@Ksyzr いやー、これ、みんな言ってんだろうなと……。てかそれ「子孫」かあ?「ツェペリさん家族いないんじゃなかったのかよ!」の気持ち。
Your majesty, beloved, well-self-censored account is here! It's a time to say Goodbye to all Stupid residents of this Normative Society. It must be nice to disappear to live a life of my own.
@Ksyzr いやー、これ、みんな言ってんだろうなと……。てかそれ「子孫」かあ?「ツェペリさん家族いないんじゃなかったのかよ!」の気持ち。
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別にバカにしてるわけではまったくなく、当然だけど「真面目に読む」からツッコミが入るんだけど、自分はもうまったくその手の聖書のディテールにら興味がないというか、こんなん「いろいろ言いたいカシコのためにもネタを提供する」という機能装着済みってことでしょ、みたいに思ってる。辛く苦しい人が現実のことで頭悩ませないように、本の中のあちこちにツッコミどころもある。神様の配慮、やさしさってだけでしょ。、
なんか多分自分はフィクションコンテンツで倫理的だったり人道的な「正しさ」が描写されることをとても嬉しく思うものの、反面「正しさ」はあくまでも評価軸のひとつであって、コンテンツ中に「正しくない」描写があるとしても(部分的に留意したり批判することはあっても)「正しくない描写があったから」という軸だけで作品自体が大きく損なわれるともあんまり考えてないっぽいんだよな。
もちろん正しくない描写にも程度や種類があって、その都度精査して特に現実に悪影響を及ぼすような「良くない」描写の問題点なんかには声を上げていくべきというのは前提にあるし、作品というよりは不誠実な作り手の姿勢を見せられてガッカリさせられることも多々あるんだけど。
スティーブン・キングが作中で犬の虐待シーン書いたら糾弾された話を紹介してた。
「 読者の反応が成功の尺度だとしたら、 『[デッド・ゾーン]』の冒頭のシーンは空前の大成功をおさめたと言っていい(これは私のハードカバーのなかではじめてベストセラー一位になった本だ)。 犬の虐待シーンが読者の神経を逆撫でしたのだ。 抗議の手紙が殺到した。 それに対して、私はいつもどおり自明の事実をあげて応えた。(a) グレッグ・スティルソンは実在しない。 (b) 犬も実在しない。 (c) 私自身ペットを足蹴にしたことは一度もない(自分のペットであれ、 他人のペットであれ)。ついでに、 私はさほどに自明ではない事実も指摘した。 冒頭でどうしても明示しておかなければならなかったのは、グレッグ・スティルソンが裏表のある、 きわめて危険な人物であるということだ。」
ポリコレ https://scrapbox.io/eyehatesns/%E3%83%9D%E3%83%AA%E3%82%B3%E3%83%AC
はっきり言うけれど、作品を作品のクオリティや内在的なロジックで批判、批評できないので、「ポリコレ」という物差し【だけで】語っちゃうわけでしょ。そういう人は「うつくしい」が、「おもしろい」が、わかんない。レストランいっても目の前の料理を楽しんだり美味しいかどうかを感じられないので、「食材はすべて有機農法か」とか、そういう記号ばっかおってるだけでしょ。くだらない。まあ、SNSだったら「そういう人」が無数にいるのでそれで構わないんだろうけど。
私はポリコレも当然大事だと思ってる。それ【だけ】でしか語れない人に「美しいとか感動とか、あんた、わかんの?」って言いたくなるっつーことです。
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マジで四国は本当に放棄されてる。『ストップメイキングセンス』、トーキングヘッズですら上映されないんすよ......(愛媛一館のみ)。
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「罪を憎んで人を憎まずにすればいいじゃないか」って言うんだけど、それはその通りなんだけど、じゃあ、なんで「それはその通り」なのに「その通り」にはならないかって、まさにその「人を憎む」ために「罪」という「正当な理由」を探してるってことなので。そういうのがわかってない人おおスギ薬局。ズィーヤ!
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特に今、ポリコレ的な作品やアーティスト批判してるような人たちって、アホな人もめっちゃ多いでしょ。それこそ「松本人志なんてちっともおもしろくない!」とか「山下達郎、いいとは待ったっく思わない!」みたいな人。別に松本人志がどれだけ天才でどれだけおもしろかろうが、罪の軽重には1mmも影響しないし、むしろ下手すると「笑いという件力」という根幹の問題もきちんと考えなきゃいけなくなるわけだから、松本にとって有利なことはまったくないのに、バカだからそれがわからない。「悪い人のアウトプットは私は好きじゃない、私はそういうきれいな人間なんだ」しか言ってない。しか言ってないのにそのことに気づけてない。そりゃ愚かじゃないっすか。
てか、真の天才には、とんでもないルール違反をし通にしかわからない変態をやると同時に、それが大衆に広くバカウケするような人がいるんだよね。ビートルズとかプリンスなんかまさにこれでしょ。世界で何億枚レコード売れてんねんって話なんだけど、大ヒットした名曲有名曲、ベスト盤に入りきらないのに「え?なんで3小節で急にAメロ入るの」とか「ベースだけでドラムピコピコでなんでこれが売れるんだ??」っていう。松本人志もお笑いでそれやってる。「わかんない」人と「わかる」人がどちらも生まれるような笑いもコントロールして投げられるし、そんなにコアなのにゴールデンで番組を何本も何年も持てるようなポピュラリティも持ってる。これを天才って言わずに何て言うんだよと。
もちろん天才だからって好きになる必要ないし、自分もたとえば「バッハとか何がいいのかさっぱりわからん」みたいな人だったりするのだけど(今はすごく好きです)、でも、それでえらそーにクラシック語ってたら「こいつはアホなのか?」「なんでそんなに愚かで教養ないことを誇れるんだ?」ってなるでしょ。
松本人志は天才だけどもう彼の時代じゃないんですよ、とっくに。それは笑いに限らず、大衆が「啓蒙される」ことをまったく望まない時代になったから。
粗品の切り抜き見てたら「嫌いな芸人さんは?」と聞かれた素人が「松本人志」。なんで?と聞くと「あの、狙ってやった、やってやったって表情が嫌い」って言うんだよね。すごく腑に落ちた。
橋本治は啓蒙について次のように言う。
「最低三秒くらいは考えていただかないと分からないかもしれませんが、「啓蒙」というのはバカがいないと成り立ちません。今や多くの人は「自分はバカじゃない」と思っているので、「啓蒙」ということを嫌います。でも、「あんたはバカだ」と言っているわけではなくて、「バカな人がいないと啓蒙は成り立たない」と言っているだけなので、「あ、私には関係ないことだ」と思っていただければそれまでの話ですね。【このことで私がなにを分からせようとしているのかは、当然「自分で考えな」です】いとも優雅な意地悪の教本橋本治p.35」
自分はバカじゃないと思ってるバカは啓蒙など望まないんだよね。
自分が松本人志の件、延々グダグダ書いてるの、別にダウンタウンが好きだからとかではまったくなく(そもそもうちテレビない生活20年以上なんで)、「笑いが嫌い、理解しない、憎んでる左翼」によるユートピア思想なんて、これほどアホで気色悪く、有害で、人を殺すものもないからですよ。
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ちなみにジャズ評論家の植草甚一はチャーリーパーカーが全然わかんなかったそうです。パーカーに関する彼の評論本を読んだのだけど、まったく要領を得ず、なんだこれ?って思ったら解説で「植草さんからあるとき実はぼくはバード(パーカーのあだ名ね)がわからない」と告白されたんだそう。ふざけんなと思ったけど、でも、わからないものを必死にわかろうとするとか植草もかわいいよね。
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ほんこれなんだよな。一番腹立つのが「ポリコレ的にはいいのかもしれないけれど、まったくおもんない作品」。論文にしろや映画/音楽/文学でやんなやって思ってしまう。
自分の倫理的な正解にすべてを実践的に一致させていく「主体」の思想と、笑いをまったく解さない計画主義的ユートピア全体主義(その自覚は一切なし!)の左翼思想の合体とか、「一番この世にあっちゃダメなやつ」なので、だから「政治的に正しくないけれど楽しんでしまう自分」もきちんと受け止めなくちゃって思ってるんだよね。
またこうした粗雑な左翼思想の「アンチ」としてゴミみたいな(自称)「普通の日本人」イデオロギーが生まれてきてるんだけど、そこから理解してない人はSNSでワーキャー言うのやめてほしい。
あんまりこういう「理解できない」から「正しいかどうか判定できない」ので安全じゃない話はウケないし、もっとわかりやすい、シュプレヒコールみたいな話ばかりしていくか。
漫画の原作者やその周辺、そこに感情移入する人からしたら、おっしゃる通りひどい発言なのは否定できないのだけれど、じゃあなんでそんなことを相手も言うのか、ですよね。同意の前に理解しようと努力しましたかと。当事者は難しいかもしれないけれど、我々第三者は。アニメのことなーーーんもわかってないド素人。でも原作者という巨大な権力の持ち主。現場のスケジュールや事情を何もわからずに元からデスマーチんとこ、平気で不条理なちゃぶ台返しをぶっこんでくる「サイコパスな」アティチュード。そんな体験を何度も何度も繰り返した、漫画原作のドラマやアニメ制作者が、SNSに書いたら炎上した。なんて書いた?って大喜利の答え考えてみるといい。
もちろん、原作者が大事にしてることも理解してないのは問題だと思うし、仕事の仕方とかいろいろ考えたら、その手のドラマの監督やアニメのディレクターに同意するのは難しいのだけれど、でも気持ちは一瞬で理解できてしまうんだよな。理解。今、この世界で正しいことと、それが社会でなされることを強く願う方たちがこの世で最も嫌うことの一つだろうけれど。
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それこそSNSって啓蒙するようなこと書いてもダメで、啓蒙なんてされたくないと思ってるバカにとってイヤーフレンドリーになるまで話の解像度を下げてかないといけない。
啓蒙はバカがいないと成り立たない。バカだと自分のこと思いたくない、バカだと自分ののこと思ってないバカだけになってしまうと啓蒙が消えてしまうのだけれど、啓蒙のない理性、進歩ってなー。
よくAIに質問しても平気でウソ返される、堂々と!って言う人いるけど、私に言わせれば、人間のほうが堂々とウソつきますからね。先日フェリーに乗った時「領収書ください」と言ったら「それが領収書です」って搭乗券指して堂々と言われたので。思わず「お前、作文がへたくそなChatGPTかよ」って思ってしまった。あ、あとChatGPTと人間の違い。それは人間は謝らないってことです。
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