やっと描けた #ゆにぴく
文法家アレクサンドレイアのイオーアンネース(=ピロポノス)の『アクセント規則Praecepta tonica, τονικὰ παραγγέλματα』はW.Dindorfの1825年のもの(https://books.google.co.jp/books?id=AZY-AAAAcAAJ&pg=PA44&lpg=PA44&dq=Dindorf+praecepta&source=bl&ots=od8AtDXrCD&sig=fTPwMsVDXFktTAiISveU7ZCZR4U&hl=ja&sa=X&ved=0ahUKEwjBlpDXisjbAhWIsJQKHQBeCKoQ6AEIXzAP#v=onepage&q&f=false )がこれまで唯一だったが2015年にG.A.XenisによってTeubner版が出ていたのを知った.
すこーし語彙の追加と気づいた範囲で修正とかをした(変更履歴はリポジトリ参照)
https://lggi.stromateis.info/search.php
今日のクラシック音楽館はブロムシュテット,ピレシュのベートーヴェンなので見なくては.
キュリッロスの辞書の伝承についてDrachmannの重要な研究.
Drachmann, A.B.(1936), Die Überlieferung des Cyrillglossars, Copenhagen, Det Kgl. Danske Videnskabernes Selskab, Historisk-filologiske Meddelelser 21.5.(PDF)
http://www.royalacademy.dk/Publications/Low/557_Drachmann,%20A.pdf
本文のアクセント修正,\parindent, \textwidth値の調整,apparatusのlemmaとnote間及びnote同士の間のスペース調整を行った.apparatusの2-4行がちょっと揃ってない以外はかなり実物に忠実になったと思う(ところでGFS Philostratosにはどういうローマ字の書体が合うのだろう).
今年出た榎本先生のポリツィアーノ『雑録第1集Miscellaneorum centuria prima』研究.|「ポリツィアーノ『雑纂』第1 集の文献学的方法」https://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/handle/10086/29237
Tissoni, F.(2008), `Angelo Poliziano : Miscellanea, I, 80'.
http://digital.casalini.it/10.1400/103095
Emendationesを含む1489年版がミラノのBiblioteca Nazionale Braidense (Fondo Castiglioni, 24)にあるそうだがデジタル化はされてないっぽいね,残念.
買わなきゃ.|誠文堂新光社 『日本語組版入門 その構造とアルゴリズム』を刊行 http://www.newprinet.co.jp/?p=14940
読んでる|なぜかVtuberになった
https://www.pixiv.net/fanbox/creator/169083/post/76366
「建築家の知識は多くの学問と種々の教養によって具備され,この知識の判断によって他の技術によって造られた作品も全て吟味される.それは制作(fabrica)と理論(ratiocinatio)から成立つ.制作とは絶えず練磨して実技を考究することであり,それは造形の意図に適うあらゆる材料を用いて手によって達成される.一方,理論とは巧みに造られた作品を比例乗りによって証明し説明しうるもののことである.
それで,学問をかえり見ないで腕の方に習熟するよう努めた建築家は努力の割には権威を獲得するようになりえなかったし,また理論と学問だけに頼った人たちも本体ではなく幻影(umbra)を追及(ママ)していたように思われる.これに対して二つながら十分に習得した人は,あらゆる武器で装備された人のように,意図されているものを権威をもって獲得した」
(ウィトルーウィウス『建築書』1.1.1-2 森田訳)
ウィトルーウィウス『建築書』を,建築に関する専門的な技術書だと思って読み始めるとーー実際本題的にはそういう記述が主なのだけどもーー建築家が諸学問についてそれぞれの専門家ほどではないにせよ通じていなくてはならない,という序文に示された考えに少し面食らう感じがある.
「そして願わくば,建築家は文章の学を解し,描画に熟達し,幾何学に精通し,多くの歴史を知り,努めて哲学者に聞き,音楽を理解し,医術に無知でなく,法律家の所論を知り,星学あるいは天空理論の知識を持ちたいものである」(1.1.3 森田訳)
今日普通に「建築」と聞いて思い浮かべる具体的かつ特殊な一分野というよりも,ウィトルーウィウスの建築家像は,理論と実践を適切に組み合わせて目的のものを設計し現実化させるという,あらゆる文明的な活動を支える技術と根本的な連絡を保持しているように見える.
周回遅れもいいとこだが「ソースコード=設計図」というのはなかなかに含蓄が深い訳の気がしてきた
ところで「……なぜなら,学問なき才能あるいは才能なき学問は完全な技術人を作ることができないから neque enim ingenium sine disciplina aut disciplina sine ingenio perfectum artificem potest efficere」(ウィトルーウィウス『建築書』1.1.3 森田訳)というのはいい言葉ですね.
LaTeXで複数の註釈や対訳などを制御するためのパッケージreledmacの開発者Maïeul Rouquette氏によるスライド(元々はフランス語で書かれて昨年発表されたスライドの英訳).クリティカル・エディションとはどういうものかやそれを組むにあたっての問題点から,edmac, ledmac, ledpar以来の開発の歴史がわかりすくまとめられている.
https://geekographie.maieul.net/IMG/pdf/reledmac-reledpar-history.pdf
「結構悩みそうな」という文字列に対して読み間違いとぎなた読みがダブルで発動した結果「結構・脳みそ・うな」になった
「結局、2018年になっても日本のサイバー犯罪捜査の現実は、弱い個人や少年をしょっぴいで「反省しろ」と悦に入ることしかできないということだ。あまりに情けなくて涙が出る」|http://takagi-hiromitsu.jp/diary/20180610.html
パワハラ具体例のところがなかなか |
サイバー犯罪捜査官を辞めた顛末など - ninolog
http://d.hatena.ne.jp/nino192/20170226
本文部分とapparatusを隔てる水平線をどう調整するのかちょっと判りにくかったんだけど,基本的に\footnoteruleがそれを担当しているので,
\renewcommand{\Afootnoterule}{...}
のようにして定義しなおしてやればよい.#reledmac
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ところで今気づいたんだけど、GitHubがMSに買われてことで、SlideShare(LinkedIn関連)もSpeakerDeck(GitHub関連)もMS傘下になったのでは
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Zetzel, J.E.G.(2018), Critics, Compilers, and Commentators: An Introduction to Roman Philology, 200 BCE-800 CE, Oxford.
さっき届いたのでサッと頁を繰ってみました.一言で言うとDickeyのこれ(https://gnosia.info/@ncrt035/8938 )のラテン語版ということでつまりは必携書です(序文も著者がそういう本を書かないかという提案を受けたときの話から始まる).
紀元後3世紀初めまでのローマにおける文献研究の概略及び古代後期の辞書,註釈,文法を扱った部分からなる第1部,そうした著作形態で大枠に分類した上で註釈対象の古典作家や学者名ごとにその概略,テクストや翻訳,研究文献にどのようなものがあるかをまとめた第2部と50頁弱の文献表+索引から成る.
多少とも勉強が進むと古典作家について書かれた古代(及び中世初期)の文献を見る必要や興味が生じるものの,そのあたりの案内をしてくれる手頃な本がなかなかなくて困っていたのがこれで解決しそう.
DickeyにあったようなReaderやGlossaryはない(というか語彙についてはラテン語はSchad(https://gnosia.info/@ncrt035/99427043795671908 )があるので不要)一方,文献表にはURL付きで写本資料も多く挙げられていて,オンラインで利用できるものにはそうとわかる指示が付いている.
古代における学問実態や註釈・文法の研究は近年盛んになってきていて現在進行形で色々な論文やテクストが刊行されていっている.Dickeyの本もすでに10年近く前のものなのでこれまでの間に完成したり新たに行われたりした研究もあってそのあたりの補遺も欲しくなってきているところで,Zetzelのこの本にもやがてそういう需要が出てこないとも限らない.
また(避けるべきことではあるが)記載されているオンライン資料のURLやサービスの形態が変わることもありうるので,こうした情報に関しては紙で完結させた形ではなくて,気付いた人がそれを訂正・更新できるような情報提供のあり方でもいいのかもしれない(もしかして私が知らないだけでもうある?)
ラムダノートが出版物の正誤表やフィードバックをGitHubで管理・公開してるのいい発想だなーといつも思う
https://github.com/LambdaNote
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ゆるキャン△の絵描きたいって言ってる間にゆるキャン△の放送終わったし,ウマ娘の絵描きたいって言ってる間にウマ娘の放送が終わりそう.
接頭辞のre-の話.「Elle est retrouvée/quoi ?L'Eternité. reは「また」ではなく、探してたものが見つかった。だから金子光晴訳の「とうとう見つかったよ」や、「やっと見つかった」ではないか?」|https://twitter.com/TakaKunieda/status/1007244533191532544
上はフランス語の話だが,ラテン語のre-も根本的には「(後ろへ)戻って」という意味をなすものの複合語がなす意味の幅が広くてまとめづらい.いくつかのカテゴリに分けて検討した研究を昔読んだ記憶があるので覚えていたら後で探そう.
他でも話してたけども,今現在進行形でやっている仕事の話ってしづらいのがあって,別に守秘義務とかはないし,細かい段階に分けて自分の得た知見をまとめたいと思いつつも公開は躊躇われるみたいな感じになるんですよね…
今テレビでナスの炒め物やっててナスの皮剥いてるんだけど確かに駱駝の茄子の辛味炒めも皮が取ってあったなーと 中華ではそうなのか
出てきた出てきた.
Schrickx, J.(2015), `Reflexionen über lateinische re-Komposita', Glotta 91: 264-280.(https://www.jstor.org/stable/24368220 )
ラテン語のre-合成語に関して,その意味を(1)「(前へ進まず)後へkontradirektiv」(2)「復元・再現restitutiv」(3)「反復repetitiv」(4)「応答・補填reaktiv/kompensativ」(5)「倒逆(=もとの意味の反転)inversiv」に大別する試み.
無理やり和訳したがこれではやはり判りにくくて(1)には「削減・減衰」「外部へ」「退避」というカテゴリがあるほか,(2)にしても狭い意味で元に戻すというより「支払うredigo」のような「然るべきところへ落ち着ける」ニュアンスや「述べるrefero」のように「言葉の内で再現する」ものも含まれる.(5)は「閉めるclaudo」「開けるrecludo」のような例.
p.278に分類を図示したものがあるのでそれが全体を俯瞰しやすい.
#GramLat
最近VTuberの絵ばかり描いていたのでアイコンを変えられないままだったからちょっとギンギツネに戻してみた
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phpcon fukとわかっててもphpconf ukで脳が句切ろうとしてしまう
‘Yes’相当の,肯定の返事としてetiamを使うことがある.OLD s.v. 5
#GramLat
ギリシア語ではγεが'yes'のはたらきをするケースもある.Denniston, The Greek Particle p.133; Griffith, on Aeschyl. PV 254. #GramGr
さっき見はじめたらちょうど墓場先生のところだった
#mastodon_meetup
どの本が私の私物でどの本がそうでないか区別がつかないので名札でも張るべきだという話は前からあって、そろそろやるかという気持ちになった(真ん中に何を描くかが決まらない)
蔵書票かっこいいので作りたいと思いつつ作れてない.
うちは古書が多いので前の持ち主だった学者も見返しにサッとサインするだけの人や丁寧な蔵書票を張っている人や色々いて眺めるのも楽しい.
最近は大学図書館も余裕がないのか,かなり著名な学者が亡くなった場合にも蔵書を文庫のような形で取り入れることは稀で,そのまま古書店に流れることがあるのでうちにもそういう感じの本が幾冊か.
「誰それさんが持っていた何々という本の欄外にこういう書き込みがある」という情報が意味を持つアレな業界なので助かるといえば助かるが少しばかりしんみりともする…
@omasanori καιにも重アクセントをつけてκαὶとされますとなお良いかと思われます.