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Your majesty, beloved, well-self-censored account is here! It's a time to say Goodbye to all Stupid residents of this Normative Society. It must be nice to disappear to live a life of my own.
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「Threadsはそれに伴う危険性を示している。公共の広場を模したメタ・プラットフォームズのサービスは、救命艇の提供に関して独自の約束をしている。まだ決まっていないいつの日か、マストドンを支えるプロトコルであるActivity Pubと連携すると主張しているのだ。」って、Blueskyもまだ連合動いてないとおもうけど...。
Threadsの危険性がなにかくらい書いてほしい。
https://wired.jp/article/plaintext-twitter-alternatives-enshittification-trap/
あと、やっぱり当初の想定が、駄目になるtwitterを救うために脱出口を作るというくらいで、ネットワークが発展するビジョンあんまりなさそう
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某サーバの管理人がいつの間にか「反差別の旗はおろした」と言い、「男は男!女は女!」とか謎主張しまくっててそっとじした。
もちろんこういうのは「ダメな発言」でしかないんだけど、いちいちことあげして全世界に拡散したりすることがいいことだとも思えない。
自分がそうなのだけど、アップダウンの激しいメンタルで言うことがコロコロ変わったり激しくなってしまう。自分は知らない事情や何か悪いことでもその人にあったのかなと推測してしまう。
こういうときは真っ向から否定するというよりは、余裕あるなら周囲の人が話を聞いてあげるとかね。そんな対応の可能性もあるんじゃないかと思った。
2016年3月臨時増刊のユリイカ「出版の未来」を読んでいる。軽減税率の話題が2本あり、ふーんたしかにそういう時期だったねくらいにおもっていたけど、斎藤貴男『苦悶する出版会 「軽減税率」と「ネイティブアド」』を読んで、そうとうヤバい問題だということをいまさら知った。
軽減税率、企業にとっては当然売上(利益)に直結しているわけだから、税率据置きしろって主張するわけだけど、ご存知のとおり新聞は軽減税率の対象となったが書物や雑誌はならなかった。当時、インターネットでは新聞の特権性が批判されていたように覚えている。
当時与党と折衝にあたった日本書籍出版協会によると、自民党税調からは「軽減税率を訴えるなら財源を考えてこい」と言われていたそうだ。新聞社が財源を提示したのかどうかは知らないが(そんなものありえないが)、新聞社は軽減税率になった。
この事情について筆者が論じている箇所は衝撃だったので引用する。
「一般には権力に批判的な紙面だと信じられている朝日新聞にしたところで、例の解釈改憲の国会審議中にはあれほど騒いでおきながら、安保法制が強行採決された昨年九月以降、この問題を社説で正面から取り上げた回数は一、二度のみ。消費税増税そのものについても政府の方針に沿う論説ばかりを繰り返した。業界関係者の話を総合すると、過去の従軍慰安婦報道を唐突に取り消し、謝罪した2014年の騒動も、政権の顔色を窺った結果だった可能性が小さくないのである。」
政府が、なぜ増税など不人気なうえに経済にとってもネガティブな効果しか生まない政策をわざわざするのか謎だったが、要するに増税というのは企業に対する暴力で、暴力を振るってほしくなければおとなしく言うことを聞けと、あからさまに言ってしまえばそういうことになる。とくに、言論機構にたいして経済的不利益をチラつかせるというのはやはり意図的なものがあると思える。
「炎上で利益を上げてきた」はどうなんだろうな。炎上で利益を上げてきたユーザーはいくらでもいるとおもうけど、プラットフォームにとって炎上というものに経済的な価値があったかどうかはよくわからない。
これもTwitterではっきりしてきたことだけど、炎上はプラットフォームにとって「コスパ悪い」。だからThreadsは「ニュースは大事だけどそういうのはこっちこなくていいかなあ」って態度とってる。店子に関してはこの限りではないだろうけど。
簡単に言うと①道徳倫理正義からの要請上「正しい」「そうすべき」とされることと、②人間の心理上効果があることは、論理的に異なるので、①だからといって②とは言えない。「差別がない世界」にする上で①のレイヤーだけで考えてて果たしていいのか?という問題意識が自分にはある。
たとえばネットで差別を指摘された、みたいな場合、人は自分の言動や認識を修正しやすいものなんだろうか。逆に自身の偏見を強化し正当化しがちなんだろうか。こんなところについて心理学とかでたくさん研究してそう。どなたかいい本あったら教えてください。
そうすると、可能性としては、ネットで差別的な言動を見た場合、倫理的な要請上は「ダメですよ」と言うのが「正しい」ことになるのだが、「正しい」ことをした結果、差別や偏見を広範囲に強化してしまう、ってこともある【かも】しれない。
エコーチェンバーだの蛸壺だのも指摘されてる中、こうした発想自体「ない」ことはとても危険だと思う。
見てたら不満は別にあるわけですよ。不満だから差別発言していいわけじゃまったくないんだけど、残念ながら人は弱い生き物。自然な性向やコンディションから自動的に正しい方向に常に導かれるとも限らないというか、むしろ本心でもなんでもないのに真逆にすすむ可能性すらあるわけで。
少し詳しくその人を知っていれば「ああ、今、調子悪いのかな」とか思えるんだろうけど、ネットだと何の事情も斟酌しない(てかできない)人の大量の目にさらされて「お前は差別者だ」とこうやられてしまう。
まあ、そんな状態悪いのにネットやるなって話かもしれないが、今のネットって「状態悪いからオフラインで動けない」人のための空間にもなってるので、それを言うのも無茶苦茶というか。
本来の不満は「管理人に文句や要求ばかりするけれど、それをした人は誰もサーバを利用してくれない」であるようなので。もちろんそんなこと関係なく「差別発言はダメ」なんだけど、人間同士だったらまずは「ちょっとほな、話聞こか」「一緒飲む?」ってのがまずあって。で、吐き出させるだけ吐き出させたり、一緒に「それは腹立つよなあ!」って怒ったりして、そのあとで「でもさ.....やっぱよくないよ」とかやればいいし、やるべきなんだけど、もうさ、今の世の中、誰もそんな「コスパ悪い」ことやりたくないし、その手のヒューマンな技術を持ってる人がネット上では絶滅してきてますよね。
というか、その手のヒューマンな技術が苦手な人が、「正誤」をただただ突きつけ合うコミュニケーションなら自分にもしやすい、できるぞ、ってんで、Twitterはじめとしたプラットフォームに滞在してる感じすらある。
そうするとヒューマン要素は一切置き去りにした上での正誤だけのコミュニケーションは「正しい」を多く集めた人のほうがコミュニケーション上の強者になってしまう。そうなると人は自分の間違いを認めにくくなったり、そうとは意識しないで、自分の評価を上げる報酬系強化のために正義をとなえはじめたりする。
驚くのは、もう最近じゃ、私の言ってるようなことは「一体こいつ何言ってるんだ?」にすらなってることで、はるか昔、ミシェル・フーコーは「人間という概念は砂の上に書いた文字みたいに消えていく」みたいなことを言ったんだけど、デジタルモバイルデバイスの圧倒的な普及によって、人間という概念が瀕死になったし、AIのほうが「人間っぽく」なったなあと。
人間についての理解を置き去りにしたままで、でも怒りや性的興奮、まあ何でもいいんだけどドーパミンを強く出させる方法とそれが可能なプラットフォームだけはいくらでもある世の中になってしまい、指を少し重力に任せた「ほぼ誤タップ」を延々とすることが「正義」だったり「悪」だったりに変えられてしまった。
人間って、本当にめんどくさいものですよ。そこのめんどくさいものへの理解や共感はめんどくさがって「人間が今のような人間でも、別のような人間だったとしても、なんにせよ真理を言いますね!」とかやるのは、ある意味「あまりにもイージー」「手を抜きすぎ」なんだけど、多分そういう発想も、もうまったく理解されないと思う。
怖いのは、少し前まではそれでも「自分は理解されたい」「話を聞いてほしい」って思いを持ってる人が多かった印象なんだけど、最近はまったくそんなことは求めてない人がめっちゃ増えたというか......。よく承認欲求っていうけれど、承認や「話を聞かれる」の呼吸が浅くなった。そんな深く聞いてもらわなくてもいいっていうか、それこそ「いいね」とかでいい、みたいな感じある。
だから、人と話してても、こちらは「いいね」タップ以上のことを言ったり、聞いてあげたいんだけど「聞いてる」を誰も聞いてない(笑)。質問されたから答えたら次の話題。掘り下げも特になし! こちらの人間観を変えないとやってられなくて、だからどんどん変えてるんだけど、それがなんだかとても悲しいというか、「もうこの世界は自分のようなおいぼれのいる場所じゃないな」っていつも感じてる。BGMはもちろんペットサウンズです。
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そうなんだけど「自分を理解する」って考え方が必ずしも一人でできる、すべきってのも「そうなのか?」って前提がありますよね。たとえば「自分」って何かって言ったら、いろんなパースペクティブから見られたappearenceの束だとも言えるわけで。
まあ、何に限らず、もう私が言ってるようなことは「そうだね、そうじゃないね以前に、このおっさん何言ってんの?」「あ、でさ.....(別の話)」みたいな感じだろうなと思う。
SNSとモバイルデバイスの大普及で、一個一個の誰かの「呼吸」への対応がスピーディ、かつ、雑になってったんだよね。「この人はなぜこういうことを言っているんだろう」「こう言わせた背景というかここまでのドラマは?」「理解できない。理解できるように解釈したらどういうことだろう」「断定の前に確認してみよう」のような意識は絶滅寸前なのではないか。だから、相手の話に対して【理解の前に】共感や反対がある......。
今はどういう時代かっていうと、私がこういうこと言うと「え?それの何がダメなの?」「別にそんなのいらなくない?」って言ってくる時代。ダメかどうか、いいか悪いかはさておき、「こうじゃなかった時代があった」という想像力ももうなくなってそう。
そしてそういう人たちが唱える正義だったり、人権だったり、デモクラシーだったりが、自分には大変奇異なものに見えるというか。さあ、これ、どっちにどう転んでくんだろう、全然異なるフェーズになってるなーっていう感じ。
みんな他人の話を聞いて自分の話を始めるのだけれど、その自分の話を「聞いてもらう」気すらないっていう。それが私には単なるニューロンのスパーク、明滅に見えることがある。
朝から意味わかんない連投失礼しました。
たぶん10年前のツイートとの落差を分析したらめっちゃおもしろいんじゃないかな。コミュニケーションの意味が激変したと思う。「激変した」ことを気にするどころか気付いてもなくなってる、みたいな。
森さんの更年期障害のテストステロン計測結果をいよいよ明日発表です。4:30(朝の)から。みんな聞いてね!
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最近、まあ自分もだけど、本を「半分くらい読んだ」「まだ最初の一章だけだけど」って段階で感想めいたもんをSNSに投稿するのよな。おかしいって誰も思わなくなってる。
Substackやりましょう。まだやってない人はアカウントだけでもつくってフォローしてください。使い方の記事書いてるんで。https://substack.com/profile/155558165-68ee54f25e73?utm_source=profile-page
Substackの使いみちについて、説明していってるので、これを読んでためして、みんなでSubstackデビューしよ!https://moriteppei.substack.com/p/substack-d86?sd=pf
リトルマーメイドの映画評書いた。読んで感想ちょうだい!https://note.com/moriteppei/n/n4f94b43efb82
@softark ありがとうございます!っていう前に「でしょ?」って言いそうになった。てか、全部見ろ(笑)。アニメ版もアナゆきもおもしろいですよー。
@usimitu ありがとう!長いのに読んでくれて。でも、基本の筋はびっくりするくらい一緒なんです。それがおもしろいと思いました。
よくツイッターは宣伝に使うから.....って言ってる人いるけど、自分についてはTwitterは宣伝としてほとんど役立たないです。マストドンのほうがまだ反応ある。写真見てよ。
むちゃくちゃ言ってるって思うかもしれないけど、自分は自分の映画レビューや読書レビュー、めっちゃおもしろいんだよね。他人のレビュー見ると(そうじゃないものもあるけど)たいてい「なんでこんなつまんないの??」と思うくらいではある。でも「おもしろい」がわかる人がそんなにいるとも思えないからウケないかも、とは思ってるけど、それにしてもそんな「難しい」には振ってないつもりなんだけど。
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そら、「差別したといって攻撃されてる人」よりも「差別された人」のほうがよっぽど辛いことは多いと思う。「多い」と書いたのは必ずしも「そう」とは限らないから。限らなくても妥当性ってのがあって、「考慮されるべきは差別された側」だし、それが正当ってことです。で、そうなんだけど、気にしてるのはTPOを選ばない「差別の指摘」が果たして社会全体としての差別の縮減になるのか、あるいは「最も効果的なアプローチなのか」ってことは、人間心理とか考えたり、今の惨状を見るにつけ、常に考えちゃう、というか、考えない人はなんなん?って話になってしまう。
あんまり難しいことや複雑なことが功を奏するとも限らないので、自分は基本シンプルに、差別があればそれを淡々と指摘する、ってのが一番いいとは思うのだけれど、そういう当たり前をぶっ壊すのがSNSとそれが実現してる報酬系ハックだと思うので。その点に対する反省ないのはナイーブにすぎると思うよ。
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すんごい情けない話するけど、全然集中力がなかったんよな。だから長文連投になる。もうでも、そろそろやめるわーってんで、今日『リトルマーメイド』のレビューを書いてみた。7000字。めんどくさかったけど、でも、アニメ版と実写版。見に行ったり、相違をまとめたり、一応それなりの工数払って書いた記事なので愛着ある。
おもしろい記事なので、読まなくていいから、いいねだけ押しといてくれや。https://note.com/moriteppei/n/n4f94b43efb82
Twitterなんかわかりやすいんだけど、すんごいおもしろい映画レビュー書いても反応なんかありゃしないのに、他人の差別を糾弾するとか。そういうことだと一気にめっちゃ反応があるんだよね。そういうのがとても嫌になってる。結局、そうじゃないって言ってるけど、報酬系に対して欲求満足させたくて、中毒で「同じ回路」を擦ってしまってる感じ。それでもそれはそれだけ見れば別に悪いことじゃないような気がするけど、それが結局、反対する人たちの報酬系の強化をしているような気がして。
それこそ私は「どっちのほうが純粋で悪いことしてないか」勝負にまったく興味がないので。そんなアピールしなくても差別が減るのならそのほうがいいと思ってるんだよね。だから、心理的にどうしたら偏見が減り、また偏見の表明が減るのかってデータなり知見がめちゃくちゃほしい。
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しっかし、Twitterにいる人。いっくらいっても他所へ移動せんよね。そらTwitterも使い続けるのはわからんでもないんだけど、フェディバースくらいはアカウントつくって運用しとくとか、しときなよと。それで意識高いこと言われても正直説得力ないっつーか、ツイッター報酬系の奴隷なだけでしょ?ってどうしても思っちゃうよね。
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Twitterが今度は極右ユーザーに高額支払いを始めた件。ってことは、この極右ユーザーらがインフルエンスを持ちまくるようにするのが「差別への応援」になってしまうんだけど、そうなると公的義憤から差別者とTwitterで応酬する=極右ユーザーとTwitterを儲けさせ、このスキーム自体をますます強化させるインセンティブになるってこと。Twitter内で極右の差別に反対すること自体が差別への加担にさえなりかねない、ってか加担になってる状態です。これでもTwitterを使いつづけるのか?という話。
こんなこと言ってもツイッターユーザー、岩のごとく動かんでしょ? 自分たちは動かないのに、他人には動け動けいうのよ......。
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基本、対人関係において少なくとも相手の差別を指摘することはなされるべきかと思うけれど、SNSでは話変わってくる。今後、Twitterでは広告費を保守インフルエンサーに横流しする様子。だとすると保守インフルエンサーへのTwitter上での批判は単なる「ネタ提供」となり、ますます金銭的な報酬を彼らに与えかねない、つまり差別への批判が差別するインセンティブになりかねないってこと。