icon

Osijek(オシエク)はオスマン帝国に占領された16世紀前半とハプスブルク帝国により奪還された17世紀末にそれぞれ破壊されて都市として断絶しているようで、現在のOsijek(オシエク)は要塞として18世紀前半に建設されたTvrđa(トヴルジャ)が発祥のようですね。

Attach image
Attach image
Attach image
Attach image
icon

Osijek(オシエク)のTvrđa(トヴルジャ)、遠目から見て観光客がえらいようけ…と思いきや、建屋が学校として使用されているようで、学生が休憩時間に外で駄弁っているだけのようですね。

Attach image
Attach image
Attach image
icon

ゴシック様式の建物が並ぶOsijek(オシエク)のTvrđa(トヴルジャ)、オシャレリノベーションされていなく壁や窓枠が崩れかかった建物も結構多く、廃墟でなく明らかに人が住んでいるのもあるようなんですね。

Attach image
Attach image
Attach image
Attach image
icon

Slavonija(スラヴォニア)の名物かと言われるとちょっと違うような気がしますが、身体がĆevapi(チェバプチチ)を求めていますので、Tvrđa(トヴルジャ)にあるレストラン(Merlon)でKajmak(カイマク)入りのを美味しく頂きますね。

Attach image
Attach image
Attach image
icon

Hrvatska(クロアチア)に限らず、ヨーロッパ諸国や中国を巡りますと、経済水準と都市デザインの水準は必ずしも比例しないことに気付かされますね。

Attach image
Attach image
Attach image
Attach image
icon

Osijek(オシエク)の路面電車、どうやらインフラの近代化プロジェクトにより運休してバス代行を行っているようですが、日本の地方都市の路面電車や地方鉄道はインフラの近代化を行わない(というより当該交通事業者単独では行えない)まま、Xデーが来るのを待っているんですかねえ…

Attach image
Attach image
Attach image
Attach image
icon

へぅ〜、行き倒れせず、生きて宿泊ホステルに帰着。Osijek(オシエク)の中心市街地は、カフェやレストラン、大小の広場や排除アートでないベンチがいっぱいあって、市民が集まり交流するという機能は失われていないようですが、都市商業的に見るとブランド系のお店はことごとく市街地の縁にある郊外型商業施設に立地しているようですね。

Attach image
Attach image
icon

Osijek(オシエク)中心市街地にある宿泊ホステル(Hostel OS)を出発しますね。

Attach image
Attach image
Attach image