昨日鉄道代行バスをほっぽり出されたJasenovac(ヤセノヴァツ)の駅ですが、駅舎は廃墟となっていますね。
Jasenovac(ヤセノヴァツ)の駅前で鉄道代行バスを待っていたら代行でない鉄道車両がやってきてそのまま逝かず、無事鉄道代行バスに乗ることができましたね。
複数の車両が留置されていて、留置専用のホームかと思いきや、その中から目的地に向かう車両を探して乗車せねばならぬトラップがあるようですね。
こちらのHŽPP(クロアチア鉄道)の路線、かつてはユーゴスラビアの大都市間を日帰り可能なビジネス特急があったようで、複線電化で線形が非常によく保線も良さそうですが、最新鋭の車両なのに60km/hの超チンタラ運転で、たまに80km/hの区間があると車内案内表示で自慢げに?掲示しますね。
山があるところはBosna i Hercegovina(ボスニア・ヘルツェゴビナ)領土のようですが、かつては国境もなく自由に行き来できたのに、今はシェンゲン圏境のカーテンが降ろされていますね。
行き倒れせず、生きてSlavonija(スラヴォニア)の中心都市であるOsijek(オシエク)のホステルに到着ですね。
ふぇ〜、ややっ、昨晩は換気や空調の設備がない風通しの宜しくない部屋で暑さに苦しみ寝不足のせいか、宿泊ホステルで仮眠して起きたらもう夜8時過ぎですね。もともとOsijek(オシエク)は1泊だけのつもりでしたが、2泊にしておいて良かったようですね。
プー○ン帝国から遠く離れているせいか、前回訪問した多くの中欧〜東欧の国々と異なり、Hrvatska(クロアチア)ではウクライナ国旗を多く見かけませんね。
Osijek(オシエク)は、Hrvatska(クロアチア)ではZagreb(ザグレブ)と共に路面電車が存在する都市とのことで線路と架線はあるんですが、T1とT2と掲示された路線バスを時々見かけるだけですね。
Osijek(オシエク)があるSlavonija(スラヴォニア)はハンガリー平原の南端にあって民族混淆の地となっていたようで、第二次世界大戦前はクロアチア系やセルビア系以外にドイツ系やユダヤ系、ハンガリー系の人々も多く住んでいたようですね。
Osijek(オシエク)の中心市街地があるGornji gradの東側に、当地のアールヌーヴォーであるSecesija(分離派)の建築が並ぶ通りがありますね。https://hr.wikipedia.org/wiki/Arhitektura_secesije_u_Osijeku https://secesija.tzosijek.hr/ https://secesija.tzosijek.hr/wp-content/uploads/Brosura_Osijek_ENG.PDF