01:14:35
icon

すげーあたりまえのことを言うけど、このへんはようするに日本のリベラリズム知識人たちで、リベラリズムのなかでは「近代化」っていうのはポジティブなものとして語られるんだよね。

北澤憲昭は柄谷行人の枠組みに完全に準拠しているけど、限界ははっきりしていて、大正時代とか昭和とか語れない。明治における制度の創造性が近代化だったわけで、そこが重要だった。これは大塚英志も似たようなところがあって、さすがに大塚は明治から戦争まで語るけど、特権的な位置に置かれるのが柳田國男で、真の近代化を主張したのが柳田だがメディアの発達が愚劣な大衆を作りだしたという史観を取っている(現代のSNSにあきらかに重ねている)。大塚の史観は、柳田的な「近代化」が達成されていれば人々は民主的主体として確立していたはずで真の近代化が達成できていたはずだ、という理屈がある。
議論の詳細にはたちいらないが、これと共通のマインドセットを感じるのは司馬遼太郎だったりする。司馬の史観は明治は偉大な指導者が立派な建国をしたのに、あとの世代で愚劣な指導者がでてきたから駄目になったというもの。

ここに列挙した北澤、大塚、司馬には共通して日本の「近代化」にたいして肯定的な評価があり、両価的なものとしては考えていない。ポストコロニアリズムが抵抗したのはまさにこの観念であったはずで、近代化=西洋化とは支配の歴史だと書き換えるためのプロジェクトだったはずだ。

01:18:52
icon

全共闘の解体が、青華闘告発による日本帝国主義的体質の暴露によっていたことを考えると、リベラル知識人による「近代化」の肯定的な語りなおし(それもポスコロ全盛期において)は、素朴な意味でバックラッシュだったんじゃないかとおもうんだけど、こういう整理はされているんだろうか。

01:52:45
icon

このへんの日本近代の語りなおしって、日本人による日本語りなんだけど、なんかそういう自己意識的なもの(の強化)から来ているんじゃないかというのはある。

03:39:29
icon

現代思想、国連特集だとおもってたらけっこうパレスチナ関連の記事がある
http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=4002&status=published

青土社 ||現代思想:現代思想2025年2月号 特集=国連の未来
14:09:55
icon

リベラリズムの一般的特徴として、近代化は悪くないが、今悪い問題が起きるのは運用が悪いからだ、みたいなのないですか。衆愚政治批判もリベラリズムから聞こえる気がしており、それは、リベラリズムの自己意識が「自分はじゅうぶんに近代化し、啓蒙された存在である」というものだから、蒙が開かれていない存在としての愚民を客体化できるため。じゅうぶんに啓蒙され民主的となった主体が運用すれば国家は適切に運用される。

19:34:51
2025-02-14 12:26:16 うえの :fedibird1:の投稿 utan@fedibird.com
icon

山と渓谷社からすげー面白そうな本が来週発売される。読むしかねえ。

『歩くという哲学』
著者 フレデリック・グロ著

「世界中に影響を与え、世界を動かした思想家、哲学者、作家、詩人の思索の多くは、歩くことによって生まれてきました。
歩くことは、最もクリエイテブな行為なのです。
……
著者のフレデリック・グロが、哲学的な瞑想の連続を読者とともに探索しながら、ギリシア哲学、ドイツ哲学と詩、フランス文学と詩、英文学、現代アメリカ文学等の、著名な文学者、思想家の歩き方について探求します。」

yamakei.co.jp/products/2823350

歩くという哲学 | 山と溪谷社