This account is not set to public on notestock.
This account is not set to public on notestock.
ここ最近,E.Flores校訂のエディションと比べながらルクレーティウス『事物の本性について』を読んでいると,本文の修正箇所に関して古いエディションがラッハマン(K.Lachmann)などのものとしている読みがCipellariusなる人物に帰せられているケースが目について気になっている.
調べて見るとフランチェスコ・ベルナルディーノ・チペッリという人文主義者のことのようである.今度新しいルクレーティウスのエディションを出すDeufertさんが論文を書いている.
Deufert, M.(1998), `Die Lucrezemendationen des Francesco Bernardino Cipelli', Hermes 126: 370-379.
ピアチェンツァの図書館に保存されている写本(Codex Placentinus Landi 33)が1507年に作られた彼の自筆稿で,これは1486年に出版されたヴェローナ版を基にした写しであるから,ルクレーティウスの本文を写本系統図から復元するにあたっては無価値だけれども,そこには多くの(優れた)本文修正案が含まれており,その報告と,巻末に納められた読者宛のエレゲイア詩が収められている.
Cipelliの修正案が,同時期の16世紀前半に現れた諸版の編集者の誰にも知られることなく,その後実に500年近くにもわたってピアチェンツァの地に眠ったままになっていて,それが今になってようやくその名前と功績が知られるようになったというのは−−学問的なことをしていながら「感動した」とかそういうことを言うのは慎むべきだが−−ある種の感慨を覚えずにはいられないものがある.
新しいエディションの注釈に逐一「すでに先んじてチペッリがiam antea Cipellarius」と書き込むのは,同じ課題に取り組んだ先人への然るべき敬意の表明であるなとしみじみ思う.