@pantabekanmi あれ、おもしろい?(一巻は読んで2巻気になってる)一巻の時点でレベルが高すぎた。
Your majesty, beloved, well-self-censored account is here! It's a time to say Goodbye to all Stupid residents of this Normative Society. It must be nice to disappear to live a life of my own.
@pantabekanmi あれ、おもしろい?(一巻は読んで2巻気になってる)一巻の時点でレベルが高すぎた。
自分を批判してる人間は、作品と作家を切り離せてない感情的な人間だと決めつけてる!って決めつけてる人たちがいるのだけど、早速、赤旗でこんなことを言ってる。「もう達郎聞けなくなっちゃったよ」って言ってる人なんかゴマンといるわけ。「そういう人」には達郎の音楽は「きっと必要ないんでしょう」って言うのがおかしいとは思えない。
https://twitter.com/kentarotakahash/status/1679060632937844737?s=20
我々全員の責任.....みたいに責任感じていくの、悪いことではないし、むしろ倫理的に大変素晴らしいことだと思うんだけど、まあ、そういう人は真面目すぎて折れやすいから、ほどほどに。「ほどほど」って言葉を覚えようやって思ってる。「ほどほどに」がない人は結局他人を傷つけるし、何より自分を傷つけてしまう。大事なことは大事なこと、それとして、どこかで「せやけど他人事」を抱いてたっていいし、自衛のためならなおさらだよ。
辛いときはSNSを休んで、って言っても休めないよ。休めないのがSNSだし、ショッキングなことがあった場合、むしろ「この気持ちと同じ気持ちの人と話したい」と思ったり、「自分が敬愛する人は何て言っているのかその言葉を知りたい」と思うんじゃないか。みんなでしばらく休みましょう、私も3日後に戻ってきます、みたいな感じにできないものなのか。そうするのがいいことなのか。
Take a brake for a while. The wonderful fantastic great (and sometimes somehow boring, honestly) OFFLINE World is waiting for you!
AT Protocol、サーバー運用の分散性が絵に描いた餅に見えてしまうんだよなぁ。分散する動機が見つけられなそうというか。
Fediverse のサーバー運用ってめちゃくちゃグラデーションで、一人サーバーから少数、大規模まであって、現状それらが適当な距離感を保ちながら相互に会話している。この距離感みたいなのがわりと絶妙に感じる。あそこのサーバーはノリがあわないな、みたいな。サーバー単位でやっぱり文化があって、そういう特色を出したいから運用しているし、アカウントもそのなかに所属する心地良さみたいなものがある。
現実的にはそういうことになるんじゃないかなーとおもう。分散サーバーを運用するメリットが金銭的な価値以外になさそうで、今のところそれもないもんだから、ジャック・ドーシーが暗号通貨とか言いだしてるんじゃないかという気が。人を繋ぐものがお金になると、最終的には広告プラットフォームになる以外にないのでは。
LTL、misskey.io とか vivaldi.net とか jp とか見てると、良かれ悪しかれミームを生んでいて、それってコンテンツが健全に発達するための鍵でもあるとおもうんですよね。過剰に内輪になると不健全になるけど。AT Protocol にはそういうのがあるように見えないなと思う。アカウント移転できるわけだからどこでやっても同じって気持ちになるし、そうすると文化的多様性は生じないんじゃないか。文化的な多様性がないのであれば、サーバーを独自に運用する意味あるのかと。
AT Protocol って分散されたPDSなるものを誰がコスト払って運用すんのっていう気持があって、技術者の考えがちな絵に描いた餅っていう印象があるんだよなぁ
アカウントが自由に移転できるのなら、個人がコストを払ってPDSなるものを運用するメリットがないように思う
のほほんとした投稿はたいっつーで、キラキラはインスタ、もしくはスレッズで、マニアックなオタクトークはアクティビティパブで......とかやってったら、Twitterに残るのは
地獄
では。
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SNSのせいなのか、ほんと「言葉のTPO」なくなった人、めっちゃ増えたよな。「空気を読め」というと抑圧的な物言いになるから、なんかそれを否定しているような感じに「思ったら今それを言う」がある気がしてくるけど、違うからな。
Twitterはむしろサ終絶対しないで、って感じ。悪意は「ゴミ捨て場」にとどめておこう.....みたいな。
もちろんこの世に悪意など一つもないことが一番いいのだけど、近代というルールで縛っていったときにそこに包摂しきれないものがありうる、って可能性について思いつきすらしない人が「リベラル」とか「左翼」やってる感じがして怖い。
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ありていにいって、「閉じなきゃいけないのはお前らのほうだよ、バーカ!!!」が最初にあるべきですよね。
「今は辛いからSNSはそっと閉じて」って言う人、そのほとんどが自分は閉じずにその後もSNSを続けてる。矛盾してるだろバカだろってんじゃなくて、そういうものだろSNSはって思ってる。
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単に思考を「垂れ流し」てくれるだけならまだいい。SNSはそこに「報酬」がつく。青識なんかに典型的だけど、もう、あれ、「自分の思考を垂れ流し」てるんじゃなくて「他人から望まれてるように思考を垂れ流してる」でしょう。
次なる「非-リアル」は何だろうっていう。VRChatとか流行ってるんですかね。自分はほこりをかぶったQuest2があります.....。
ジム来てるけど、自分以外に誰もマスクなんかしてない。いいね、健康で。他人に何かを映す前に全員消えればいいのに。
男性同士の「ケア」ってなんなんだろうな。そもそも私は男性だが、男性の前に行く時は「男性」の演技をしている感じがあり、それをする自分がめちゃくちゃ嫌で、そういう演技が「男性同士」で解除される気がまったくしないのよな。みんなそこ、優等生ではなく、きちんとリアリティ持ってるか?
最近「おっさん」ってだけで行動の意味を紋切りに評価されることに辟易してる。そら、問題行動とかは指摘してもらってまーーったく構わないのだが、言動の評価をニュートラルにはできないからと言って、最初から性別や年齢によって歪んだ解釈してくる人間のほうが、リベラル的にはどう考えてもあかんやろ。
言葉のTPOがSNSとモバイルデバイスのせいでなくなってしまったんだよね。たとえばモテない男たちが集まって、女の悪口を言いまくってると。自分はそれはそれ自体はそこまで悪いことだと思わないというか、必要悪、みたいな感覚なんだけど、そこから一歩外に出ても同じような女性否定をしてたら「こいつヤバいな」ってなるし、主張としても間違ってるでしょう。
女性だけの集まりに、自分はいるみたいなことは昔から結構あるんだけど、そこでの話も、男性差別含めて「それ他の場所で言っちゃいけないやつ」はめちゃくちゃ多い。でも「そこでだけなら」「今は」むしろ可能性あるコミュニケーションなんじゃないかっていうことはあって。
実はサードプレイスについて本を書いているオーベンバーグもサードプレイスの条件としてジェンダーを挙げているくらい。この主張は検討が必要だろうが、コミュニケーションにTPOが必要という考え自体にはある程度納得はできるはずだ。
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これ、ほんとそうで。昨今ジャニーズの問題しかり、有名人の事件しかり、「私だって加害者だ」「知らぬふりをしてきた」「だから知らねばならない」って義務だと思い込んで延々とSNSをチェックしてしまう。「正義」という言い訳がついた報酬系強化は自傷になりうる。どこかで「たかがSNS!」「てか言うても個人には限界ある!」「限界どころかトイレ行くのもだるいw」みたいにゆるーいところ残しておこないとすぐ折れちゃう。https://mastodon.scot/@mari1990jcp/110704021479176751
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りゅうちぇるの代名詞や性自認についてすら考えをはせることなく「ツイフェミ」とやらの攻撃の題材にしてしまう。バカバカしすぎる。
https://twitter.com/c4dbeginner/status/1679247119461515264?s=46
ホルモンの変化って本当に辛いんだろうし、自分も今、そのことを痛感ばっかりさせられてるんだけど、そこから導き出せることは「だから優しくね」「周囲も気をつけなくちゃね」でしかないのに、なんで「そっち」に舵をきるかな.....。
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これ言うの、いつもとても不安ではあるのだけど「差別者」という認定。すごく問題あると思っています。
確かにもうそう言うしかない悪質な人というのはいて。起きてる間ずっと特定のセクシャリティやエスニシティに対し悪意を向けてる人とか、ずっとそこへの攻撃に愉悦を感じてる人とか。
そういう人のことをヘイター、差別者というのはわかるんですが、でも、多くのケースで
差別は差別者じゃない人がする
んですよね。でないと、だから「私は差別者じゃない。【だから】差別などしていない」のような論理展開になってしまったり、差別を指摘されてもなかなか認められなくなったりする。
残念なことではあるのだけれど、まず我々の世界では差別とは構造的なものなので、そこに悪意や特定の意図がなかったとしても差別しうる。差別者と差別をした人とを完全に明確には不可能だとしてもある程度は区別しないといけないと自分は考えます。
あと、私から見たら単なるトランスヘイター、セックスワーカー差別者のような人、別に本人たちは自分たちのこと、そうだとは思っておらず、むしろ差別をしないように意識が高いと思っていて、逆に私たちのことをたとえば「平気で女を差別するクソヘイター」のように認識しているんですよね。
だから相対的に見れますよね、なんて言うつもりはなく、私はハッキリとトランスヘイターにノー!の立場ですし、そこにコミットしますけど、こちらも叫び返すことが最善なんだろうか?と不安になることが多々あります。むしろ言い争いが相手の過激化を生んでないか?と心配になる。
久しぶりにTwitterのぞいたら、まあ元からその傾向はあったアカウントが言うことますますおかしくなってたんですよね。そういうのもすぐ「元からそれだけおかしいやつだったんだ!」ってリベラルはよく言うでしょう?でも、自分から見たら「問題も元からないわけじゃないけど、明らかに差別者差別者罵られてから、【そっち】に行ってしまったな】と思うことが多々あって。SNSという場自体がよくないのかな、と最近だんだんそのように思うようになってきました。
そりゃあ私だって人権は大事だと思ってるし、いろんな事件や事故に対し、一体この国はなんなんだと日常からイライラしてるのだけれども、でもそんなリベラルや左翼の論理に納得できないことは実は多々ある。基本は賛同なんだけど、疑問もあると疑問を呈したら「はい、差別者!」みたいな人も少なくなくて。それって、本当に問題の改善になってるんでしょうか。理解深まってるんでしょうか。
答えもないのだけど、SNS的なポリティクス、10年続けてきたわけだけど、本当にそれでここから先、世界がよくなるのか?という。そこをじっくり考えていきたい。
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いいこと言ってるからといって、差別的なことを別で言ってる人をシェアできないとか、フォローできないって考えとしてはとてもよくわかるし、自分もそういうポリシーでSNSを運営したりもするけれど、最近は「正直まったく許しがたい点がいくつかある人」とも相互フォローを保ったまま、みたいなことは結構自分は意識的にしています。というのも、そういう人って、こちらが愛想つかしてフォロー切ったりすると、もう気にしなくていいので、それでも残っている人だけを相手にどんどん過激化しておかしくなっていくんですよね。自分みたいな人間と「つながってる」ほうがある意味牽制になるというか抑制になるのではって思って。
とはいえ、そういう人の投稿について、自分はシェアするのは躊躇してしまうのは、「こんな人間をお前はシェアするのか」と言われて、フォローや交流を外されてしまうから。それやってくと「Aのような人間をシェアするBのような人間をシェアするCなんてフォローできるか」みたいなことになっていってしまい、なかなか整合性を保つのが難しくなってくる。
まあ、それ以上に単純に心情的に引っかかってシェアとかリツイートってなかなかできんけども。
もう少し考えてくと、たとえば当事者に対し「差別してくる人ともそれでも交流切らないほうがいいよ」などとは到底言えないので、自分のような人間が「積極的にではないけれどゆるくつながることで牽制になれば」みたいなイメージで、しずかーにつながったりシェアできないかって考えてる。倫理的には悪いことなのかもしれないが、報酬系を食ってドーパミン放出してる人間という生き物の心理を考えた場合、少しでもいいこと言ったらそっちが評価される、報酬受けられるって回路を残しておくほうがひょっとしたらいいかもしれん.....って思って。
他方で「Aのような差別者とつながるBは許せない」方式の人、仕方のないことなんだけど、自分から見ると全然整合性取れていないことが多い。たとえば自分は容易に「頭おかしい」「(精神的に)狂ってる」のような表現を使う人や「まるで北朝鮮か中国」みたいに言う人、「幼稚な考え」と言う人(これだとまるで子どもの判断は価値がないかのように思い込ませてしまう)、おっさんおばはんといった揶揄(エイジズム)もものすごく引っかかってる。でも、「Aさんってそういうこと言う人なのでシェアしないほうがいいですよ」と仮にいってもなかなか納得しづらいと思う。自分がされても理解しづらいと想像する。
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手術や治療を受けてないとトランスジェンダーじゃない!は差別だってのはわかるけど、ホルモンによって精神や身体に悪影響がありうることは科学的な事実であり、差別ではないのでは。もちろん「だから手術なんかしなければいいのに」などといった主張は差別だし、そちらに与するような話はダメだし、そういう意味かと補足して理解したけれどそれでいいのかな。
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フードストレージや貧困支援をしている方で、その考え方が割と自分と近いと思ってた方が突然トランス差別丸出し&ミスジェンダリングを堂々とはじめてポカンとしたり......。フォロー切ったりブロックしたりは簡単だけれども、そうしてもおそらくは過激化するだけ。かといって、見えてしまった以上、もうその人の投稿をシェアするのは......誰に止められるでもなく自分で止めてしまうよなあ.....。
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ネットとかでなければ、自分は、差別的な考えの人とも付き合うようにしてる。別のことで仲良くなったり関係つくって、切りにくくなってから「いや、それはあかんがな」って諭していくほうが可能性見えるから。でも、そういうことがSNSだとできないんだよね。なぜならやり取りは360度。全宇宙に向けてガラス筒抜けだから。
別にいいんだけど、こういう人はたくさんいるわけですよね。達郎が「きっと必要ないのでしょう」というのもまったく間違いじゃないし、論理的に矛盾も特にしていない。あ、ぼくは達郎の音楽は元から苦手だし、今回の応答最低だなって思ってるけど、変じゃないことは変じゃないんで。https://toot.blue/@hyoyoshikawa/110705861770463662
「変じゃないことは変じゃないんで」みたいなことをきっちりどんどん指摘していかないと、そこしつこくしないと、どんどん「差別者VS反対するうちら」のような粗雑な二項対立に回収されて、どんどん言論が硬直化し、あとはハッシュタグでの呼びかけと人数集めにしかならんですよ。それって民主主義でもリベラリズムでもなんでもない、ただの人が細胞役してるニューラルネットワークでしかないじゃんか。
それでこの本にとても興味持ってるけど、ほんといつになったら電子書籍出るの。もう紙で買おうかな......https://m.media-amazon.com/images/I/51IHJ3kp+hL._SX346_BO1,204,203,200_.jpg
聞いてる。
bluesky への見解まったく同意で、けっきょく twitter のやりなおしで、根本のデザイン変わっていなくて、分散っていっても技術的な話でしかないとおもう。技術的な分散より、管理の分散がポイントで、それはモデレーションについても言える。AT Protocol には twitter が抱えた問題にたいして何のアプローチもないように見える。
Fediverse の独裁のほうが意味があるデザインになっているとおもう。
https://www.youtube.com/watch?v=qguUtS_eUQE
あと、SNSではめちゃくちゃ差別に厳しい人でも、会って話したりすると、結構ポカンとするレベルだったりすることもある。そういうのでいちいち強く否定したり拒絶したりすることもできるけど......。でも、やんわりと否定したり「そういう言い方はダメっしょ」と言いながら、ぼちぼちやってくしかないんだよね。
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ポルノなかったら男性の性欲どうするんだ!みたいなこと言う人いるけれど、逆で。ポルノによってEDとか健康損ねるほどの中毒とかも問題視されてるわけで。
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更年期でホルモン不足であなたこうなんですとか言われてるのに、Twitterで「ホルモン」って調べたら「ホルモンによって鬱になるとか言うのは差別者!」とかやってて、いやちょっと待ってよと。
差別は人を殺す。いや、本当にそうなんだけど。でも、他方で「みんなやったことあるし、何なら今日もさっきしてたのに全然気づいてない」。それが差別なわけでしょ。だから勉強したり少しでも良くなるようにポジティブに学習するのはいいけれど、あんまり気に病みすぎない方がいいのかもしれない。ジェイソン・ライトマン監督の『ヤングアダルト』って作品がこのあたりの「日常にフッツーーにありまくる差別」の描写が大変素晴らしく、感銘を受けたので、ぜひ見てください。ネトフリで行けたと思う。
むしろ真面目に誠実に考えるならば、あまりにも失敗を恐れてしまうと、失敗できず、学習できず、また他者も恐れさせてしまうため、他者からも失敗の機会を奪う、要するに「いいことなし」になりかねないので、それくらいに考えて生きるようにしてる。
みんなが「この人、政治思想が素晴らしい」「作品にもそれが出てて最高!」って言ってるミュージシャン、山下達郎の10分の1もクオリティない、音楽として中身ない人結構いるよ。あんだけ貶しておいてなんだけど、自分はだったら達郎聞きます。あ、聞かなくていいなら、何も聞かない。
いや、もちろん誹謗中傷で死んだのではない、ホルモンによる鬱だと言いたいという文脈でのことはわかるのですが、だとしてもホルモンによって精神が不安定になるケースが少なくないのは事実なのだから、そこで「ホルモンで鬱にはならない」と言ってしまってたら、それはまた別の人を踏んでるんですよ。
まあ、相手側は、ホルモン治療中の辛い体験を説明する、おそらく当事者のYouTube動画とかを持ってきて「ほらみろ。ホルモンなんか打たなければ」などとやってくるような鬼畜なので、冷静なんかじゃいられるわけないんだけど。
その作品は作者がギルティなので消されるべきかどうかという話と、作者の言動を知って少なくない人が作品への接し方や評価を変えるという話はまったく別のことでは。
私がもし達郎ファンだったとしても、あんなこと言ってたら「だっさ!」となるので作品への評価や接し方は変わると想像するが、でもそうなってもだから達郎の作品を消せ!とは到底思えない。まったく別の話では。
そもそも達郎自身が「私の作品なんてこれで必要なくなる人はいるでしょう」と言ってるんだから、それを受けて赤旗が「たしかに!」と言ってるだけっちゃだけ。そんな大した話じゃないよ。
みんなも一回、Twitterから離れたほうがいいよ。しばらくしてから見てごらん。みんなとんでもない拙劣なロジック使って思いつきを正当化しようとしてしまっていて、びっくりするよ。
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