小谷野敦「聖なる性」の再検討
https://nichibun.repo.nii.ac.jp/records/653
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芳年の大日本名将鑑、明治11年くらいから出版されてるけど、その前年には西南の役で薩摩方にめちゃくちゃ肩入れしていて、そのへんの温度感読めない。心情的には反新政府だと思うけど。
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出雲阿国にはじまる(おんな)かぶきに、国家権力が介入して機能分解し、芝居町(男)と吉原(女)を形成した、というようなことがありそう。
田中優子の「遊廓と日本人」を読んでるけど、吉原についてどういうものか簡単にわかるのはいいけど、遊女について「自然や日本の文化を表現する巫女的な存在でした」とか言ってしまうのがしょうもなさすぎるな。「はじめに」のとってつけたような男女不平等への言及もしょうもない。
「絵ごころでつながる-多磨全生園絵画の100年」 (国立ハンセン病資料館) |Tokyo Art Beat
https://www.tokyoartbeat.com/events/-/100-Years-of-Paintings-at-Tama-Zenshoen/the-national-hansens-disease-museum/2024-03-02
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「江戸期の吉原」を語るのに人権という概念を持ち出しても混乱するだけだと思うんだよな。田中優子の本も、最初にフェミニズムとか人権を持ち出してるエクスキューズがめちゃくちゃ浮いている。
小谷野敦の「「聖なる性」の再検討」は、「聖なる」も「性」も中世において現代のような意味はなく、「聖なる性」という概念が現代人のロマンの投影だとするのは、意義がある議論だと思う。
https://nichibun.repo.nii.ac.jp/records/653
読了。問題はあるにせよ、入門としてはわかりやすく良い本だった。
近代的な家父長制がヤバいとおもっていたんだけど、江戸期は、室町末期のおんなかぶきみたいな芸能+売春集団を弾圧して、男の芸能(歌舞伎)と女の遊廓に分離するという政策をとっていて、このへんにかなり強固な家父長制の推進が見える。かぶき等の芸能を秩序壊乱の因子と見做して(アナーキー志向な集団の弾圧?)、女性を封建的秩序に位置付けた結果が遊廓なんだろうな。
というあたりについて書かれていそうな本を知りたい。
武家政権が700年くらい続いて、それは明確に家父長制の発展だけど、江戸時代というかたぶん刀狩によって身分制度の固定化が決定的になるので、幕府としてはアナーキーな世界を残しておくことができない。芸能の場が「悪所」であるのは秩序壊乱が発生するからだけど、徳川幕府的にはコントロールされた無秩序である。これ日本の近代以降の芸術にとって無縁な話ではない、近代以降の前衛も「コントロールされた無秩序」ではないのか。真の無秩序はさまざまな仕方において検閲され弾圧される。
出雲阿国のかぶき、「ちんどん屋」の起源なんだ。温マさんくわしそう。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%B3%E5%B1%8B
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@on1000mark https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AC%E7%95%8C
このへんが重要そうだなとおもいはじめ、網野善彦『無縁・公界・楽』を読みはじめました
江戸期の売春で問題なのはやっぱり吉原ではなくて岡場所みたいな不法売春施設だよな。
吉原のような管理売春施設を軍事慰安施設と結びつけようとしてしまう人たちがいるけど、筋違いだとおもう。江戸期には武士=軍人は買春を必要としていたわけではなく、「軍人には買春が必要だ」という悪質な観念がでてきたのは明治時代だとおもう。
江戸期のでかい改革はいずれも発達しつつある経済に伴う腐敗とそれに対抗する封建的秩序の反動という印象があり、最終的な明治維新がなぜブルジョワ革命でなかったのかよくわからない
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千葉周作の道場の隣に儒学者の道場があって人的交流があり、坂本龍馬などの下級武士がそこで育ち維新の重要な流れを作った、みたいなのは最近ぜんぜん関係ないところで見たな。神田出身の絵師(明治期)の経歴を調べていたときにそういうことを知った。神田周辺には維新後もその風があり、その絵師も職人出身だけど立身出世の気風で育っている。
フランスのブルジョワ革命はこうした立身出世主義を持たなかったんじゃないかと思うんだけど(詳しく知らない)、そこが違いなのかな。幕末から明治にかけての立身出世主義は、どうみても現代日本の自己責任論の源流になっている。
「血税」って徴兵のことだったのか
サルデーニャ王国への帰属意識を根こそぎにしてフランスのために戦うことを求められたが、フランスはその時、義務徴兵制を「血税」impôt du sang と呼んだ。 徴兵制 https://www.y-history.net/appendix/wh1103_1-072.html
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イスラエル、140万人を1カ所に追いつめ陸海空から空爆開始
https://japan.hani.co.kr/arti/international/49132.html
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浮世絵調べてて思ったけど、現実を虚構としてのみ消化するのは日本文化の特長なのかもしれない(雑発言)。
アメリカの社会構造と江戸期の社会構造がアナロジーで把握できるならハイブロウ/ローブロウの概念も有効に機能しうるけど、出版業・経済観念の発達、軍事政権からの検閲の強さなどは頭に入れておかないとあやうい
ハンターxハンター、1998年から連載開始しているのか...。いまさらびっくりしてしまった。
江戸時代はかなり長く、いつのまにか近代を胚胎しているけど、幕府も遊廓も不変であるかのように倒錯してしまう。
「遊廓はセーフティネットだった」という言及がめちゃくちゃバカにされていたけど、当初の幕府の機能に富の再分配も雇用の創出もあったはずもなく(それが課題だとすら認識していなかったとおもう)、遊廓がセーフティーネットとして機能するのはそうでは?とはおもってしまうな。そのへんの証拠がどのくらいあるのかもわからないけど、網野義彦の議論に沿うと変な話ではない。
遊廓の性格は江戸中期くらいから変わるようで、それが蔦屋重三郎のような出版人の登場と、出版文化に支えられた浮世絵の隆盛に代表されるとおもわれる。歌麿とかに代表される派手な出版文化が起きるのが田沼時代で、田沼失脚後には蔦屋や歌麿らは厳しい弾圧にあう。これは、網野史観的な「公界」と封建権力の相剋(中世の延長)と捉えるべきなのか、それとも近代的な資本主義の勃興(近代の始まり)と捉えるべきなのか?
田沼政権の金権政治で貧富の差が拡大、農村が荒廃している。 一方では都市部の金持ちの金余り状態をつくりだし、遊廓が派手になる時期でもある(蔦屋重三郎や歌麿、鳥文斎栄之などの登場)。当時の金持ちにお金を元手にして産業を生みだす…など期待できるはずもなく、遊興に使う以外になくて遊廓が発展してしまったんだろうな。それは他方で貧困化する農村から人買いが容易になるということもなんとなく推測できる。
田沼時代の運上金、冥加金の上納を引き換えとして特権を与えるなどといった商業資本重視の政策は下層への搾取を生み、富商・富農の誕生を促進させた。富を商品流通構造に係わる一部の生産者へと集中することによる貧富の差の拡大が進行し、小農の経営を破壊し、離村する農民の増加を促した。離村した貧農は都市へと流出し、農地は「手余り地」となって、耕作されずに放置され、農村の荒廃を生んだ。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B9%B3%E5%AE%9A%E4%BF%A1
こういうの見ると遊廓におけるメディアの発達は近代のはじまりでもなんでもないな。蓄財の観念がなくて資本をもとでに資本を生むみたいなサイクルがない。基本的には田沼政権下での堕落の一部と見てよさそう。
江戸中期の浮世絵をどう見ていけばいいかだいたい理解できた気がするので、このあと(歌麿らの世代の後)北斎や広重がでてきて、風景画が発達する理由が気になるな。
芸大の大吉原展は、「公界の格式」などの言葉がでてきて、でも中心は蔦屋重三郎や歌麿などの時期のようなので、中世史の概念をもって近世史を見る筋悪な議論になりそうな気がしてきた。
この時期、立身出世主義などとはま逆に、武士が浮世絵をやるなどがあり、それがいま千葉で展示している鳥文斎栄之なのだが、この時期の特徴なんだろうな。それだけ町人というか吉原周辺が強かったんだろうという気がする。図録はいつも通り金権政治の説明とかないんだが...。
※個人の感想にたどり着けないインターネット - 関内関外日記 https://goldhead.hatenablog.com/entry/2024/02/02/130254
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中世とか近世、富の再分配とかぜんぜんないと思うんだけど、乞食的なものがそれになるのかな
> セキュリティポリシーへの干渉の例として「実験的なHTTP/3のコードにおいて発見された典型的なバグについて既存のセキュリティポリシー通り通常のバグとして処理することに全開発者が同意していたにも関わらず『セキュリティ勧告』を行ったこと」を紹介しました。
https://gigazine.net/news/20240215-freenginx/
quicにリポジトリが分かれてた頃の話かしら
F5側の主張、「実験的な機能」であってもCVEとして対応というのもそんな無理筋な主張には見えない
https://www.nginx.com/blog/nginx-continued-commitment-to-securing-users-in-action/
かつてフジテレビの番組で「ポンキッキ」という番組がありましたが、「ポンキッキ」の意味について、明確な由来があるのか、そもそも意味のない語句なのか知りたいです。(宮城県図書館)
https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000344954
2024年1月登録事例 アクセス数 第1位
感情的な対立かな...。しかしこれだけだとここまでこじれるようにもおもえない。
https://freenginx.org/pipermail/nginx/2024-February/000000.html
最初の吉原概説はよかったけど、途中からどうでもいい揚げ足とりに終始しはじめて無理ってなった
大吉原展の件、専門家がバカにされていると感じる。現状でミスリードな言論が盛んになっていてかなり厄介な状況になっている。
この展示の告知が燃えてからこの領域についての調査を始めたからどうこう言える立場ではないけど、これまでに議論の積み重ねがあることははっきりしており、それを踏まえて丁寧に論じられるべき問題だとおもうけど、専門家がないがしろにされているという印象である。
展示の学術顧問となっている田中優子はその(専門的な)論争で批判されている当の人物で、田中の議論のどこに問題があるかなど整理もされているが、そういうのは完全に無視で思い込みの批判が先行している。
寛政の改革でようやく行政府が税を貧困層救済にあてるという福祉国家的な考えが発達したということだけど、裏返すとプロレタリアート階層が出現したという話でもあるな
メモ
幕府が吉原遊廓を確認したときの条件に、騙されて売られてきた場合は戻す、夜営業の禁止、華美でないこと、などがあるので、そのまま受け取るなら公認売春施設というより当初は遊び場としての性格が強そうである。それが人身売買的な仕組みに堕落したとすれば、たぶん貨幣経済の発達、貧富の差の拡大、農村部の荒廃に加えて、武士の倫理的堕落が必要になると思う。実際にその条件を満たすのがやはり田沼時代以降のようには思われる。
ちょうど田沼時代から寛政の改革期にかけて、歌麿、山東京伝、鳥文斎栄之など浮世絵のいわゆる黄金期になる。派手な文化であるのは間違いないが、作風を見てもそこまで堕落しているようには見えない。つまり裏に人身売買的な在り方が自明である認識で描いた絵とは見えない。もしそのような非道な人身売買的な仕方で連れてこられた遊女たちを、歌麿たちは知りながらあのように華美に描いたのであれば、よほど人でなしと思うのだが、そうではないように思う。このへんはもう少し詳しく理解する必要を感じる。
この後の世代の浮世絵の傾向が、北斎とかになるわけだけど、遊郭をそんなに描いていない。それは一つには政権からの弾圧がある。もう一つにはこの時期にはもう絵師が描くに忍びないほど堕落しきっているのではないのか。地方農村部が荒廃した結果はプロレタリアート階級が出現しているはずで、人身売買が容易な環境になっていたことは間違いなさそうである。
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てか、ポリコレ意識高い人は落語とかどうやって聞いてるんだろ。自分はもちろん「引っかかる」んだけど、いいとかダメではなくて「それでも引っ掛かりが少ないようにするための工夫がどこにあるのか?」を考えるようにしてる。
ポリコレって「いい」とか「悪い」だけだと「なぜそうなってるのか」を全然説明しないので解像度低いんだよな。
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道に死体が放置されて、調査に行った人がなんか踏んだなと思ったら人のはらわたであったとか。人肉も食べたり売られたりしたらしい。
電車で若い勤め人の雑談聞こえてくると格差という言葉について思いを馳せてしまう