掃除めちゃくちゃ疲れる
立民がどうかと言っている人多いけど、維新が票を割りにきたということではないの
@toneji あまり詳しくはないのですが、もともと京都では民主系対共産という対立構図があるようなので、京都における野党連合は共産+維新ほかになるんじゃないかと思いました(立民は確実に反共産で動くので)。前原は維新ではないですが、「選択肢が必要」として維新と共同で野党候補を推薦しています(結果は途中で推薦取りやめですが)。前原の言う「選択肢」とはあきらかに非共産の野党候補を意味しているので、維新と前原が黙っていたら福山氏が勝ったと思います。
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立民と部落解放同盟は関係ない言ってる人いたけど、関係ある
https://cdp-japan.jp/tag/%E9%83%A8%E8%90%BD%E8%A7%A3%E6%94%BE%E5%90%8C%E7%9B%9F
京都市長選で立民の動きをおおざっぱに反共と言っている人多いけど、筋違いだとおもう
共産党のほうはこう。だいぶ古いけど。
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2007-01-04/2007010426_01_0.html
福山氏の「幅広く支持を得たい」という意向もこういう対立を背景にしてのことですよね。政党政治における主張のもろもろが、分断の裂け目として機能する。その裂け目に手をつっこんで分断を促し第三勢力をつよめてきたのが維新のやりくちだとおもう。
https://www.nhk.or.jp/politics/articles/feature/105822.html
共産党にも異変が起きていた。 前回・4年前の市長選で推薦した福山和人が、2回目の挑戦を表明したものの、今回は推薦を見送ることになった。
京都市長選での推薦見送りは20年ぶりのことだ。 「幅広く支持を得たい」とする福山の意向を尊重して「支援」にとどめた。
立民は反共だから負けた、立民には今後期待しないって言って得するの維新だけじゃないですかね。
おお
伊藤忠、イスラエル軍事企業とのMOU終了:時事ドットコム https://www.jiji.com/jc/article?k=2024020500623&g=eco @jijicomより
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やばいなこれ
税や保険料を納めない永住者、許可の取り消しも 政府が法改正を検討:朝日新聞デジタル https://www.asahi.com/articles/ASS2544Z5S21UTIL01R.html
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残酷な過去がときに「笑い」を誘うこと。|渡辺豪
https://note.com/yuukaku/n/n097e9e416bce?sub_rt=share_pw
大吉原展はプレスを読むかぎり、おもに外しているのは宣伝の仕方で、他はふつうの美術展でしかないとおもう。
明治期に入って江戸文化の消失という古田氏の視点は、最近おなじことを考えているのでふつうによくわかる(古田氏の参照先が鏑木清方なのを見ても、この企画の背景はほぼ推察できる)。
https://museum.geidai.ac.jp/exhibit/file/%E5%A4%A7%E5%90%89%E5%8E%9F%E5%B1%95_%E3%83%97%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%83%AA%E3%83%AA%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B90131_4-%E7%B5%90%E5%90%88%E6%B8%88%E3%81%BF.pdf
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これは検閲の要求でなくてなんなのか。内容がどう問題あるかすら言っていない。
https://twitter.com/kenichiromogi/status/1754707365025427728
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この輸出産業とかインバウンド重視施策ってクールジャパンにおけるセルフオリエンタリズムとおなじだなぁ。というか明治期の殖産興業時の輸出戦略路線がそうなので、近代日本の骨髄まで染み込んでいる気がするけど...。
https://gendai.media/articles/-/75477
村上隆が岡倉天心を自覚的に反復するのはまさにそういう事情を反映しているとおもわれる。
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大吉原展はまじでタイトルのつけ間違えで、企画はどうみても浮世絵展なんだけど、いままで浮世絵がただの美術館芸術として処理されてきたところから、その成立背景を明らかにしながら絵を展示するという、文脈復元的な展示だろうと思っている。その意味で重要な展示になるはずなんだけど、ボタンのかけちがえがある。
それで、ここは1984年MoMAで展示された「20世紀美術におけるプリミティヴィズム」で起きた論争と近い性質がありそうに思う。MoMAの展示も純粋に学術的な関心からアフリカ美術やオセアニア美術を扱ったが、美術史および美術館という近代の学術装置そのものが植民地主義の忘却のうえに成立している。
学術装置としての美術史や美術館が、社会と関わるときに何が必要になってくるのか。MoMAの展示では美術館という制度の批判がクリフォード・スティルとかからでてきたけど、こういう批判が今回のでは出てくるのだろうか。
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結局、いろいろ思うことがありすぎて、見てもいない展示の感想を書くという愚行を冒すことにした。
https://blog.tenjuu.net/2024/02/07/daiyoshiwaraten
これで「表現の不自由展」の主催者なの信じがたいな。さすがに狂いすぎだろ。
https://twitter.com/arai_hiroyuki/status/1755064077142176119
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江戸期の人身売買的身売りって管理売春だけじゃなくて丁稚奉公もなんじゃないのかな。
やっぱりまだ開催されていない展示について極めて強い口調で批判が繰り返されるのはかなり強い不満がある。
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柳宗悦は反植民地主義で当時のインテリとしてはかなり少数派だとおもうけど、最近はけっこう植民地主義者だと批判されることがある。その批判(オリエンタリズム批判)もわからないではないけど、あまり一刀両断したくない思想家だとおもう。
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日本における封建制とか封建主義という語、アンシャン・レジームみたいな言葉と近いかったりするのかな。
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大吉原展、事前にこんな騒ぎ立てるのどうなのと思っていたけど、
展示を見る→図録を読む
みたいな一般的な流れを逆にしたいと思っている身としては、事前にさまざまな論点整理ができてありがたいとなった
「大吉原展」が炎上。遊廓はこれまでどのように「展示」されてきたのか? 博物館や遺構の事例に見る享楽的言説と、抜け落ちる遊女の「痛み」(文:渡辺豪) https://www.tokyoartbeat.com/articles/-/daiyoshiwara2024-insight-202402
遊郭を調査している渡辺氏のような方がこうして丁寧に文脈を拾ってもらえるのも、仮に展示そのものが失敗したとしても(自分は展示にはけっこう期待しているけど)、アカデミズム美術史と社会史が交錯してよいことだとおもう
「買い手側の問題」から「加害者側の問題」への視点転換は、売買春は買い手が悪い論というか、男性の倫理問題に陥りがちで良くない議論だと思うけど、渡辺氏が「加害者」というのは社会構造が全体としてどうなっているかの議論抜きに良し悪しを論じることはできない、ということだと理解しました。
崩し字の本って活版印刷じゃないよなと思ってたけど、連綿活字なんてものがあるのか
江戸と明治のあいだで、なにが連続的でなにが非連続的なのか、吉原の件とか見てもいろいろ思うことある。
大吉原展にたいする開催前の感想をtwitterで見ると、性産業にたいする差別的感情の強さにはやっぱり驚く。
典型なのは吉原の地図を提示して、近くに被差別部落や処刑場があることをもって遊廓を「女性にとっての地獄」と言っていたツイートで、これ被差別部落を「地獄」として扱っているのもクソだし、遊廓が被差別部落と近いことをもって差別されるのは当然だとするような考えで、ひどいなとおもった。
そもそも近代の資本主義みたいに大資本が労働需要を生み出すようなことが江戸期にはなかったがゆえに、貧困層としては公認であろうと非公認であろうと売春せざるを得なかったのでは?(売るものがほかにないので)という疑問が、性差別云々の文脈以前にあるのだけど、あまりそういうことを言うひとも見かけなかったな。
巨大産業とかがあれば雇用が生まれるが、それが当時たいしてあったわけでもないし、持たざる者は売春するだろうし(罪と罰のソーニャとか)、管理売春として政府が制度化したのは性差別的な文脈とはおもわない(自然発生してしまうので管理するほうがマシ)。現代と条件が違いすぎて当時の「買う側」の批判しても仕方ないように思う。性の商品化を生みだしているのは貧困で、「買う側」の「男性性」なるものがどれだけ問題化されるべきなのかちょっとわからない。
それこそ、吉原みたいに文化が発達した世界での「性の商品化」は、貧困という文脈とは違った意味で現代的なものがあるようにおもう。高級な花魁が身体を売っていたわけではなく、まさに文化を売り物にしていたように思うのだけど、それはやはり現代の芸能界と近いようにおもう。
幕府による公認遊郭の成立事情は知りたいな。「そもそも芸能の空間で」という言い回しを歴史修正主義という人いたけど、当時は芸能にたずさわる者も「公界者」だったと思うので、幕府の遊郭の公認が「公界」としてであれば芸能集団の居住地として設計されたという話なはずで(展示主催者の「芸能の空間」というのは多分そういうことだろう)、それはそんなにおかしい話には思えない。幕府が管理売春してたのは間違いないけど、「公界」を作るのはただの建前かどうかはそんなはっきりと言えないと思う。もう決着ついている議論なのかもしれないけど。
当時の芸能集団というか、幕府的な秩序に沿わない人間(公界者)というのは、ようするにプロレタリアート的な性格があり、放っておくと革命的な機運が高まるので囲い込んだ、というほうが説得力がある。