寛政の改革でようやく行政府が税を貧困層救済にあてるという福祉国家的な考えが発達したということだけど、裏返すとプロレタリアート階層が出現したという話でもあるな
寛政の改革でようやく行政府が税を貧困層救済にあてるという福祉国家的な考えが発達したということだけど、裏返すとプロレタリアート階層が出現したという話でもあるな
メモ
幕府が吉原遊廓を確認したときの条件に、騙されて売られてきた場合は戻す、夜営業の禁止、華美でないこと、などがあるので、そのまま受け取るなら公認売春施設というより当初は遊び場としての性格が強そうである。それが人身売買的な仕組みに堕落したとすれば、たぶん貨幣経済の発達、貧富の差の拡大、農村部の荒廃に加えて、武士の倫理的堕落が必要になると思う。実際にその条件を満たすのがやはり田沼時代以降のようには思われる。
ちょうど田沼時代から寛政の改革期にかけて、歌麿、山東京伝、鳥文斎栄之など浮世絵のいわゆる黄金期になる。派手な文化であるのは間違いないが、作風を見てもそこまで堕落しているようには見えない。つまり裏に人身売買的な在り方が自明である認識で描いた絵とは見えない。もしそのような非道な人身売買的な仕方で連れてこられた遊女たちを、歌麿たちは知りながらあのように華美に描いたのであれば、よほど人でなしと思うのだが、そうではないように思う。このへんはもう少し詳しく理解する必要を感じる。
この後の世代の浮世絵の傾向が、北斎とかになるわけだけど、遊郭をそんなに描いていない。それは一つには政権からの弾圧がある。もう一つにはこの時期にはもう絵師が描くに忍びないほど堕落しきっているのではないのか。地方農村部が荒廃した結果はプロレタリアート階級が出現しているはずで、人身売買が容易な環境になっていたことは間違いなさそうである。
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てか、ポリコレ意識高い人は落語とかどうやって聞いてるんだろ。自分はもちろん「引っかかる」んだけど、いいとかダメではなくて「それでも引っ掛かりが少ないようにするための工夫がどこにあるのか?」を考えるようにしてる。
ポリコレって「いい」とか「悪い」だけだと「なぜそうなってるのか」を全然説明しないので解像度低いんだよな。
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