フィッシュのライブシリーズ。今回はなんとベルベッツ『ローデッド』を全曲アルバム曲順通りにカバー。基本忠実に再現しながらもそこはジャムバンド。気づくと「スイートジェーン」は8分に。極め付けは「ロックンロール」。歓喜のジャムに酔いしれる至福の13分!
Your majesty, beloved, well-self-censored account is here! It's a time to say Goodbye to all Stupid residents of this Normative Society. It must be nice to disappear to live a life of my own.
フィッシュのライブシリーズ。今回はなんとベルベッツ『ローデッド』を全曲アルバム曲順通りにカバー。基本忠実に再現しながらもそこはジャムバンド。気づくと「スイートジェーン」は8分に。極め付けは「ロックンロール」。歓喜のジャムに酔いしれる至福の13分!
気圧が見せてる幻覚!だと言い聞かせてるけど、もう本当に嫌だ。おもしろいもの見ても「おもしろい」という認識だけ生じてそう感じない。「嬉しい」も嬉しいという記述だけ。こういう精神状態から抜け出す方法何かないの。
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漫画も印象変わんないかも。姫?のほうが活躍が弱いんですよね。まあ短編なんで……とそこは深くつっこまなかったけど。
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「オタク」に限らない。人の言う「おもしろい」をぶっちゃけまったく信用していない。でも自分は人がすすめる「おもしろい」によく手を出す。それは「その人がどんなものにおもしろいを感じてるのかがおもしろい」からだったり。
そもそも「おもしろい」から何なのか。おもしろい本だの映画だのは単なるひまつぶしで、そんなことより硬い椅子に座って好きな人とドトールのコーヒーでも飲んで話してる時間のほうがハッピーだったりするし、1人でパソコン分解してる時間の方が楽しかったりしないか。
たいていの人は「おもしろい」が「わかんない」と思ってる。だから「この作品のプロデューサーがプロデュースしてるアーティストの作品で演奏しているピアニストのプロデューサーの妻が本作でもギターを弾いてる」式の【Wiki批評】と、「この作品におけるマイノリティ描写の是非」みたいな【ポリコレ批評】ばっかりしてるのではないか。Wikiもポリコレも悪いわけではなく、「それだけ」だったりする人が多いなと。「おもしれー!!」とか「笑った」みたいな感想は実は言うのは勇気がいるし、そもそもそういう感覚持ってる人が少ないのではないかと思ってる。
ドストエフスキーもプルーストも「バッカじゃんwww」でしかなかったりするのだが、やたら神妙に、辛気臭く読む人いたり。
あと最近思うのは、SNSでほめられてる作品、ほんと当てになんない。基本、人脈なんだよね……。そらそうだよね。知り合いが本出したり映画撮ったりして、それを悪くは言えるわけがない。悪いことにほめられてる作品、そこまで悪いわけじゃないんだよね。確かにぼちぼちいいとこもあって、時間が無限にあるなら是非とも楽しみたい、くらいのもの。でもさあ、こちとらもう残り人生そんなないわけよ。デートしたり酒飲んだり超音波カッターでプラスティック切り刻んだりしてみたい。
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妻にマルコリーニのチョコをプレゼントしたんだけど、家に帰ったらどこにもないので「どうした?」と聞いたら「もう食べた」ってんでビックリした。
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「おもしろい」とわかってるものの「つまらなさ」みたいなことはある。おもしろいんだろうよ。そのおもしろさも大体想像がつく。そこに誤解の発生する余地もなさそう。そういう成分が欲しいときに摂取したらまず間違いなくハッピーになれるやつ。でも、そういう成分、別に今欲してないし、何なら今後欲することはおそらくないだろう、っていう。体験したことのない「おもしろさ」を知りたいんだよね。それなのに「おもしろい」、しかも理解できるおもしろさの「おもしろい」ってことがつまらない、みたいな感覚。
以前、話がとにかくつまらない人がいて。本当につまらない。こんなにつまらない人、初めてあった。なんでこんなつまらないのか。つまらない話を聞いてる間、ずっと「なぜつまらないのか」「何が原因なのか」「同じ話をおもしろく話すためにはどうすればいいか)考えていた。最終的に、この人の話し方を構造的に捉えて理解し、リバースエンジアリングして取り出せば、その手法をめちゃくちゃおもしろい話に適用することで最高に退屈な話に変換できるのではないか?などと考えはじめ、なんだか逆に、そのつまらなさが新鮮でおもしろかったんだよね。おもしろいことはおもしろさがつまらないし、つまらないことのつまらなさがおもしろかったりする。これ、自分は本当に頻繁に実感することなんだけど、あんまり同意を得られない……。
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話の展開、雑なんだけど、キャラ造形でほほえましく見れる、みたいな感じですね。漫画はそれでも描き込みがおもしろかったです。絵がよいんですよ。それ以外はそもそもなんか不思議な感じで。だって「A国」と「B国」だぞ(笑)
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単純に古臭い……そういうことじゃないんだろうけど。そういう時代の話を今するつまんなさってのもあるし、あと、それ、朝から???っていう。プロやろと。
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ただ自分は徹底的に「日本の映画、ドラマの演技」が苦手なんだなと。喋る前になんか間をおいて「ははっ」みたいな息漏らしてから喋るような演技あるじゃん。あれ、なんなん??「今、演技してる人の演技見せられてるな」って気持ちになるからやめてほしい。
わかる?なんか日本の映画、ドラマの演技って「そういうジャンルの演技」で、なまじ映像が実写だから違和感すごいんだよ。
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とりあえずすべての俳優は、これから大事なこと言うぞ?って前に「……ははっ」って小さく息漏らさなくていいから。
『そばかす』舞台が浜松設定なんだけど、選挙演説シーンの商店街、自分あそこ行ったことあるわ。駅名なんだっけ。草薙駅だだっけ。
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ジャンルによってリアリティ違うので。たとえばいちいち「手からかめはめ波出ないでしょ」とか「出たとしたら物理的に……」みたいなツッコミはしないわけで。だから「日本のドラマ」「映画」に独自なリアリティのコードと解像度あるのはわかるんだけど、慣れてないよね。慣れたくないし。
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歩くシーンとかもいちいち「説明的」なのも気になる。落ち込みながら歩いてんですよーって説明的に歩かされる。そこらへんは別に視聴者が勝手に補ってるから、「ここ、主人公は落ち込んでるんやで!」とか説明的に「落ち込みながら歩いてる」演技しなくても良くない?とか。俳優や監督が悪いというより、なんか「わからない人用にすべて味付け濃くしてる」説。
お願いだから安倍や岸田に「さん」つけないで。あんたの知り合い?なれなれしくすんなし。そんなとこからもうすでにヤラレてんじゃん。
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@gaby それ、マイクの設定するボタンだと思います。今iPhoneで確認したら最初に部屋に入る時にマイクの設定確認されます。?みたいにアイコンに出てら場合はマイクが設定されてないということのようです。
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『そばかす』なんていうんだろう。とてもよい視聴感の作品でした。恋愛的な展開があるたび、アロマアセクの主人公にとって辛い体験になるので、見てるこちらも「いい雰囲気」になるのがとても怖い。最初同じような展開が続くので(また同級生と再会かい!また同じ喫茶店かい!またベッドで話すんかい!)少し飽きるかな?と思ったけど「いつまで経っても同じところで[失敗]をさせられる辛さ」の描写でもあるので、これでいいのだと思った。
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紫キャベツの苦味と、塩の塩梅が最高だったなあ。ここ、野菜がほんと美味しいんだよね。あと、塩使いがマジで神!高松の時宅ってとこです。
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仮面とは別の内面の提示が近代文学だけど、内面は提示した瞬間に新しい仮面として商品価値を持ち流通してしまう。これを浜崎洋介は「近代小説の逆説」と呼んだのだけれど、嶽本のばらがこれにしれっと「内面なんてくだらない」「美しければ数学も生物も全部正解」と乙女、少女の美学で全否定してて、なるほどなと。
近代文学の逆説 https://scrapbox.io/eyehatesns/%E8%BF%91%E4%BB%A3%E6%96%87%E5%AD%A6%E3%81%AE%E9%80%86%E8%AA%AC
ブルースカイ、マストドン、スレッズ。X。全部やってます。が、全部Scrapboxに書いた記事のシェアですね。なので、どれをフォローしてくださってもいいし、一つだけフォローしてくれれば大丈夫です。
結局、もうどこのプラットフォームか安定してなければ「別で再利用可能な形でコンテンツを持っておく」が最適解なのはファイナルアンサーじゃないですかね。
というわけで、自分はすべて記事はScrapboxに書いていきます。更新が知りたい人は、以下のリンクでRSSも取得できます。RSS。知ってますか。
一応。ブルースカイのアカウントはこちらです。https://bsky.app/profile/moriteppei.bsky.social
「結局人がいて人に見られないと」ってことであればX一択。「一社の思惑でフラフラされてたまるかよ」って人はフェディバースしかないんで、Mastodonとかその手のサービス一択です。「Xは許せないからThreads」とか言ってる人は、メタ社が何してるかを知ると「ほなMastodonしかないかー」ってなる。おいずれにせよBlueskyに出る幕はないと思っていますが、いかんせん、Mastodonには人がいません。
Mastodon、最初はおもしろかったんですが、どんどん人がいなくなってる。つまんないです。人がいなくなったのも道理で、結構有名な人やおもしろい人いたのに、もう全然反応がなかったですからね。「投稿しつづけて何か意味が感じられる」程度には反応ほしいのは人情だと思うんだけど、具体的な政治ネタについてとかでないと反応もらえない。政治は大事として、それ以外もおもしろい投稿の人、たくさんいたんですけどね。
もうみんなSNSのフォローで情報取るのやめません? RSSがいいっすよ。ちなみにScrapboxとMastodonは簡単にRSS取得できます。フォローなんてする必要なし!
RSSを登録する https://scrapbox.io/eyehatesns/RSS%E3%82%92%E7%99%BB%E9%8C%B2%E3%81%99%E3%82%8B
自分で言うのもなんだけど、結構おもしろいこと書けた。近代の実存的な自我の悩みや「他者と隔絶されつつ、他者とどうつきあうか」とという問いへの答えは「ロリータ」「乙女」「少女」のナルシズムでいーじゃん!って嶽本野ばらイズムだって結論になぜかなった。リベラルが寛容性を取り戻すヒントとしての「保守」。
理解したら終り https://scrapbox.io/eyehatesns/%E7%90%86%E8%A7%A3%E3%81%97%E3%81%9F%E3%82%89%E7%B5%82%E3%82%8A
セーファースペースつくりたいなら、SNSじゃダメっすよ。Discordみたいな完全にクローズの場を用意したほうが早い。そして、もう、そういう世界でしか「インターネット」がないんだなーって感慨が深い。
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みんなえっらそーーなこと言ってるけど、Xやめないじゃん。単なる中毒だよ。報酬中毒。いろいろ理屈つけるけど。で、Xやめたと思ったらThreadsでしょ。Meta社の悪事なら許せんのかよっつー話で。Mastodonとかフェディバースについて最低限のコンセプトすら理解しようとすらしない。それなのに、自分たちは「ネット」で情報取得してるし政府に批判的だから、テレビや新聞を受け身で見てるあいつらとは違う!みたいな超こじらせてる連中ってだけでしょ。
こういうことも、SNSで言うと要するに「自覚性の有無」によるマウンティングにしかならないのだけど、でも、自分はもうこれ以上SNSやるんだったらルールから変えたいよ。そういうつもりで届く人にだけ届けばいいけど、届いてほしい伝われ。選択肢は「どのSNSか」ではなくて、(少なくともSNS上は)アルゴリズム支配から抜け出すか抜け出さないか。
というわけでディスコやってるので興味ある人はどうぞ。
Discordサーバ:EYEhateSNSのご案内 https://scrapbox.io/eyehatesns/Discord%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%90%EF%BC%9AEYEhateSNS%E3%81%AE%E3%81%94%E6%A1%88%E5%86%85
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自分はディスコの運営、情報のストックには使ってないです。完全に雑用、雑談、コミュニケーションに振ってる。もちろん「読んだ本」「映画」などのチャンネルにわけてるけど、やっぱりストックがしづらい。もちろんトピックを立てたりいろいろできるのは知ってるんだけど、そこまでしてディスコで情報をためようとはしないというか。
情報のストックって意味ではもうScrapboxでいいのでは。すすめても「うーん」って言う人は、スマホメイン使用だったり、知識の構造化や蓄積に意識がないんだと思う。(別にScrapboxのまわしものではないので、同類のサービスでいいとも思う。Obsidianだとか)
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わかる。本って飽きるよね。いろんなタイプの創作あるけれど、どれも似たようなことしか書いてねーし、って思うようになったり。
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タイミング的にMastodonに移ってきてから開始することになったのだけど、ここで古典ギリシア語の勉強会の案内をしてもなかなか人は集まらないよね。試しにBlueskyにも転載してみるかなあ。見たところBlueskyは技術屋ばっかりで興味ありそうな人はいなさそうだけど。まあものは試し。
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百人一首、みなさんもぜひ興味持って読んでみて。今回は毒親持ちの男の憂世の歌ですわ。いっつもぶっつけ本番で一気に解説書いてるんだけど、今回は気づいたらこの歌のおもしろさを数式で表現してた。だいぶ変わった百人一首解説です。
"「吃音者をいじるな」ではなく、「吃音者の扱い方を見直してほしい」という抗議でした。しかし正直なところ、「日本吃音協会が『吃音者を扱うな』と言っている」と思っている方が多いのではと思いました" https://digital.asahi.com/articles/ASR4V4JH7R49DIFI00D.html?ptoken=01HPMWRNJXENJ2T53HC8VK1MKY
100分de名著のおかげでみんなこの言葉に注目してるけど、ベタだけど、SNSと#discordみたいに理解してる 。
バザールとクラブ https://scrapbox.io/nishio/%E3%83%90%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%81%A8%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%96
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木綿のハンカチーフの歌詞解題。実はこれ、かなり社会的な歌だという話です。恋愛ソングにも社会性がしっかり入ってる素晴らしい歌詞なんだよね。
シンプル麻婆豆腐。刻んだ豆豉と豆腐を煮込んだだけ!とろみつけたら、あとから軽く塩振って食べる。こんなののほうが楽だしめちゃくちゃおいしい。
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最近、政治の話を意図的に気分でやめてる。それは自分がしなくても、もうたくさんしてる人いるから。共有したりはするけど。
SNSの言葉が痩せてきているというか。すぐに敵味方認定したり、相手の発言を一度解釈して「そう解釈できた」ら「そうとしか解釈できない」ものとして話が進んでいく。そういうことを繰り返すと、どんどん対話のための言葉がなくなってくんじゃないかなって。そういうことを気にすることが増えました。
そんんで自分は百人一首を一首ずつ読んで解説書いていってるんですけど、百人一首っていろんな解釈ができるんですよ。最初は「辛くない」って意味だと思ってもう一度読むと「ってことは辛いって言ってんのか」って逆の解釈が出てくる。「知らないよね」という意味の言葉が「知ってるよね」って意味にも読めてくる。一回の解釈ですべてが決まらない。いろんな味わい方ができる。そういうことを知っているほうが、政治の言葉ももっと豊かになるし、人ともコミュニケーションできるんじゃないかなって思ったんですよね。
あれが美しい、これにジーンとする。そういうものがまず先にあって。政治ってそこから「も」始まるんじゃないかって。
しみじみ感動するんですけどね、百人一首。っていうか和歌。ようこんなことこんなふうに言えたなーって。同じように、歌謡曲の歌詞とか見ても感動する。
たとえばこれ。 花の色は移りにけりな徒に我が身世にふるながめせしまに
小野小町の歌なんですけど。要するに「人生長くやってるうちに美しい花も色変わっちゃったね」みたいなことなんですけど、諸行無常というか「花の色が変わっちゃったね」に比重を置くか「人生長くやってるうちに」に比重置くかで全然歌の感慨が変わってくる。大事なのは花の美しさではなく「ながめせし」自分のほうなんじゃないかと。こういうことにハッとさせられるんですよ。
ながらへばまた此の頃やしのばれむ憂しと見し世ぞ今は戀しき
この歌もそう。結局「とでも考えないとやってられないほど辛い」という意味なのか、「すごく辛いけど、と考えればなんとかなる」という意味なのか。どっちにも取れる。アンビバレンツって大事だよなーと。
美貌を失ったと言えば悲しい気がするけど、でも、それくらいの長い間、この人、小野小町は「美人」と言われ、生きてきて、考えてきたわけですよね。そっちのほうが尊いし、小野小町ほどの人がそういうことわかんないはずないんですよね。そうやって見ていくと、女性に容姿ばかり求めるルッキズムに舌出してばっかじゃない?って言ってる小野小町が見えてくるんですよ。
保守からだって学ぶべきことはいろいろあるし、学ぶべきことがいろいろあることから、そいつらの言ってることがすべて正しいとは言えないし。それくらいでいいと思うんですけど、そういうのもないでしょ。減ったでしょ。敵と見たら、敵の本は、読まない。悪いこと書いてる本だけではなく、その人の本そのものを読まない。買わないじゃなくて読まない。そういうことしていって、その先に何があるのかって思いますよね。
なんか簡単なんですよね。適当なその時のトピックでそれっぽいこと言って、SNS上で信頼や同意を得るのって。でも、それはその時はいいけれど、それしていった先に実は未来がない。なので、なんだか、バカらしくなっちゃった。(自分は、です)
政治的な話をするほうが政治的でなく、政治的でない話をするほうが政治的って傾向が強くなってきた気がする。特定の話題について、明らかに特定の立場に立った発信をするほうが、その人が主に普段承認を得ている人間関係の中(特にSNSの)では政治的に無色透明で、指弾糾弾されにくい。逆にそうやってみんなが声をあげているのに黙ってたり関係ない話をしているほうが、あいつは声をあげなかったとなる。
敵を攻撃、否定するコミュニケーションではなく、いかにしてこちらの主張に敵でも近づいてもらうかっていう、外交、営業的なスタイル、もうちょっとできないかな。
自分も含め、みんな相当いい加減なんだよね。それでもXは使いつづけるし、リンク先なんて誰も読まない。それなのに、めちゃくちゃ偉そうなことばっかり言ってて。問題あることは問題だって声をあげるのは大事だし、必要なことだと思うけど、でも、他方で「自分にもきっちり刺さってく刃」をどこかで抱いておかないと危険だと思うんだよな。
差別は意図の問題ではないってみんな言うくせに、でも、差別発言をした人のことを悪人扱いするでしょ。もちろん言動は強く否定されるべきだと思うんだけど、明らかなヘイターのぞいて、構造とその機能に対する無理解から出ていることが圧倒的に多い。そういう認識図式に危機感覚えることも多々ある。
ぼくらが学ばなければいけないのは、何かに同意したり反対することではなく、その前に
理解
することだと思います。理解した上で、でも、それは理解でしかなくて、理解とはある種の誤解だという考え。
なんかふと「お前は和歌の一つも感受できないくせに、なーに偉そうなこと言ってんだ」って思っちゃったんですよね。それで今まで気にしたこともなかったけど、和歌を知ろうとしてる。「わからないもの」をわかろうとすること。おもしろいよね。