Substackで記事書きました。とりあえず「Substackの楽しみ方」ってことで、ざっくりどういうサービスかとか、各機能どうなってるのかを順に紹介していくつもり。まずは記事読んで、アカウント作ってフォロー(サブスクライブ)してみて。
https://open.substack.com/pub/moriteppei/p/substack?r=2km5g5&utm_campaign=post&utm_medium=email
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全然動けてるし1ヶ月お風呂入れないとかそういうのではないので、鬱とかではなく、ただの根性、やる気なしです。
達郎叩いてる人間にも腹立ってる。お前らもジャニーズが「どういうとこか」知ってて、あるいはなんとなく知ってて消費しとっただろうが。知らなかった??それじゃ言ってること達郎と変わらないんだが……。ジャニー喜多川が「そっち」だってさんざテレビでネタにしてたし、ジュニアや若い子に声かけてるってのも、テレビで何度も「ネタ」にされてたでしょう。達郎の対応には腹が立つが、無責任な立場から自己反省すらなく投げられる言葉には腹が立つ。
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フツーに考えて、県庁での「出世」は絶望的でしょ……。職場でも居心地悪いんじゃないかと想像する。てか、徳島で「徳島新聞」どころか全国のニュースになるとか地獄だよ……。みんな笑顔で接してくれるけど、後ろで「あの人やて」ってやってる。ますますSNS、っていうかTwitterに没頭するしかなくなる……。
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あなたは地方の出身ですか?その地方って噂話とかヤバないですか?それの2倍か3倍くらいを想像してもらえればいいです。徳島の「それ」は「光回線」などとも揶揄されておりまして。なんてったっていつも「誰かって誰かの知り合いの誰かなんやて」をやってる。そんなとこで県庁職員やってるようなかたーい人間が全国ニュースになって、フェミニストを中傷して敗訴やで……。
自分もsubstackはこれから少しずつ使っていってみたいのと、mastodonは利用減らすにしても使っていきたいけど、Twitterは「なくなる」だろうし、threadsはこちらがコントロールできることがなさすぎるのでいいかなって感じ……。全体的にもうSNSはこりごりって感じです。これからも吐き出し、壁打ちに使うだろうけど、多数に向かって話しかける言葉はない。
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青識は本当にヤバくて、県庁職員なので憎悪をマネタイズしてないんだよね。ただの憎悪。その憎悪も、究極、青識はフェミニストなんかどーでもいいと思ってる。女性の権利が拡充することに本来特に何も異論もなさそうだし、表現の自由なんかもマジでどうでもよさそう。あれ、ハッキリ言ってしまって「徳島が退屈」以外に動機がなさすぎるのが恐怖なんだよね。こんなこと言ってもたぶん都会のみなさんは理解されないでしょうが。
自分の論理展開を評価してもらえる場所が欲しかった。ただそれだけなんだよね……。その気持ちはめちゃくちゃわかるのよ。徳島いると途中のロジックなんか誰も聞いちゃいないので。「ツッペラコッペラ(つべこべ)言うとるでえ」「ほな、どしたらええん。答え、どっち?」。マジこんな感じなので。
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まあ普通に生きてたら、特に田舎で生きてたら、そんな「ブリブリ論理いわす」みたいな機会ないし、なんならそれがネックで「あいつはめんどくさいかしこ」「無視でいい」とかなりかねないんで、ネットで「さすが青識さん!」って言われたい、いいねやリツイートつくのが気持ちいいって気持ちはめっちゃわかるんだよな。
私もSNSではめっちゃ喋ってる、言葉多いと思われてるだろうが、地元では
ほやね
三文字くらいしかしゃべんないです。
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ラストは「ネガティヴ」な解釈してる人初めてみたかも。一応ネガティヴにも読めるみたいだけれど、監督も脚本家もそこは明確に否定してるそうです。
私は脚本が素晴らしいと思いました。監督の映像も素晴らしい。先日、シンラの記事でも触れられていましたが、「ベビースターラーメン」のような小さな描写もとても繊細に描かれていて好感持てます。
セクシャルマイノリティ要素は入れなかったら入れなかったで作品の過失にされます。この映画のテーマはマイクロアグレッションだから。それなのにセクマイの話はないんかい!ってなる。かといって軽く触れただけなら「ネタ扱いか」と批判されるはず。中心のドラマにきっちり置くのはむしろ誠実だと思います。
問題はなんなんでしょうね。ほんとこの監督って嫌われてますよね!!!
すごい悪意をみんなかはぶつけられてるので、自分もだんだん是枝裕和が嫌なやつに思えてきて、ネットでボロカスに燃やしてやったほうがいいんじゃないかって気持ちになってきました。
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男性同士でケアするのが弱者男性の救い論もウザい。もうやめませんか。そんなことしてもなーんにもならん。大事なのは強制的異性愛を強いてくる家父長制の破壊および資本主義の妥当であって、同性同士でケアしたらなんたらみたいなレベルの悩みじゃないよ。
男同士でケアとか、多分あれ、なんにもならん。なんか某フェミニストが、著書で、男性同士の慰め合いを「ホモソーシャル」とか言ってて、まあ、男性同士でそういうことやったらそういう評価になるとか、性別による行動評価の変更でしかないなと思った。
そもそもが「男性同士でケアとかさせなくしてる」として、それをしてるのは現在の社会システムなのだから、それなのに「男同士で」みたいなの、要は「男は無理してでもがんばれ」みたいに聞こえて好きじゃない。
以前最近やたら男性論ばっか書いてる杉田俊介(とっくにブロック済み)の本読んだら、弱者男性はそれでも痛みに耐え、たとえ意味のない人生だったとしても、それでもただ歯を食い縛るのが矜持……みたいなこと書いてたので「なんかその態度がむしろマッチョでは」と本の感想呟いただけで、杉田ガチギレしてたので、なんかもうこの手の話はちょっとやべえな、って思ってる。
あと、ぶっちゃけた話するけど、男同士でケアとかしたい?私はしたくない!あいつらは話聞くのもヘタクソだし、おもんないし、それが嫌だからこっちは逃げてきてるっつの。もちろん「女の人にケアしてよ」とかも違うと思うんだけど、むしろ相手が誰かというよりコミュニケーションのスタイル、それをどんどん他者から学んでいくことが大事なんじゃないかと思ってる。
男性の「こうであらねば」はそれが女性解放を目指す文脈においてすら、どことなく禁欲的でマッチョなので、そんなん続くわけないし、できるわけないと思っちゃってる。
別に男同士のケアが悪いわけではなくて……上手く言えないな。男性がケアしてくれてもそんなのはもちろん助かったり気づきになったりもするんだけど、でも、下手なやり合いをしても意味ないし嫌だなってそう言うことなんだけど。
一回、二回じゃないよね。ジャニーさんが「そっち」みたいに「ネタ」にされてたのって。そして彼が権力者だって情報もたくさん出てた。さらに「__はジャニーさんのお気に入りで」みたいな話もめっちゃ出てた。タッキーの話とかもめっちゃあったでしょう。
知ろうとしなかったのは達郎なのか?あなたたちでは。
もちろん、今回の達郎は松尾を突然契約解除したことが問題ないわけで、その点は非難されてしかるべきだと思うけど、SNSで吠えてるような根性なしが、達郎とは違って、取引先やお得意様に文句あるからって取引やめたりとか、そんな骨なんかないでしょう。原発絡みの案件だって、なんならオリンピック需要とかだって「もらえる契約はもらってる」でしょ。そういうのナンボもみてますよ。ただ、ぼーっとしてるので、そこが「つながってる」って考えようとしてこなかったわけでしょ。もうそういうの、一体達郎批判できるような立場かよ。
Fediverse もそうだけど、投稿時にライセンスを選択できるようになるといいのにね
twitterにあまり投稿しなくなったのも、投稿が自分のものではないという理由だった
そういう意味で個人サーバーには安心感がある
Blueskyはやる気がおきないんだけど、コンテンツの管理がどれだけ恣意的かということが気になっているからかなーなど考えている。
Bluesky の規約を見ると、コンテンツはユーザーのものだが、規約によってほとんどの権利を放棄することになっており、かつ責任はユーザーが負っている。
https://blueskyweb.xyz/support/tos
コンテンツ管理が恣意的っていう意味では Fediverse の各サーバーもおなじなんだけど、その恣意性に関してサーバー管理者がポリシーを明示していることが多い。
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これも話はわかるけれど、実際「達郎はもう聞けない」「もう聞かない」って言ってる人、SNSでごまんと見たし、「XについてPと言ってるなんてもうAを消費しない」みたいなこと言う人、毎回めっちゃ多いじゃん。達郎が何言おうが「うっせバーカ」「もうちょい内容ある歌詞書け」くらいしか思わないけれど、「きっと私の音楽など必要ないのでしょう」って言うくらいの根拠はむちゃくちゃあるでしょ。
そもそも達郎がサンソンでなにか言う前から「だとしたら達郎聞けなくなっちゃう」って言ってる人めっさおったろ。
あ、私は達郎のファンではないどころか、あの音楽ほとんどいいと思わないし、あのドメスティックで国内の特定の市場しか見てないし相手できないくせに「私は職人。わかる人だけついてくればいい」ってマニアぶるところとか、マニアぶるくせにでっかいマーケットいってお金稼ごうとするところとか、昔のツイートほってくれたらわかるけど、元から大嫌い。今、ついさっき嫌いになった人とは年季が違うけど、だからって、だからこそ「別にそこつっこまでんいいだろ」ってロジックはほじくらなくてもいいかなと。
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@simostukisizuk @Panda そうなんですよね。しかも、結構そういうことコミコミでジャニーズって消費されてましたよね?
もちろんなんかそれで「みんな悪かったんだ」ってなるのは違うし、これはこれで山下達郎が悪いってのもあるのですが、最近ちょっとてめーのことを棚に上げすぎてる正義ばっかりで、それもどうなん?と自分のこと棚にあげて思いました。
実際、私は「作品と作者は別」ってある意味ではそう思ってるけど、たとえばフィルスペクターの作品を聞いて感銘を受けることもあるけれど、でも、別の意味では作品と作者はやっぱり別じゃないと思ってる。達郎のそういう、言うても江戸時代から進歩一切してない「政治へのコミットはやめましょうよ!=お上に楯突くな」が透けて見えて、だからその分、音楽ダサいって思ってるし、非政治的に見えて「女のロール」を革命的に書き換えていってしまってる阿木燿子に感動してそっち聞いてる。
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「作品に罪はない」って、たとえば映画に、麻薬で捕まった人が出てるからって放送しないとかは意味わからなすぎるけれど、取引先が少年への性加害をしてることを批判した人との契約を解除するような腰抜けが書いた「硝子の少年」(意味変わっとるやん)とかを今までと同じように聞けるかって言ったら感情的とかそういうことじゃなく、無理よなーって。全然違う話じゃない?
バロウズなんかは気にせず読める(読んでしまっている)けれど、J・K・ローリングはやっぱ「今こいつを支持するとカネがそっちに行き、ますますJKRがトランスを攻撃しやすくするのか.....」って考えてしまうので「作者と作品は別!」のように気軽に割り切りできない。
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SNSでの作品の論じ方に相当うんざりしてる。作品の良し悪しとか、おもしろいつまらないかがわかんない人たちが、政治的に「正しいか」だけでジャッジしている。政治的に正しいかどうかのジャッジは自分はとても大事だとは思うが、それとは別に作品の「優れている点」を、政治的な正しさも大事だからこそ、適切に論じるのが批評だと思うし、そもそもが「政治的に正しいかどうか」というジャッジも、具体的、かつ妥当なロジックではなく、単に多くの人が批判的に見ているから、ってことが多かったりする。でも、それって戦中の箝口令みたいなもんで、まったく自由な批評精神と異なるじゃないかって思ってる。でも、もうこういう意見も「差別者」みたいになってたりする。
たとえば「すっごくいい作品!」て言われてるので見てみると、政治的には「正しい」、もしくは「正しくない」ことがゼロなんだけど、作品のクオリティがめっさ低いってことがしょっちゅうある。自分はそういう作品に対しては「でも、おもんないっすね」とか「音痴すぎません?」とか思うし言ってしまう。それが言いにくい空気こそ政治的に大問題だとも思ってる。
あと、褒めたり高く評価すると「好き」「ファン」「そっち陣営」みたいに見てくる人にもウンザリ。自分は、嫌いなクリエイターですら作品によっていいと思うし、その逆もある。
自分は自分の鑑賞眼に結構自信持ってる。それを言うとよく「なんでそんな自信が持てるのか」(独断なだけだろ?)と言われたりするのだが、別に大したことしてない。単に「いい」と思ったか「よくない」と思ったかという、そのシンプルな感覚を受け入れた上でモノを言ってるからってだけ。作品が「鑑賞できてない」人は、たいてい「褒めるべきか」「けなすべきか」から入ってる。作品じゃなくて、周囲の顔色うかがってるでしょ。だから、そりゃそういう鑑賞になるよね、自分はそれしないから正しいよってだけ。
ちなみにどっちかわかんないときは「おもしろいかつまんないかどっちかわかんなかった!」って正直に思うし言う。だから「はずす」ことがないってだけ。事実の認識で間違うことは多々あるけど、感覚として外すことがない。
みんな「無農薬有機農法で作った認定野菜。真面目な高橋さんが何十年も工夫に工夫を重ねてつくりました。高橋さんは原発にも反対しています」って書いてあると「おいしい!」って言うのよ。自分は高橋さんを応援するかもしれないが「でも、この人参、味しないっすね」って平気で思うし言っちゃうってだけ。
前見たときは全然よくなかったんで「つまんねー」って言ったのに、あらためて見てみたらめっちゃよかったとかもよくあるから、それをそのまま言ってる。実際、飲食店とかそういうことめちゃくちゃある。「あそこは味が落ちた」とか言うんだけど、単にその日の自分のコンディションが悪かっただけとか。
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先日も、某「政治的に正しいアーティスト」の曲聞いたけど、歌がへったくそでバックもただただうるさくてつまんなかったのでそう言ったのだけど、あとで別の曲聞いたら歌も演奏も結構よかったので「歌も演奏もいいな」って言ってしまい、他の人から見たらなんだこいつって感じだけど、でも、ほんとそうなんだからしゃーないやん、って感じ。
だから作品について論じてるのに、作者が誰だとか、その誰は別に誰それをプロデュースしててとか、別のインタビューでこんなこと言ってて.....とか、すぐ「そっち」にばかり話持ってく「批評」も「いや、それはあくまで補助線であって。作品そのものを語ろうよ」って思ってしまう。
本だって、わかんないところあったら、わかんないその箇所を、次にその前後を精読するのが先でしょ。突然、「この作者が出して食別の本では.....」みたいなこと言う人ってちょっとなあって思ってる。
で、みんな「政治的に安全」(間違えたこと言ってないと他人がみんな認定してくれてる)人のみをたんたんとシェアしてく、みたいな。そういうのも自分は大変不誠実な政治的態度だと思ってる。
その先にあるのは、自分の支持者、オーディエンスにばかり通じる言語で、そっちにウケることだけを繰り返す態度で、それって君らがなんたらアノンだの、青いほにゃほにゃ界隈だの呼んでる相手とまったく一緒やからな。
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「弱者男性」って単純に多くの問題、お金でざっくり解決するので、単に経済的な問題だと思ってる。単に、っていうのは問題のシンプルさについて言ってるだけで、問題としては大問題だと思う。
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