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イスラエル、140万人を1カ所に追いつめ陸海空から空爆開始
https://japan.hani.co.kr/arti/international/49132.html
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浮世絵調べてて思ったけど、現実を虚構としてのみ消化するのは日本文化の特長なのかもしれない(雑発言)。
アメリカの社会構造と江戸期の社会構造がアナロジーで把握できるならハイブロウ/ローブロウの概念も有効に機能しうるけど、出版業・経済観念の発達、軍事政権からの検閲の強さなどは頭に入れておかないとあやうい
江戸時代はかなり長く、いつのまにか近代を胚胎しているけど、幕府も遊廓も不変であるかのように倒錯してしまう。
「遊廓はセーフティネットだった」という言及がめちゃくちゃバカにされていたけど、当初の幕府の機能に富の再分配も雇用の創出もあったはずもなく(それが課題だとすら認識していなかったとおもう)、遊廓がセーフティーネットとして機能するのはそうでは?とはおもってしまうな。そのへんの証拠がどのくらいあるのかもわからないけど、網野義彦の議論に沿うと変な話ではない。
遊廓の性格は江戸中期くらいから変わるようで、それが蔦屋重三郎のような出版人の登場と、出版文化に支えられた浮世絵の隆盛に代表されるとおもわれる。歌麿とかに代表される派手な出版文化が起きるのが田沼時代で、田沼失脚後には蔦屋や歌麿らは厳しい弾圧にあう。これは、網野史観的な「公界」と封建権力の相剋(中世の延長)と捉えるべきなのか、それとも近代的な資本主義の勃興(近代の始まり)と捉えるべきなのか?