ジャイアンのテーマをトランペットで演奏するとサマになりそうだ。
rikuoさんは、普段の善良なキャラからでは言えないTwitterに関する黒い言動を、ふかわりょうに託して、年に一度か二度くらいのペースで噴き出すんだろうな。
今年の(首都圏の)桜の面白いところは、まさに咲きかけんとしたところを寒波が襲ったため、開花状況の個体差が大きいところだ。葉桜になっている木の隣が平気でまだ満開だったりする。
「"元ヤン" の検索結果 約 493,000 件」vs「"元チーマー" の検索結果 約 14,400 件」。34倍とは思ったより差がない。というか、「元ヤン」で100万いかないとはずいぶん少ない。これもネットの偏りか。
http://www.asahi-net.or.jp/~BH3H-SMJY/zuiso/d252.htm 坂本竜馬は勝海舟がでっち上げた非実在の人物だった! というネタ。via http://d.hatena.ne.jp/yomoyomo/20100408/ryoma。
http://osaka.yomiuri.co.jp/science/news/20100404-OYO8T00260.htm 「納豆最強伝説に新たな一ページが加わった!」とかそういう感じ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%AB 楽器自体より民族衣装のほうが気になる。
もういいかげんにデイリーポータルZは電気工学に明るい人を雇い入れるべきだ。数ある工作記事のうち、電気系工作だけ失敗率が異様に高い気がする。
実際のところ、70代の平均的な世界認識ってどうなってるんだろう? たちあがれ党みたいなのを素で支持するタイプってどのくらいの比率なんだろう? 「支持できないけど気持ちは分かる」くらいがマジョリティだったりするんだろうか?
「二次元アイコン? アイコンはみんな二次元に決まってるじゃねえか。なにかい、お前さんのアイコンの写真はポコッと液晶画面から浮き出すのかい? 馬鹿言っちゃいけねえ。」
「在来ケータイ」を略すと「ザイケー」とか「ザイケ」となる。……在家? てことは、スマートフォン使いは出家者? まあ、そうかもしれない。
いわゆる「ガラケー」のより中立的な呼称として「在来ケータイ」を提案する。なんとこれ、さっきぐぐったらヒット数がゼロだった。
Twitter語だと広く認識されていないようだけど個人的に気になっているTwitter語として、「むくり」「がばり」(=おはようございます)や「ぱたり」「ばたり」(=おやすみなさい)がある。むくり。
http://yowaken.dip.jp/tdiary/20100402.html#p01 この厳しい制約でちゃんと機能するHello worldを作っている! しかも表示完了と同時に詰むようになっている! すごすぎる。
Twitterに関しては、はてなのときと違って、「俺がこのサービスを支えているんだ!!」みたいな変な気負いなしで参加している。確かに気が楽だ。
http://togetter.com/li/13042 昨晩圏論部が設立されたらしい。圏論は大学院のときちょっとだけかじったけど、例によってもう全部忘れてる。
多重RTの後ろが切れて「another_なんたら」というIDが「another」になって僕に誤配されてるポストがあって、それをfavoriteしようかどうか迷っている。
「"李節" の検索結果 約 15,800 件」。「季節」のOCRエラーと中国人名のどっちが多いかと思いつつぐぐってみたら、後者の方が多かった。
@kt_kyoto そうなんですが、何年も「will open」という訳すら思いつかなかったのです。ここで未来の助動詞を使うという発想がまず出なかった。
Frankfurt am Main → フランクフルトをアムっとするマインちゃん。/ 件のクラスタとあまりお近づきになりたくなかったのでpostをためらったのだが、「思いついてしまったものは仕方がない」。
嫌韓的なことばかり言ってる奴の国籍を強制的に大韓民国に変更する刑というのを思いついたが、そもそもこれを刑罰と感じる方が間違っているからやっぱり没。
そのつもりで聴いてみれば、確かに「w」ではなく「p」、「y」ではなく「n」だった。なんで何年も正しく聞き取れなかったんだろう。今後のヒアリングの補正に役立てよう。
かれこれ数年間、鉄道各社の「○側のドアが開きます」に相当する英語の最後の三音節が「wew oway」としか聞き取れず、そんな英語はないよな、本当は何なんだろうとずっと気持ち悪かったのだが、今日、京浜東北線の液晶掲示板が「will open」だと教えてくれて、長年の疑問が氷解した。
戦時中の金属のない生活のことをはじめて親から聞かされたとき、人々が日常生活に金属を利用するようになったのは、プラスチックと同様、戦後に入ってからのことだと思い込んでしまった。金属のない状態が戦争による人為的な措置であることに気がついたのは、確か小六か中一の頃だ。
「桜の前で酔って狂態を晒すと桜が醜く育ちます。背筋を正し、毎年美しい花をつけてくださる桜に感謝しながら鑑賞しましょう。そうすることで来年の桜はより美しくなるのです」これでは花見自体の否定にはならないな。
ボキャブラリは話すときだけじゃなくて、ものを見聞きするときにも必要。ボキャブラリが乏しいと、微妙な問題が全て抜け落ちる。
なんでみんな、SkypeとかUstreamとか、リアルタイムな方向に走るかなあ。ネットは非同期だからこそいいんじゃないか。生活時間帯の違う人同士の間で会話が成り立つからこそいいんじゃないか。Twitterでこういう主張をするのはなんか矛盾してるっぽいけど。
http://b.hatena.ne.jp/mosshm/%E6%A4%9C%E7%B4%A2%E9%81%BF%E3%81%91/ 「検索避け」とか「検索よけ」で地引網してる人がいるのかー。
花見を否定してこそ真の反体制。しかしどういう理屈で? 全体主義とか天皇制を持ち出すのも凡庸だし、かといってクリスマスやバレンタインを否定する調子でやるのも月並みだ。もっと突拍子もない理論で否定してほしいものだ。
昨日はネットやりたくない病を久々に発現した。なんというか、あまりに多くの人が、特定の狭い領域ばかり見すぎていると感じられるんだよな。世界はもっと広いはずなのに。ネットに多様性をもたらすためにはネットから距離を置かなければならないという二律背反。
夢の中で、何度もデートしてるのに手さえ握らないでいたら、「あなたは人を好きになるってことの意味が分かってるの!??」って怒られて、そこでデートがおしまいになった。起きてから少し泣いた。