトですね。
今朝はНиш/Niš(ニシュ)市街地の南方にある公園に散歩に行きますが、自動車社会と思われるのに比較的長距離を歩いている人を見かけますね。
Ниш/Niš(ニシュ)北部にあった強制収容所(Логор Црвени крст у Нишу/Logor Crveni krst u Nišu)から連れてこられたユダヤ系等の人々がナチス・ドイツによって虐殺された地に作られたСпомен-парк Бубањ/Spomen-park Bubanj(ブバニ記念公園)に到着のようですが、こちらでもJasenovac(ヤセノヴァツ)と同じくЈугославија/Jugoslavija(ユーゴスラビア)によって作られた前衛的なアート作品であるSpomenik(スポメニック)が見られますね。
Спомен-парк Бубањ/Spomen-park Bubanj(ブバニ記念公園)では、近隣の高台住宅地にお住まいの上半身裸の人が運動に励んでいましたが、その強靭な肉体により蚊を寄せ付けぬようで羨ましい限りですね。
ローマ帝国時代から改築されながら使われてきたというНишка тврђава/Niška tvrđava(ニシュ要塞)にはオスマン帝国時代の建物が点在していますが、尖塔は破壊されたようですね。
ブルガリア系なのかセルビア系なのか民族意識が生まれる前だったと思われるスラブ語族のキリスト教徒やアルバニア系やトルコ系、ロマ系も含めたイスラム教徒、ユダヤ教徒がいろいろありつつも共存していたと思われる古のНиш/Niš(ニシュ)を想いますね。
ややっ、Ниш/Niš(ニシュ)の中心市街地、歩行者天国の下に10〜20万都市圏とは思えぬ広大な地下街があって、個人経営のファッション系などのお店が並んでいますね。
Ниш/Niš(ニシュ)のТрамвај/Tramvaj(路面電車)は1930〜1958年の28年間しか存在しなかったようですが、未だЈугославија/Jugoslavija(ユーゴスラビア)だった1985年に開業して39年間も存在し続けているこちらのカフェ(Трамвај/Tramvaj)に入りますね。
1990年代には、こちらのカフェ(Трамвај/Tramvaj)も苦難に見舞われたようですね。
こちらのカフェ(Трамвај/Tramvaj)では、Суботица/Subotica(スボティツァ)が本場?のモチモチPalačinke(パラチンケ)と今生…暫しのお別れを告げますね。
名残惜しいですが、犬さん以外に意外と猫さんもいるНиш/Niš(ニシュ)ともお別れですね。Аутобуска станица Ниш/Autobuska stanica Niš(ニシュバスターミナル)より、1日1本だけ直通する都市間バスで旅立ちますね。
先程、荷台に人間を載せたロバさんが普通に車道を通行していたように見えましたが、疲れているんですかねえ…
Аутобуска станица Ниш/Autobuska stanica Niš(ニシュバスターミナル)から出発したこちらの事業者(GAMEKS)の都市間バスは、公式Webサイトに記載されていない道中のバスターミナルやバス停にも停車し、約5時間30分で終点のАутобуска станица Нови Пазар/Autobuska stanica Novi Pazar(ノヴィ・パザルバスターミナル)に到着ですね。https://gameks.biz/index.php/autobuske-linije/novi-pazar-nis
へぅ〜、行き倒れせず、生きてНови Пазар/Novi Pazar(ノヴィ・パザル)市街のホテルにチェックイン。しましたが、Суботица/Subotica(スボティツァ)やНови Сад/Novi Sad(ノヴィ・サド)、Београд/Beograd(ベオグラード)はもちろん、比較的距離が近いНиш/Niš(ニシュ)と比べても同じ国にいるとは思えぬ街の雰囲気ですね。
需要ゼロと思われますが、Ниш/Niš(ニシュ)のバスターミナル(Аутобуска станица Ниш/Autobuska stanica Niš)の発車時刻表ですね(続く)。
需要ゼロと思われますが、Ниш/Niš(ニシュ)のバスターミナル(Аутобуска станица Ниш/Autobuska stanica Niš)の発車時刻表の続きですね。
これまた需要ゼロと思われますが、Нови Пазар/Novi Pazar(ノヴィ・パザル)のバスターミナル(Аутобуска станица Нови Пазар/Autobuska stanica Novi Pazar)の発車時刻表ですが、Србија/Srbija(セルビア)的に国内の行き先しか含まれていないようなんですね。
Нови Пазар/Novi Pazar(ノヴィ・パザル)を含むСрбија/Srbija(セルビア)南西部のСанџак/Sandžak(サンジャク地方)は、1912年のバルカン戦争時にセルビア王国に占領されるまでオスマン帝国領土だったとのことで、現在のトルコ方面に難民として逃れたイスラム教徒も少なからずいたとのことですが、1990年代にも紛争が起こらず、現在でもキリスト教徒(セルビア正教徒)とイスラム教徒が共存する地のようですね。
Нови Пазар/Novi Pazar(ノヴィ・パザル)のバスターミナル(Аутобуска станица Нови Пазар/Autobuska stanica Novi Pazar)からはСрбија/Srbija(セルビア)的に国外の都市へのバスも出ているようですが、ネット情報は公式Webサイトでも古い疫禍前の情報が存在するようで、バス路線の実在を確認せねばならず、次の行先を決めるのに支障が出ていてつらたんですね。
今日は、Нови Пазар/Novi Pazar(ノヴィ・パザル)周辺ハイキングとしますね。
Google Mapsさまがお示しになる道に従って歩いていたら、心なしか他人の敷地に入ったような気がしますが、特に柵はないようですのでそのまま進みますね。
へぅ〜、蚊の大群に惹かれず自動車にも惹かれず、Нови Пазар/Novi Pazar(ノヴィ・パザル)の麓から1時間ちょっとで何とか生きて
Манастир Ђурђеви Ступови/Manastir Đurđevi stupovi(ジュルジェヴィ・ストゥポヴィ修道院)に到着のようですね。
Манастир Ђурђеви Ступови/Manastir Đurđevi stupovi(ジュルジェヴィ・ストゥポヴィ修道院)、空間が素晴らしいですね。
ややっ、再びGoogle Mapsさまのお導きに従って歩いていましたら、明らかに他人の敷地と思われる柵が立ちはだかって通れないようですね…
ようやく眼下に、Црква Светих апостола Петра и Павла у Расу/Crkva Svetih apostola Petra i Pavla u Rasu(聖ペトル聖堂)が見えてきましたね。
Црква Светих апостола Петра и Павла у Расу/Crkva Svetih apostola Petra i Pavla u Rasu(聖ペトル聖堂)、内部には入れぬようですね。
Нови Пазар/Novi Pazar(ノヴィ・パザル)の北の方はキリル文字表記が多く、キリスト教徒が多いエリアなんですかねえ。
へぅ〜、蚊の大群にも自動車にも惹かれず、何とか生きてホテルに帰着。お腹ペコペコでしたので、Нови Пазар/Novi Pazar(ノヴィ・パザル)市街のこちらのお店(SVE POD SAČ)でパイのような生地にお肉がはいった当地名物らしいMantije(マンティエ)を美味しく頂きましたね。
Србија/Srbija(セルビア)各地で頂けるТурска кафа/Turska kafa(トルコ・コーヒー)ですが、イスラム教徒が多いНови Пазар/Novi Pazar(ノヴィ・パザル)では伝統的な金属容器に入っていていいですね。
Нови Пазар/Novi Pazar(ノヴィ・パザル)では朝っぱらからカフェに人々が集っていますが、皆さんいつから働き出すんですかねえ…
今日は、路線バスの旅ですね。Аутобуска станица Нови Пазар/Autobuska stanica Novi Pazar(ノヴィ・パザルバスターミナル)から、Мелаје/MelajeとБаћица/Baćicaという集落に向かう地元の路線バス事業者Sandžaktransのバスに乗車しますね。
こちらの路線バスの運転手はピッピピッピと警笛を鳴らし、行き交う路線バスや知り合い?に手を振っていますね。
Нови Пазар/Novi Pazar(ノヴィ・パザル)周辺は中世セルビア王国の初期の中心地だったようで、セルビア正教会の修道院以外に都市遺跡Стари Рас/Stari Ras(スタリ・ラス)が天空の城のように存在するようですね。
目の前にМанастир Сопоћани/Manastir Sopoćani(ソポチャニ修道院)があるようですので、入ってみますね。
Манастир Сопоћани/Manastir Sopoćani(ソポチャニ修道院)、残念ながら内部は写真撮影禁止のようで、外観のみですね。
そういえば、昨日の修道院では、雰囲気的に遥かなるユーラシア大陸の実質島国からと思われる女性一人がタクシー運転手を引き連れて撮影に励んでいましたが、今日の修道院では訛り的に偉大なる中華民族の国家からと思われる夫婦がレンタカーで来ていますね。
Нови Пазар/Novi Pazar(ノヴィ・パザル)の麓から徒歩1時間超のМанастир Ђурђеви Ступови/Manastir Đurđevi stupovi(ジュルジェヴィ・ストゥポヴィ修道院)と異なり、Манастир Сопоћани/Manastir Sopoćani(ソポチャニ修道院)は麓のバスターミナルから添付時刻表(左側が発車時刻)のMELAJE,DELIMEDJE行きに乗って(運賃RSD170)徒歩1分、バスの折り返し時間的に最低でも1時間は鑑賞可能ですので、公共交通でのアクセス至便?でいいですね(一応バスターミナルの人に確認を取ってから乗車しましたが)。
Нови Пазар/Novi Pazar(ノヴィ・パザル)ではお昼過ぎてもカフェに人々が集っていますが、皆さん一体いつから働き出すんですかねえ…
一昨日の晩のЋевапчићи/Ćevapčići(チェヴァプチチ)やさんでもМаршал/Maršal(元帥)の写真を見かけましたが、Нови Пазар/Novi Pazar(ノヴィ・パザル)の方はЈугоносталгија/Jugonostalgija(ユーゴノスタルギヤ)な人が多かったりするんですかねえ。
オスマン帝国時代の建築をリノベーションしたМузеј РасМузеј "Рас" Нови Пазар/Muzej "Ras" Novi Pazar(ラス博物館)、都市遺跡Стари Рас/Stari Ras(スタリ・ラス)やМанастир Сопоћани/Manastir Sopoćani(ソポチャニ修道院)など修道院からの出土品が展示されていて大変見応えがあるんですが、所狭し感が強いですね。
Музеј РасМузеј "Рас" Нови Пазар/Muzej "Ras" Novi Pazar(ラス博物館)、Нови Пазар/Novi Pazar(ノヴィ・パザル)周辺のイスラム教徒やキリスト教徒の古の文物もいろいろと展示されて見応えがありますね。
Нови Пазар/Novi Pazar(ノヴィ・パザル)の15世紀後半に作られたハマム跡(Исабегов хамам/Isabegov hamam)、修復をしていない状態でオシャレカフェが2軒営業しているようで、偉大なる中華民族の国家でよく見かける弄り過ぎリノベーションも問題ですが、弄らなさ過ぎリノベーション?もまた問題ですね。
Нови Пазар/Novi Pazar(ノヴィ・パザル)では、1990〜2000年代にあらゆる世界ブランドのジーンズの偽物が作られ、Долина џинса(ジーンズ・バレー)と呼ばれていたほどジーンズ産業が盛んだったようですね。https://www.rts.rs/vesti/ekonomija/4609763/dolina-dzinsa-od-privrednog-buma-do-opstajanja.html
今日は、昨日とは別のこちらの24時間営業のお店(AGUŠEVIĆ)でMantije(マンティエ)を美味しく頂きますね。
イスラム教徒が多いНови Пазар/Novi Pazar(ノヴィ・パザル)では、パレスチナの旗やイスラエルに関する???な落書きを見かけるようになりますね。
激安ペットボトルなど大変お世話になったСрбија/Srbija(セルビア)スーパーチェーンのMAXIですが、Нови Пазар/Novi Pazar(ノヴィ・パザル)では、現地の人の需要に合った商品が少ないのか、現地の人の経済水準に合った価格設定でないのか、はたまた現地の人の買物習慣に合っていないのかどうかは不明ですが、他都市のお店では見られないレジの人が暇している風景が見られますね。
Србија/Srbija(セルビア)の他都市と比べても自動車に溢れているНови Пазар/Novi Pazar(ノヴィ・パザル)市街地ですが、金曜の夜は一部歩行者天国になるようですね。
一昨晩のЋевапчићи/Ćevapčići(チェヴァプチチ)のお店(Šadrvan Roštilj kod Jonuza/Роштиљ код Јонуза)も今晩のお店(Ćevabdžinica Beko)もそうですが、Нови Пазар/Novi Pazar(ノヴィ・パザル)は24時間営業のお店が多いようで、夕食難民にならずに済んでいいですね。
食い倒れせず、生きてホテルに帰着。Нови Пазар/Novi Pazar(ノヴィ・パザル)では夜遅くまでカフェに人々が集っていますが、皆さんいつ働いているんですかねえ…