下村寅太郎が、近代科学について「自然を拷問して自然自身に答へさせる、さういふ意味で、近代科学の認識は寧ろ純粋に客観的な観察、事物そのものの本質の直観でなく、謂はゞ技術的形成的認識といふ性格を持って居る」と述べている。この洞察はハイデガーとかも共通する認識だとおもうけど、これは、同時代にヨーロッパの哲学とか科学の反省をしているとそういう記述があるから、こんなふうにいっているんだろうか。
下村寅太郎が、近代科学について「自然を拷問して自然自身に答へさせる、さういふ意味で、近代科学の認識は寧ろ純粋に客観的な観察、事物そのものの本質の直観でなく、謂はゞ技術的形成的認識といふ性格を持って居る」と述べている。この洞察はハイデガーとかも共通する認識だとおもうけど、これは、同時代にヨーロッパの哲学とか科学の反省をしているとそういう記述があるから、こんなふうにいっているんだろうか。
「近代の超克」は、読んでてそうとうの根深さを感じる。
近年でも、批評空間の「モダニズムのハードコア」でアメリカ美術批評とかが紹介され、自分が大学にいっていたころは、外延もあきらかではないまま「モダニズム」とかポストモダンとかのことばが流行っていた。ただ、この80年代以降の話を「近代の超克」の周辺とくらべてみると、あきらかに政治的な保守主義がいない。美術批評にかぎっていえば、モダニズムもポストモダニズムも、アメリカの一時代前の批評状況を基盤として語られていたという印象がある(すくなくとも自分は日本の美術批評のアメリカ的な批評言語の発達につよい不満があった)。このへんは最近はまた事情がかわりつつあるとおもうけど。
「近代の超克」座談会でも、「近代」の語の外延がめちゃくちゃあいまいで、でもなんとなく、近代の超克という標語があって、そのなんとなくはみんな了解しつつ対立する。ある人は「近代の超克」という語をもって、ヨーロッパにおける近代の内在的な克服のことを指して語るし、そうではなく、文明開花という日本における近代化を克服しなければならぬと語るひともいる。
こういう問題意識のほうが、現代の美術批評の根無し草感よりもわかるんだけど、ある言説がどうやって成立するのかとか、そういうことが気になるし、根深い問題をはらんでいると感じる。
😨
>約2千人の職員がパソコンを使うために割り当てられたパスワードが、すべて同じだった
職員2千人のPWも使い回し サイバー攻撃被害の病院、NECが手順:朝日新聞デジタル
https://www.asahi.com/articles/ASR3W75PFR3VULZU004.html
なんで都のサイトからターゲティング広告に情報共有するん…。
当サイトでは、Googleなどの広告配信事業者の広告サービス(ディスプレイ広告/リマーケティング/リターゲティング機能)を活用し、過去に当サイトを訪問された方が特定のページを訪問した際にお知らせ(広告)を配信することがあります https://www.metro.tokyo.lg.jp/privatepolicy/index.html
「Cookieの同意」みたいなこと言いだしたGDPR、その精神はともかくとして内容はだめすぎる。Cookie同意バナー邪魔すぎるし、邪魔なバナーを消しただけでCookie利用に同意したとみなされる歪なテクノロジーが生成され、善意から邪悪がうまれている。
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【やじうまPC Watch】「仮想通貨は社会の何の役にも立たない」NVIDIAのCTOが発言 - PC Watch
https://pc.watch.impress.co.jp/docs/news/yajiuma/1488601.html
「ミーチャン、ハーチャン」って言葉が出てきて、意味は一目でわかってしまったけど、そんなのがもともとだったのか
「近代の超克」座談会、やはり下村寅太郎だけめちゃくちゃ現代的というか、いまの視点からすると周囲の文学者連中がいかにも見えていないんだけど、これは戦争負けるよなぁ…みたいなことを思った。「近代の超克」が、魂にとっては機械文明が相手では不足がある、とかいうのは、思想とかそういうのしか見ていない。
河上 然し僕にいわせれば、機械文明というのは超克の対象になり得ない。精神が超克する対象に機械文明はない。精神にとっては機械は眼中にないですね。
小林 それは賛成だ。魂は機械が嫌いだから。嫌いだからそれを相手に戦いということはない。
河上 相手にとって不足なんだよ。
林 機械というのは家来だと思う。家来以上にしてはいかんと考える。
下村 それでは済まないと思う。機械も精神が作ったものである。機械を造った精神を問題にせねばならぬ。
小林 機械は精神が造ったけれども、精神は精神だ。
下村 機械を作った精神、その精神を問題にせねばならぬというのです。
小林 機械的精神というものはないですね。精神は機械を造ったかもしれんが、機械を造った精神は精神ですよ。それは芸術を作った精神と同じものである。
下村 機械を造った精神そのものの性格が問題ですよ。これは新しい精神の性格である。この精神は近代の我々の中に実際に事実として生きているから、それを単に嫌いというだけでは問題を避けているにすぎない。これは単に魂だとか、覚悟だけでは済まないと思う。そういう魂は謂わば古風な精神で、もちろんそのような精神は我々の底に必要であるが、しかし近代の超克という問題には機械を造った精神と同様にこのような単に古風な精神の超克も問題になるとおもう。前に「理性」も近代の理性は言葉を自己の表現とするようなロゴス的な理性ではなく、近代的な性格をもつと言いましたが、これはもっと一般的に言えば今の問題になるのですが、つまり「精神」や「魂」も近代的な変革を遂げていることです。今までは魂は肉体に対する霊魂だったが近代においては身体の性格が変わってきた。つまり肉体的な身体ではなく、謂わば機械を自己のオルガン(器官)とするようなオルガニズムが近代の身体です。古風な霊魂ではもはやこの新しい身体を支配することができない。新しい魂の性格が形成されねばならぬと思う。…
「機械を自己のオルガン(器官)とするようなオルガニズム」って、サイバネティクスとか、マクルーハンによる「身体拡張としての技術」とかまで視野に入っている発言だといっていい。もちろん当時の下村寅太郎がそんなことを知るはずもないけど。
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高嶋政伸さん本人が「大奥」で娘に性的暴行をするシーンについて書いている。インティマシーコーディネーターという仕事をまったく知らなかったけど、キューブリックの「シャイニング」でもジャック・ニコルソンが斧で襲いかかるシーンなどは別々に撮影していたり子役には20歳になるまで映画を見せないなど、かなり徹底していたらしい。すごい。
https://www.shinchosha.co.jp/nami/tachiyomi/20240327.html
テルアビブでのデモ、参加者がイスラエルが何万人も殺害しておりそれが女性や子供であるという認識を述べていて、こういう認識はどれくらいイスラエル国内に広まっているんだろうか。
https://twitter.com/trtworld/status/1771831824269943171
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松方デフレの「松方」、松方コレクションの松方幸次郎の父の松方正義
https://fedibird.com/@kon_nakayama/112173436340690723
西洋美術館の抗議活動でいろいろ調べはじめて、松方家の歴史はまじで日本史の一部ということを最近知った。
幸次郎の甥で女壻の松本重治は松方コレクション返還運動の主導者だけど、松方三郎と戦時中に中国との和平交渉を画策し、南京傀儡政権を樹立している。松方三郎はこれまたかなりおもしろくて、松方正義の末子だけど幸次郎の養子でもあり、長男巌の跡を継いで松方家3代当主となった。共同通信の設立者の一人。
松方家、何だよこれってなっている。
三郎、けっこう興味深い人物で、マルクス主義に傾倒していたらしい。川崎重工の労働運動にも関わっております、川重が先駆的に労使交渉で8時間労働を獲得したのはどうも三郎の画策によるらしい。
松方一家で、左から右まで両翼を形成しているのが、なんかすごいというか、これは日本に特徴的なのか、他国もそういうものなんだろうか?当時マルクスを読むなんてよほどのインテリでしかないから、左翼運動がブルジョワ層の指導のもとに形成されるのは不思議ではない。