序 「学問」について:文部科学省 http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/gijyutu/gijyutu4/015/siryo/attach/1343350.htm
今年のClassical World誌夏号にパスコリのCrepereia Tryphaenaに関する論文が載っていた.詩の背景や本文と訳があるので,読んでみるのに良さそう.
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む
Internet Archive(IA)と古書店のBetter World Booksが収集した未デジタル化資料のデジタル化に関し連携 | カレントアウェアネス・ポータル https://current.ndl.go.jp/node/39463
以前ルクレーティウス絡みで原書の一部を読んだことがあったが,Hadotのこの本が邦訳されるとは驚いた.
「「自然は隠れることを好む」。ヘラクレイトスの謎の箴言から、25世紀にわたる西洋世界の自然探究が始まる。慎しみ深く身を隠す女神の真の相貌をめぐって、古代哲学から中世の神秘主義、ルネサンス以降の機械論的世界観からゲーテ、ニーチェやハイデガー、そして現代科学にいたるまでの人間の知が繰り広げてきた思索の営みの物語。フーコーの信頼厚かったフランスの古典学者アド、初の邦訳」
イシスのヴェール | 法政大学出版局 http://www.h-up.com/books/isbn978-4-588-01109-2.html
神戸・ユダヤ文化研究会なる団体が存在するのか…
第2回文化講座のご案内:「20世紀をユダヤ系思想家として生きること」 | 神戸・ユダヤ文化研究会 http://jjsk.jp/event/2019/11/07/1215/
必要があって幾つか雑誌の最新号を見ていたが,最近は著者のメールアドレスはもちろん,雑誌によっては論文ごとにDOIもきちんと付与されていたりする.
「モミッリャーノは大きく言って、歴史学およびフィロロジー(文献学・校訂学)における実証主義を批判する動向に属します。18世紀末から、歴史研究のターゲットとして「固い事実」に辿り着くということが浮上します。これとパラレルに、写本の伝承に関してはオリジナルな正しいテクストがある、という風に考えるわけですね。ところがモミッリャーノは、複雑で立体的に組み上がった社会的現実の長期的な変化こそがターゲットなのではないか、テクストには初めから異本が存在しており、どちらが正しいかではなく異本が存在すること自体が貴重な現実ではないか、という視点を持っていました。ただし彼の場合、構造主義や現象学といった実証主義批判の多様な陣営の中で、むしろ初期近代以前のイタリア人文主義に帰ろうとする側面があり、そのぶん堅固な基盤を持ち、理論的にはオープンです。これは、イタリアでは脈々と流れ続ける最高度の知識層が育んできたもので、その中からしか生まれなかった姿勢であると言えます」
木庭顕氏に聞く 立体的な思想史を描き出す - 木庭顕|論座 - 朝日新聞社の言論サイト https://webronza.asahi.com/culture/articles/2019110500004.html?utm_source=twitter&utm_medium=webronza
今日の11時から
NHKドキュメンタリー - BS1スペシャル「イスラムに愛された日本人 知の巨人・井筒俊彦」 https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/2443/1878344/
京都大学未来フォーラム(第76回)どうすれば幸福になれるか 哲学者・岸見 一郎氏(文学研究科 博士課程単位取得退学)
2019年12月11日 水曜日 18時30分~20時00分
http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/social/events_news/office/soumu/shogai/event/2019/191211_1500.html
やる気がアなんで前言っていたソヴィエトにおける古典研究に関する論文を二本読んだ.とても面白かった.
前者は革命以前のロシアにおける古典の受容も含めて広く見ていて,後者はソ連の大学や研究所とそれぞれの研究教育上の特長をわかりやすくまとめている.
Graham, H. F. (1961) ‘The Classics in the Soviet Union’, The Classical World, 54(7), pp. 205–213. http://www.jstor.org/stable/4344571.
Takho-Godi, A. and Rosenberg, S. (1970) ‘Classical Studies in the Soviet Union’, Arethusa, 3(1), pp. 123–127. http://www.jstor.org/stable/26306998.