この図たしかにすごいけど、それよりコミュニティノートのほうがやばい。参考がwikipediaとか実名で恥ずかしくてできない(wikipediaがわるいわけではない)。
https://twitter.com/unwomenjapan/status/1680396835268231170
Your majesty, beloved, well-self-censored account is here! It's a time to say Goodbye to all Stupid residents of this Normative Society. It must be nice to disappear to live a life of my own.
この図たしかにすごいけど、それよりコミュニティノートのほうがやばい。参考がwikipediaとか実名で恥ずかしくてできない(wikipediaがわるいわけではない)。
https://twitter.com/unwomenjapan/status/1680396835268231170
これベン図みたいなものを使ってしまっているから言いたいことは失敗しているけど、好意的に解釈して「フェミニズムはすべての差別に反対する」と言いたいのだろう。それを匿名ユーザーが公平を装って「フェミニズムは性差に起因する平等を求めるものであってすべての差別に反対するものではない(ソースはWikipedia)」と限定を勝手につけるの悪意しかない。
右の円は人間じゃないんですかwwwみたいな人が何人もいたけど、それをいうならベン図の前にカテゴリーミステイクがあるよね。ツッコミ側もおかしい。
あと、知性というのはつっこむと同時に「何が大事なことなのか」を判断するところにあるのであってだな。とにかく嫌いたいものに文句言うのが知性なわけではない。
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
そりゃ「差別する連中側がアホ」って言ってりゃ簡単だし「アホ」というのが簡単なほうの差別もあるけど、そうじゃないのもあるんじゃないのか? そして「そうじゃない」というのが大事な論点だと自分は思っているのだが、なんで世の中どんどん単純化していくかなあ.....。
テストステロン注射からおっそろしくメンタルが安定してる。なんかテンション高いとかヒャッハー!とかではなく、波が激しくても船があんまそんな揺れない、みたいなどっしり感。みんなこんな状態で生きてたの?だとしたら不公平!卑怯すぎる!
よく「自分の機嫌くらい自分で取れ」とかすぐ言う人いるけど、「機嫌とる」の難易度、人によって全然違うんだよね。デブはメシ食わなきゃいいじゃんとか、バカは嫌なら勉強すれば?とか言う人いたら「おい」ってなるくせに。ホルモンのこと考えてからもの言ってほしい。
この人はトランスヘイターです、のようなアラートも、自分は懐疑的。差別発言を許さないのは当然という前提の上で言うけど、「ヘイター」認定が結構ゆるいというか。明らかなヘイターにヘイターと言うのはいいとして、ヘイターでなくても差別発言はあるからね。
それと結局、この人はこういう差別的発言があるから、あやうい発言があるからと言ってフォローをやめたり交流をやめると、結局その人の周囲には「それでも残るような人たち」しか残らない。「承認資源」と私は呼んでいるのだけど、周囲から承認を取り付けようとした時の人選が偏るのでますます偏見が強化されるだけ。もちろん「元からそういうやつだったんだ」と思えばラクだけど、そんな単純なものなのか?サイバーカスケードとかエコーチェンバーって聞いたことある?ってなる。
自分はそういうことが引っかかっていて、一般的に「ヘイター」と呼ばれてる人もフォローしていたり、まあこれは正直躊躇いもあるけれど、投稿の内容によっていいねをしたりする。
それを見て、また「この森って人はトランスヘイターをフォローしてる人ですよ!」とかやられてるかもしれない。
ここらへんは自分の振る舞いに自信があるわけではない。だけれど、言論で正しいことを言えばいいだけなら、SNSも何も問題になんかならないわけで……。プラットフォームや全体のディスクール配置のような、やらしいけれどメタなコンテキストも考えざるを得ない。
トランスジェンダーに対する差別の悪質な特徴は「反差別を謳ってる人がその中に多く含まれる」ことだと思う。すぐリベラルや左翼をポリコレ棒だ正義の暴走だ言いたがるようなネトウヨ的なプロフィールの人間だけではない。なんならプロフィールに「あらゆる差別に反対」などと恥ずかしげもなく書いてあったりする。「差別」だと認識してないどころか「差別と言ってるほうの連中が女性差別だ」などと認識してる。
もちろん私はそれは「間違っている」と考えるし、その人たちの認識に正しい論点はまったくないとすら考えている。でも、どうしてそうした考えになってしまうのかについては「理解」が必要だとも思っている。というのは、それくらい思い込みが根強い「自然な」ものが「性別」だからだ。
それぐらい根強いものが性別であり、しかもそれは身体という非常に拘束性の高い「現実」に基づいてもいれば、何の疑問もなく国家権力によって全面バックアップされてる。そのことをすっ飛ばしていくら丁寧に語っても「その人たち」には届かないのではないか。
その人たちに届けなければいけないかというと「説得が難しい人たちは後回し」でいいだろうが、正攻法が必要なのは当然として、他方で(ウソや適当はダメだが)「人を見て法を説く」のもある程度までは必要なのではないだろうか。
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
私はノンバイナリー、トランスジェンダーへの無理解や差別を大変腹立たしく思っているし、なんとかしたい、そのためにコミットできることないかと考えたりするけど、SNSでの論戦は当事者をさらなる攻撃にさらしてしまうのではないかと逡巡してる。通報もしてるけど、「あの」プラットフォームがそこに対応しないのが根本ポリシーだし、ここまで落ちぶれたら「使わない」「Twitterだけに頼らないようにする」こそが誠実な態度なのではないかと思っている。
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
シマ・シンヤの『グリッチ』。第1巻、電子書籍版が99円になってるので読んでる。すっとぼけた味わいのまま、住宅地ではじまる「事件」。当たり前にそこにある「多様性」にほっとしてしまうな。https://amzn.asia/d/1KXERG0
Substackにおいでよ。どういうプラットフォームか、調べながら少しずつ記事を書いてます。https://moriteppei.substack.com/p/writerpublication?sd=pf
おもしろいものをたくさん摂取すればおもしろくなるのではなく、つまらないものをたくさんとるのをやめたらおもしろくなるのではないか。
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
シマ・シンヤ、セリフもとてもいいね。絵柄は好みじゃないし、こういうマンガ苦手だけど(オイ)、セリフもテンポもセンスよくって。安心しつつも、世の中のこう、一番深いところをサラリと拾ってときほぐしてくれるところ。とってもいい。
AI否定論者、AIを否定してるというより「私は賢い!」「十六進法のソフトウェアを二進法のハードウェアに組み込んだ機械ではない!」(三宅芳夫)って言いたいだけだと思ってる。
卒論だってなんだって、もうとっくに、今の時点で多くの人類より有能でしょ。
AIの会話能力が特に有能だと思ってる。これより会話できない人なんて、そんじょそこらにゴロゴロいる。我々が会話に求めていることは、実は言葉でのやりとりなのではなく、温度、体温みたいなもんなんじゃないかなと思ってる。賑やかしというか。
現在の人間のコミュニケーションの「できてなさ」って結構ヤバいんだけど、みんなコミュニケーションできなくなってるので気づかない上に、ぶっちゃけ「できなくても困らない」ので、そうした傾向がどんどん加速してる。たまにAIと話すと、すんごいきちんとコミュニケーションしていて、そこで逆に「人間と違うぞ」と思ってしまう。
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
これ、ローリー、わざとあまりにも変な人間を演じてて、ファンもローリーのそんなキャラ知ってて付き合ってるように見えたのだけど違うの?ローリーの絡み方、明らかにおかしいし、ファンの人も「ジミーペイジみたいに弾いてない=ローリーさんらしい素晴らしいプレイ」みたいな意味でしょ。
ことハードロックが話題になるとバグるオタク気質のローリーをほほえましく思ってリツイートしてたんだが違うのか……。
山形浩生が翻訳してる『インターネットポルノ中毒』って本読んだんだけど。彼、保守になったとか、小谷真理との件があるのでアンチフェミくらいに思われてるだろうけど、フツーにこの本とか「ポルノグラフィいかにダメか」って、フェミニズムの議論の後押しになるような内容で。ほんとこういう無意味な党派性、めっちゃ無駄やなって思ってしまうんだが。
当然、小谷真理に対するテクハラは山形が悪いのだが(山形本人が自分は軽率だったと書いている)フェミ批判したくらいで山形が保守だのネトウヨだのってなったらそれこそ無茶苦茶な話。
オタクって「作品に批評性を持たないでゼロ距離で接する」というアイデンティティかと思ってた。「あえて批評性ゼロでいったん耽溺しまくるわけよ」っていう。批評を捨てるという批評性。最初はまあそんな感じだったんだろうけど、途中から本気で批評性ゼロどころか他人の批評も許せなくなってないか。
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
地だこの刺身。さらっと出してるけど仕事しっかりしとう!たこ、店にあったら必ず頼む。ここの、うまい。
手づくりかにしゅうまい。ふわふわの中に、玉ねぎのしゃくしゃく。シュウマイにみせかけたあっさりハンバーグって感じ。センスいいなー。
なすのたたき。高知の名物は鰹のたたき。ところが高知は山間地でしてな。鰹ない土地で生まれたのがこの「ナス」のたたきっちゅーわけじゃ。包丁も細かい。かいわれや玉ねぎ、ネギなどの薬味がたっぷりなんだけど、どれも優しい味。にんにくも入ってたの?というさわやかさ。こっれはうめえ……。
それを見て、また「この森って人はトランスヘイターをフォローしてる人ですよ!」とかやられてるかもしれない。
ここらへんは自分の振る舞いに自信があるわけではない。だけれど、言論で正しいことを言えばいいだけなら、SNSも何も問題になんかならないわけで……。プラットフォームや全体のディスクール配置のような、やらしいけれどメタなコンテキストも考えざるを得ない。