Émile ChatelainのPaléographie des classiques latinsは写本画像・本文がここで読める.
https://digital.library.illinois.edu/collections/8118b3f0-e3fb-012f-c5b6-0019b9e633c5-f
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亀さんスピードでやってるルクレーティウス読書会も多少ゆとり(?)が出てきたのでメインのテクスト以外も各自見るようになったがFloresのエディションが人文主義時代の写本や修正について詳しくて助かる.
翻訳もついてるし先々他のエディションが出ても並行して参照すると楽しそう.🐢
ロスターニがピロデーモスの詩学をデ・サンクティスやクローチェの美学理論に比して論じているらしい.
#LaTeX でstemma codicumを書く場合,色々可能性があるだろうけど多分forestパッケージを使うのが一番よさそう. https://gnosia.info/media/zr8QelD-WI0hka9zmE4
都度都度でドキュメント読みながら使ってるわけですが正直どこをどうするとどのように制御できるのかが今ひとつわかってないんですよね,forestパッケージ…
#LaTeX
https://gnosia.info/@ncrt035/496
Italie, G. (1964), Index Aeschyleus, Leiden: E.J. Brill.
三大悲劇詩人の一人アイスキュロスの作品を対象にしたインデックス.控え目にもインデックスと銘打ってあるが,単に用例が掲げてあるだけではなく,ラテン語の語義説明がついていて実質的には辞典として使える.アイスキュロス特有の一つしか用例のない稀語(ἅπαξ λεγόμενα)や難読・破損箇所の解釈に関しても参照して有益.
なお,これ以前のアイスキュロス辞典としてはLinwoodやDindorfによるものがある.
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今日はこれに行ってきました.
リアリズム文学研究会/19世紀文学と「リアリズム」――共時的文学現象に関する文化横断的研究
http://research.kyoto-u.ac.jp/gp/201703/
当初村松先生のダンテの話を聞きに行くのがメインのつもりでしたが,こう言っては語弊があるけれども,全体として門外の人間が予想していたより遙かに面白くて充実した研究会でした.
小倉先生は19世紀フランス小説におけるリアリズムの特徴という門外から想像するに非常にややこしそうなテーマを非常によく整理された形で論じられていて勉強になったし,磯崎先生は19世紀のドイツ文学が専門の方で,18世紀や20世紀のそれに比べると地味な感じがするけれども,この時代にはシュティフターという特に個人的に思い入れのある作家がいるのでこのあたりの話を聞けたのはよい機会でした.
あと複数分野に亘るので人名や概念について用語集を資料として配っていたのはとても良い案と思います.
そういえばフライタークはモーリッツ・ハウプトについても書いてましたね.
https://archive.org/stream/gesammeltewerke16frey#page/98/mode/2up
Lexicon Magnum Latino-Sinicum
https://books.google.co.jp/books?id=rOBoAAAAcAAJ&hl=ja&pg=PP7#v=onepage&q&f=false
Asmis, E., 'Epicurean Poetics', in D. Obbink(ed.), Philodemus and Poetry: Poetic Theory and Practice in Lucretius, Philodemus and Horace, 1995: 15-34.
主にプルータルコスなどの証言からうかがい知れるエピクーロスの詩に対する態度は必ずしも肯定的なものとは言えない.曖昧さのない明晰な言葉を重視した彼にとって娯楽としての詩はともかく教育の手段としての詩は容認しがたいものだった.
しかしこうした考え方はその後も墨守されていったわけではなく,時代の経過とともに徐々に変化を被っていく.その中で特に重要な転換点となったのは詩の道徳的価値を一定程度認めまた自身も詩人であったガダラのピロデーモスであった.
エピクーロスからルクレーティウスに至るまでのエピクーロス派の詩論の全体像をわかりやすくまとめてくれている論文.
Asmis, E. (1992), `Philodemus's Poetic Theroy and On the Good King According to Homer', Classical Antiquity 10(1), 1-45.
エピクーロス派の哲学者で詩人のピロデーモスには『ホメーロスに照らした善き王について』というピーソーに捧げられた小論があり,これはホメーロスの叙事詩の中に善き指導者像の範を探るという内容で,詩の教育的価値に否定的だったエピクーロスの思想と一見相容れないようにさえ思われる謎の多い作品である.
Asmisはこの作品におけるピロデーモスの態度を,詩の中には道徳的に有益なものも含まれており哲学者が導きとなればそれを析出することができるというものと考えることで,むしろ詩の有益さに関してエピクーロス派の正統の枠内にある作品であると論じる.エピクーロスが斥けプラトーンが国家から追放したホメーロスを,ピロデーモスはローマという都市へ連れ戻したとの指摘(p. 27)は興味深い.
なお附録として『ホメーロスに照らした善き王について』の英訳が付いている.
GS / Mastodon やるようになって、平和的な投稿がより GS / Mastodon に集中して、 twitter はクソみてえな話題を扱う専用の場みたいな感じになりつつある(実際はえっちな画像も RT しまくってるけど)ので、 twitter が平和だった時代はこの役割を 2ch が持っていたのかなぁという気持ち
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世間知らずなので予算使い切るときピッタリの金額のものを買わないといけないのかと緊張してたけど,限度額以上のものを買って残額打ち切り支給で立替払いすればいいという知見を得たのであった.
そういえばルクレーティウス『事物の本性について』のFlores版はM. Gigante編集のLa Scuola di Epicuroシリーズの一部であるということもあって(?),ヘルクラーネウム・パピルスの扱いにも肯定的だからそういう点でも先々よいオルタナティブになると思う.
The Friends of Herculaneum Society
http://www.herculaneum.ox.ac.uk/
ピロデーモスをはじめとしてヘルクラーネウム関連テクストについての研究文献はThe Books from Herculaneumから一覧できる.
http://www.herculaneum.ox.ac.uk/papyri/other-resources/books-herculaneum
中の人がおじさんだとしてもorだからこそ好きって本当の愛なのでは(またしても解脱に一歩近づいた)
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Roman Reflections: Studies in Latin Philosophy, Oxford UP 2015.
ルクレーティウス,セネカ,アープレイウスはじめもっとマイナーなあたりもピックアップされている,`Latin Philosophy'に焦点を当てた論文集.買うか…
https://www.amazon.com/Roman-Reflections-Studies-Latin-Philosophy/dp/0199999767
Fondazione Giovanni Pascoli
イタリアの詩人ジョヴァンニ・パスコリ(1855-1912)の生涯,研究文献,エディションなどが確認できる.
Giovanni Pascoli nello specchio delle sue carte
こっちのArchivioではパスコリの草稿などを閲覧できる(!)
「エウリーピデースは大地を夢の母と呼んだ.その理由は――古註家によると――大地から食物が得られ,食物からは眠りが生まれ,そこから夢が生じるから」
Euripide chiamò la terra madre dei sogni, perchè dalla terra, dice il suo Scoliaste, si hanno i cibi, dai cibi si genera il sonno, da questo il sogno.
(レオパルディ『古代人に共通の錯誤について』第5章より)
手元にあるレオパルディのテクストにはこの箇所に関する註釈は何もないが,エウリーピデースが大地を夢の母と呼んでいるのは『ヘカベー』70-71行
ὦ πότνια Χθών, μελανοπτερύγων μᾶτερ ὀνείρων,
《主なる大地よ,黒き翼の夢の母よ》
のことだろう.
エウリーピデースの古註として通常参照するのはSchwartz校訂のもの(https://archive.org/stream/scholiaineuripi00schwgoog#page/n39/mode/2up )であるが,書かれてあるのは夢が大地や冥府から来るという話で,問題の記述より随分簡単なのが気にかかる.
Schwartzが基づいた写本の数は少なく,ビザンツ時代のスコリアは省かれているようなので,これに関してはDindorfのものを見る必要がある.そちらを見てみると,詩人が大地をそのように呼んだ理由の一説としてぴたりと同内容の記述が見つかった.
μητέρα τῶν ὀνείρων εἶπε τὴν γῆν ἢ ... ἢ καθ'ἑτέρους, ὅτι ἐκ μὲν τῆς γῆς αἱ τροφαὶ, ἐκ δὲ τῶν τροφῶν οἱ ὕπνοι, ἐκ δὲ τῶν ὕπνων οἱ ὄνειροι·
(https://archive.org/stream/scholiagraecaine01dind#page/236/mode/2up )
先日もちょうど,語源などに関して今の言語学が与える説明よりも,たとえ間違いだとしても古代人や中世人にとってリアルに感じられた繋がりがどのようなものかを知る方が作品の理解に資する場合がある,という話になった.
探究するものが真理か世界観かで随分事情が違ってくる.
今読んでいる文献は大体ヘルクラーネウム・パピルスを積極的に評価する意見のものに偏っているので慎重派の見解にも触れておかないとバランスが悪くなってしまう
これはあまり詳しく検討したわけではないのでメモ程度.
ルクレーティウスは『事物の本性について』を《誠実な熱意で貴方に捧げる贈物mea dona tibi studio disposta fideli (1.52)》と形容している.
このdispostaをBaileyはset forth, Floresはposti innanziと訳しているけれども,disponoが持つ《配置する,整理する》というニュアンスはもう少し強く取ってもよいように思われる.というのも,形式と内容の一体性を重視し詩作を織物のような複合体と考えるピロデーモス詩学とのかかわりを考えると,真理へと導くべく適切に整えられ配置された詩であることは欠かせない要件になるだろうから.
この点でRaccanelliがi miei doni, composti per te con devota premuraと訳しているのは興味深いと思う.
ギリシア語のσύνθεσιςにはラテン語はcompositioもdispositioも対応する.
第2巻でキュベレーやクーレーテスの伝説に話が及んだ際,
quae bene et eximie quamvis disposta ferantur,
longe sunt tamen a vera ratione repulsa. (2.644f.)
《こうしたことはいかに上手く見事に整理されて語られようとも,真理からは遠く離れ隔たっている》
と言われているのも,外面的・形式的に立派で魅力があっても内容が相応しいものでなければいけない,という観点から解釈する道もあるかもしれない.
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開幕GitHubの話でオッとなって「実は『将棋ソフトを売る』マーケットが十年くらい前になくなったからなんです。強すぎて誰も買わなくなりました。マーケットがないので利害関係がない。だったら、いっそのことオープンソースにして、みんなで自由にどんどん進化させようという流れになったんです」という話でほえぇってなった|山中伸弥さんが羽生善治永世七冠に聞いた「AIと将棋の未来」 http://gendai.ismedia.jp/articles/-/54421
Piazzi, L. (a cura di)(2005), Lucrezio e i Presocratici: Un commento a De rerum natura 1, 635-920, Pisa, Edizioni della Normale.
ヘーラクレイトス,エンペドクレース,アナクサゴラースといったいわゆる「ソークラテース以前の哲学者たち」を論敵として取り上げ展開するルクレーティウス『事物の本性について』第1巻635-920行を対象にテクストにイタリア語訳と註釈をつけたもの.
哲学的な話題について詳しいのは勿論としてそれだけでなく,文法や表現方法に関しても,たとえばBaileyの註釈が不充分であったり説明していない箇所も補ってくれていて心強い.
Snyder, J.M. (1980), `Puns and Poetry in Lucretius’ De rerum natura’, Amsterdam: B.G. Grüner.
ルクレーティウスにおいて洒落や言葉遊び的表現が作品全体にとっていかに重要な役割を担っているかを論じる.
第1章では言語の起源・発達に関する第5巻の記述とエピクーロス派の説との関わりを見る.第2章は,原子と字母の両方に用いうる語としてelementumが使われていることに着目する.ギリシア語のστοιχεῖονが「字母」として使われるのはプラトーンが初出で,エピクーロスがこうした言葉を使ったかは定かでないが,特にデーモクリトスが自らの原子論を説明するため言葉遊びを利用したことからこの考えがデーモクリトスまでさかのぼる可能性が指摘される.第3章ではルクレーティウス以前の言葉遊び表現をギリシア・ラテン語作品に求め分類する.第4章ではそれに基づきルクレーティウスの表現をfigura etymologica, paronomasia, double entendreの3つに分類していく.最終章ではそうした表現が個別の文脈・作品全体の中で持つ働きとして,論敵に対する皮肉,重要な論旨の強調,複合的な意味の付与といった点が挙げられている.
多段組み時の最終ページでカラムの長さをそろえたいときはnidanfloatパッケージが便利.プリアンブルに\usepackage[balance]{nidanfloat}でOK
ギリシア悲劇・喜劇のスコリアの,特に舞台上演関係の事柄についての研究
Trendelenburg, A.(1867), Grammaticorum graecorum de arte tragica iudiciorum reliquiae.
https://archive.org/details/grammaticorumgr00trengoog
Weissmann, K. (1896), Die scenischen Anweisungen in den Scholien zu Aischylos, Sophokles, Euripides und Aristophanes.
https://archive.org/details/diescenischenan00weisgoog
Malzan, G. (1908), De scholiis Euripideis quae ad res scaenicas et ad histriones spectant.
https://archive.org/details/descholiiseuripi00malz
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昨日の発表スライドです.|ルクレーティウスにおける詩と世界のアナロジー https://speakerdeck.com/ncrt035/lucretius-analogy-between-poem-and-universe-jpn-1
『ラテン詞華集』(Anthologia Latina)の研究で知られるペルージャ大学のLoriano Zurli教授のIl limen (sottile) tra congettura e restituzione: sulla validità delle congetture ritenute palmari (2016)の書評が来てた(http://bmcr.brynmawr.edu/2018/2018-02-26.html ).古典文献学において大きな位置を占める「推定修正」の限界や問題を扱った本で非常に面白そうなので入手したい.
Baldi, G.D., Moscadi, A.(2006), Filologi e anti filologi: Le polemiche negli studi classici in Italia tra Ottocento e Novecento, Firenze, Le Lettere.
19世紀から20世紀は近代的な文献学の成立とその方法論をめぐる議論が活発に行われた時代であり,とりわけイタリアにおいてそれは近代語(イタリア語)文献・古典語文献両領域にわたって特殊な展開を見せた.クローチェやパスクァーリといった中心的な人物はもちろんとしてピッコローミニからジガンテまで時系列に沿い12人の文献学者たちの著作(の一部)と解説が収録されている.興味深くも複雑な19−20世紀イタリアにおける文献学史の鳥瞰図となる有益な本.
これかな|Full-text search for authorized statuses
https://github.com/tootsuite/mastodon/commit/3ebc0ad4d3c2fe0b0951a334642b769bd521a799
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何気に記事としては今年最初の更新だ|テレンティウスの写本伝承とスコリア -STROMATEIS
https://www.stromateis.info/zib/terentius.html
SNS に月7000円も払うか?じゃあないんですよ、逆になんで Facebook や Twitter が無料で使えてると思ってるんですか
そりゃ我々のプライバシーをそういった企業が商品にして広告主に売っているからでしょう。その価値が年7000円以上か未満かはさておき、プライバシーを売り物にしてさらにその上行動まで規制されて生きているという実感が全くないんですか、という感想だった
スルーするつもりだったけど『デジモンテイマーズ』の小中千昭さんも寄稿しているし結局『ユリイカ』2月号(「クトゥルー神話の世界」)を買ってしまった.
02の「ダゴモンの呼び声」とかは視聴当時も強い印象を受けた記憶があるけどダゴモンのビジュアルとか今考えたらまんまクトゥルフだもんなぁ…
あと,大久保ゆう「古典翻案の継承者H.P.ラヴクラフト」(pp. 211-219)はラヴクラフトにおける西洋古典の影響(ホメーロス,オウィディウス,アラートス,プトレマイオスなど)を扱っていて面白い論考です.
便乗して大昔に訳した『クトゥルフの喚び声』も再掲しておこう.
https://www.stromateis.info/interpr/Lovecraft/Cthulhu.html
Dawe, R.D.(1964), The Collation and Investigation of Manuscripts of Aeschylus, Cambridge University Press.
アイスキュロスの『縛られたプロメーテウス』,『テーバイ攻めの七将』,『ペルシアの人々』の三作についての写本研究と詳細な校合記録.
三大悲劇詩人の写本研究としては先にTurynによるものがあるが,彼の研究がきれいに写本系図を描きだせるというものであったのに対し,Daweは「混成contamination」の存在を指摘し個別の写本グループに真正な読みが保存されている可能性を検証する.
要所要所でパスクァーリからの影響がうかがわれ,Storia della tradizione e critica del testoへの言及があるのは興味深い.
site検索とかも利用するので現状はそのままだけど,自分の投稿の検索機能がいい感じに実装されたら「検索エンジンによるインデックスを拒否する」設定にしてもいいかもしれない.
アルフレッド・エドワード・ハウスマンの叙情詩人として紡ぎ出す世界と学者として見せる辛辣極まりない態度とのギャップはこの人物を知った最初のときからずっと興味を持っているのだけれど,詩の方はまとまって読める一方,芸術の域まで高められているとさえ思える皮肉・悪口――K. Volkは彼のほかの学者に対する攻撃をvitriolicと形容した――もある程度まとめて読めるようにしたいので気になったものをタグを付けて集めておこう(基本非公開になるだろうけど).
#Housmannus_maledictor
It would not be true to say that all conservative scholars are stupid, but it is very near to the truth to say that all stupid scholars are conservative. (M. Annaei Lucani Belli civilis liber decem, 1926: xxvii)
《全ての保守的な学者が愚かだと言うのは真実ではないだろうが,すべての愚かな学者が保守的であるというのは非常に真実に近い》
#Housmannus_maledictor
読んでる.「さくらのVPS 512 MBでも余裕というのは魅力的.
Pleromaの開発環境を作る – 墓場人夜
https://hakabahitoyo.wordpress.com/2018/02/14/pleroma-develop/
パーティションを切るときに HDD じゃなくてインストールメディアのほうのパーティションテーブルを上書きしてしまった模様
@ncrt035 図書館で写本を見にいったら閲覧者の記名帳に大学者ハイベアの名前があった話とか面白かった.
assets:precompileで時間はかかったけど今回は特にハマらなかった.というか前回がやっぱ何か異常だったっぽい?
もしかしてFont AwesomeにまだPixivのアイコンってない?
https://github.com/FortAwesome/Font-Awesome/issues/5093
ピロデーモス『詩学』第5巻のテクストは今日ではMangoni, C.(1993), Filodemo: Il quinto libro della Poetica, Napoli, Bibliopolisが用いられる.
これの英訳はObbink, D. (ed.) (1995), Philodemus and Poetry: Poetic Theory and Practice in Lucretius, Philodemus and Horace, Oxford University Pressに附録としてD. Armstrongによるものが入っている(pp.255-269).
マストドン検索ポータル復活してた.
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1802/22/news147.html
明日はこれ.|関西イタリア学研究会第38回例会 西島 順子「トゥッリオ・デ・マウロと言語教育——1970年代のイタリアの言語教育におけるplurilinguismoの萌芽——」
https://sites.google.com/site/associazionestudiitaliani/conferenze/di38huilihui20180225
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しかしこうなるとパスコリ晩年の家を訪れなかったのはかえすがえすも悔やまれるな… 「町の反対側だし遠い」とか言ってハイパー出不精モードになってたけど,そんなもん左京区からに比べりゃ圧倒的に近かったのにね.
読む|GitHub に AWS キーペアを上げると抜かれるってほんと???試してみよー! https://qiita.com/saitotak/items/813ac6c2057ac64d5fef
ギリシア学者エネーア・ピッコローミニ(1844-1910)について調べていた.
Piccolomini, E. (1883), Sulla morte favolosa di Eschilo, Sofocle, Euripide, Cratino, Pisa.
https://books.google.co.jp/books?id=P39fAAAAMAAJ&hl=ja&pg=PP3#v=onepage&q&f=false
せっかく今日面白い話を聞いたので.
今でこそ,ひとつの地域に多言語があるという意味での「多言語併存multilinguismo」と個人の多言語使用という意味での「複言語主義plurilinguismo」との違いが意識されるが,両単語についてGoogle Ngram Viewerで調べてみる.
plurilinguismoという言葉はイタリア語としてはジャンフランコ・コンティーニがペトラルカと比較してのダンテ『神曲』の言語的特徴について用いた表現として特に有名で(Preliminari sulla lingua del Petrarca, 1951),グラフでも1950年あたりから上がってくるのがわかる. https://gnosia.info/media/r4AMUmTRzJ2ktmCxd1Y
Edwards, C. (2002), `Acting and Self-actualisations in imperial Rome: Some death Scene', in Greek and Roman Actors, Cambridge University Press: 377-394.
人間の社会生活を劇・舞台に喩えること自体は古いものだが,特にこの考え方はストア派,なかでもパナイティオスのpersona論(これはキケローが『義務について』の中で論じている)が導入されたローマにおいて大きく展開される.つまり舞台における役者の「仮面persona, πρόσωπον」とこの世界の中で各個人に割り当てられる運命とが重ね合わされ,賢者が自分に相応しい役を演じきる優れた役者に喩えられたり,常人の一貫性のなさが様々な仮面を取替え自らを偽る様に準えられたりする.
そしてこの生を劇と捉える考え方はストア派にとって重要なテーマである死(特に自殺)を論じるにあたっても用いられている.こうした「舞台の比喩」が特に帝政期ローマの哲学著作においてどのように使われているかを取り扱った論文.
そういえば去年出たこれの英訳を結局入手してないけどどうだったのかな.国文社の『古典の継承者たち』とかは再版されない様子だからこういう新しい本の邦訳が行われても悪くはないとは思うのだけれど.
https://gnosia.info/@ncrt035/455
Kleve, K. (1989), `Lucretius in Herculaneum’, in Cronache ercolanesi 19: 5-27.
1988-1989年にかけて顕微鏡検査にかけられたヘルクラーネウム・パピルスにルクレーティウス『事物の本性について』の断片が含まれていることを報告する論文.さらに著者によればこの中には通常の写本伝承に含まれていない詩行も見られると言う.
同定の方法,書字の特徴が述べられた後,問題のパピルス断片の転写・図・写真画像が収められている.
断片の保存状態は悪く読み取れるテクストも少量で慎重な扱いが求められるが,著者はこの発見がルクレーティウスとヘルクラーネウムのエピクーロス学派との関わりを強く示唆するものであると考えている.
実務に役立つ英文組版 〜考え方とその実践手法〜
2018.03.15(木)19:00~20:45
https://www.vanfu.co.jp/vf/seminar/194th
雑魚なので本番環境テスト中にローカルの設定ファイルでリモートのそれを上書いてしまうなどしてた
読んでる |
労働法制改悪反対の現場集会を|コラム|JAcom 農業協同組合新聞
http://www.jacom.or.jp/column/2018/02/180226-34701.php
すごい.「男女の差についての話は絶対に盛り込みませんでした。『女の子だから』『男の子だから』といったセリフもやめてもらっています。『関係ないじゃん』という気持ちで作っていましたから……ここまで気を使ったアニメは私にとって初めてでした」|男女に差なんて、ない プリキュア生みの親、秘めた信念https://www.asahi.com/articles/ASL2W65XCL2WUTIL04V.html
ところでこれはソポクレース『オイディプース王』本篇の方ではὀρθός《まっすぐな・ちゃんとした》やὀρθόω《まっすぐにする,正す,たて直す》という語が印象的に用いられていることと考え合わせても面白い.
病に冒された市を「まっすぐな状態ὀρθός」にたて直すため最善を尽くした末に最悪の結末に至るという劇が「斜めの・曲がったπλάγιος」表現によって綴られている.
「マストドーン」とか「プレーローマ」とか発音してると「おっ同業者かな?」ってなりそうだけど今のところこれらの単語を肉体によって発している人に出会えていない.
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最近界隈が賑やか(な気がする)なので僕もpleroma立ててみたくなってきた