@juners 似ているけど,多いか少ないかまでの限定はない感じです(τριάκοντά τινες《約30》).
@juners 似ているけど,多いか少ないかまでの限定はない感じです(τριάκοντά τινες《約30》).
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
2月号のユリイカは書体特集だったのか
[青土社:ユリイカ2020年2月号 特集=書体の世界] http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=3392
ギリシア語の小辞 τοι が,格言的な物言いをしたときによく挿入されるのは認識しているけれども,そのニュアンスの詳細はあまり考えてみなかったな.
あれは二人称代名詞 σύ の単数与格(σοι)に由来していて,いわゆる関与の与格(ethic dative, 動詞や前置詞などと結びつくのではなく文章全体がもっと漠然とした仕方で相手に関係する事柄であることを示す与格)からくるものだから,「格言や諺のような普遍的事実が,今の〔=あなたにも関係のある〕ケースにも妥当するのだよ」ということを示す標識になっているという理解でたぶんそう遠くないと思う.
人とのやり取りの中で突然ポンッと格言や諺を言って終わり,だと「何だこいつ」となるので,確かに「『犬も歩けば棒に当たる』だ**ね**」とか「『因果応報』だ**よ**」とか言って,現在の文脈に関連付けるのが普通ではある.τοι や ethic dative の翻訳上の処理としては「~よ」「~ね」の終助詞をうまく使うのがよく,この手のものはたとえば英訳に反映させようとすると I tell you とか数語を費やした挿入句にせざるを得ないので,少なくともこの点に関しては,西洋人よりも我々の方がギリシア語のニュアンスをつかむうえでアドバンテージがあると言えなくもないか.
一応 Denniston も見てみると,おおむねそのような感じだね(喜劇や散文よりは詩で普通というのはふむという感じ).
'With a proverb or general reflection, far commoner in serious poetry than in comedy or prose. τοι is used here to point the applicability of a universal truth to the special matter in hand: it forces the general truth upon the consciousness of the individual addressed: 'Don't forget, please'. ' (GP p. 542)
でも考えてみると'Don't forget, please'みたいな念押しを「~ね」の一語で含ませられるの,便利ですね(そこか
「描いたけど自分の画力では完璧ではないからお蔵入りにした」と報告する絵描きを見るたびに,ガウスに研究成果の公表を求めるシューマッハの気持ちになるわけですよわかるか?(シューマッハーだっけ
でも言いたさでいくと「完璧なものが出来上がりましたがこれは私用なので公表しません」の方が言いたいかもしれない.
アクセスできない資源があることを知らされるくらいならそもそも知りたくなかった,みたいな悲しみが生まれるやつ.
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
というかむしろ arXiv に準えられることで,Pixiv = picture + archive という解釈に思い至った.