尊皇攘夷は明治維新期のものだとおもっていたけど、この座談会のなかでは、反文明開化論として提示されていてびっくりする。これは現代的な問題でもあると感じる。
尊皇攘夷は明治維新期のものだとおもっていたけど、この座談会のなかでは、反文明開化論として提示されていてびっくりする。これは現代的な問題でもあると感じる。
日中戦争、ズルズルと事実上の占拠みたいなことをしながら現地の抵抗にあい、結果的に泥沼にはまりこんでいきながら、明確な宣戦布告は数年経って英米に対しておこなう(1941年の真珠湾攻撃)という流れ、まじでいまの状況を想起させる...。宣戦布告をしてこなかったので「支那事変」なんて呼び方を閣議決定していたりとか。
https://ja.wikipedia.org/wiki/日中戦争
戦争というか、その支那事変の目的も、後付けで大東亜共栄圏という概念が提示され、いやそれはたしかに満州の建国あたりからそのようなビジョンはあるていどあったものとはおもわれるが、しかし米国への宣戦布告によってようやく「反・欧米帝国主義」としての性格づけをおこなったわけで、「ヨーロッパによるアジアの植民地化からの解放が日中戦争なんだ」というストーリーがあとづけの合理化であることは疑う余地もない。あとから言い訳のように「思想」がつむぎだされて合理化されるらしい過程があるのも、似ている。
竹内好による「近代の超克」論考(1959年)は、大東亜戦争をどう捉えていくか、そのなかで文學界の座談会「近代の超克」をどのように位置付けるのか、戦争と思想の関係の理解としてかなり考えさせる、というかいまでも重要で未解決の問題をそのまま指摘しており、自分たちがたんに忘れているだけなんだということをあらためて考えさせられている。
https://www.amazon.co.jp/dp/4572001235
実態としての日中戦争は帝国主義であるにもかかわらず、英米への宣戦布告によって「反帝国主義」のストーリーが掲げられたとき、文学者や思想家たちはそのストーリーに、文明開化いらいの西洋文化消化の違和感を打ち砕くものを期待していた。こういうものは、いまも噴出しうるものとおもう。欧米へのコンプレックスと歪んだ自尊心の綱引きみたいなものは、いまでも無反省なまま存在するとおもっている。当時よりはましになっているというか、魔封波みたいなやつで封じこめられている。
https://pleroma.tenjuu.net/notice/AU53FLji17xmlX2Ray
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インライン要素、ブロック要素という概念が残像として残っているのはわかるし、ぶっちゃけLivingStandardのモデル化は概念わかりづらすぎてインラインとブロックっていいたくなるのもわかるし、残像があるていどまで有意味に作用してしまうのもわからなくはない(この残像があるからCSSで display: block とかつくっているんだろうという気もする)。この残像を概念という語で呼ぶのはたんに議論を混乱させているだけっぽい(もと記事の書き手は残像ではなく実体だとおもっているんだろうけど)。
マークダウンを入力としたSSGテンプレートエンジンをつくっていて(なぜ?)、全ページビルドすればいいよねというノリでやっているのを、「更新があったものだけビルドする」という仕組みにしようとして、以下のようなことをやった。
1. ソースとなるmarkdownと、それが埋め込まれるテンプレートのハッシュ値を取っておく
2. 前回のハッシュ値と同じであればそのmarkdownはビルドしない(ビルド済みのものをそのまま使う)
これで目的にはあっているんだけど、ビルド対象となるページのURLが変更された場合に、他のページからリンクがあればそっちもビルドしなおさなければならない。「前へ」「次へ」みたいなのを実装していると、それが以前のリンクのまま残ってしまう。依存関係を全部トレースして依存があるものごっそりビルドしなおす必要がある。
markdown は変わってないしテンプレートも変わってないから変化なしと見做すのは局所的には正しいんだけど、他が変化することで全体として見たときには正しくない振る舞いになる。この手の問題よく踏んでいる気がするけど、なにか名前があったりするんだろうか。
「山谷のドヤ街と上野のホームレス問題 弓指寛治の展示に見た現代美術の繊細な政治性」東浩紀 | AERA dot. (アエラドット)
https://dot.asahi.com/articles/-/217865?page=1
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@pokarim この事象、局所的に見ればバグではないのですが、感覚として「バグった」という印象がありました。ファイルシステムにはリンク構造がなく、SSGのレンダリングシステムの目的がファイル生成にあると認識するなら、文字通りバグではないのですが、Webにはリンクがあってブラウザで見たときには「ファイル(ドキュメント)間の関係」という抽象化された構造を認知しているんだなとおもいました。SSGのレンダリングシステムの目的を「ドキュメントネットワークを生成すること」と見做すなら、バグと言えるなと。ファイルシステムとドキュメントネットワークの二重の見方をしているんだなと改めておもいました。
Tinderのプロフ写真に「FREE GAZA」って使ってたらアカウント永久凍結された
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もやもやどころじゃなかった。「“沖縄では地元大手メディアが反日左翼的な反戦平和・反米姿勢の報道をしている”と主張。」とか、それこそジャーナリズムではなくイデオロギーだった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%B2%E6%96%B0%E5%9F%8E%E8%AA%A0
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このインタビュー、2chとtwitterを「ソーシャルメディア」の特権的なモデルだと暗に見做してしまっていて、その時点でいろいろ見誤っているなとおもう。
https://www.ben54.jp/news/983
自分が最近こういう形のソーシャルメディアもあるんだとおもったのがインスタグラムのストーリーズで、24hで投稿が消え、その投稿にたいするコミュニケーションは公開リプライではなくDMでおこなう。これはもちろん炎上しづらい仕組みとして採用しているんだろうし、オンラインコミュニケーションのとりかたが世代でだいぶ異なっていることも感じる。
記事中で「プラットフォームに一定数以上の人が集まったら、仕様に関係なく、荒れるのは仕方がないと思います。」とあるけど、まさにそれを問題として別な解を求めるアプローチを各所で試みているわけなので、「一つのプラットフォームに人が集まる」ことの内面化、それへの無批判的な享受(「荒れるのは仕方ない」)のほうが気になってしまう。
必要なのは、代替プラットフォームではなくて、代替モデルなんだけど、そこが理解されていないのは厳しい
こういう選択的なもの言いにもかなり問題を感じる。
たとえばツイッターでリベラルな人たちがマイノリティの権利について語り、差別問題についてアテンションを集めたところで、実際に問題が改善されるとは限りません。
「差別問題についてのアテンションをSNSであつめる」という事例を述べ、「ツイッターで差別言説を垂れ流しにする」は取り上げない。それは放置して問題ないのだろうか。それとも、「ネット上で人々がなにに関心を持ったりどんな意見を言ったりするかということと、現実の社会や経済で起こっている問題は、イコールではありません。」というくらいだから、ネット上での誹謗中傷は「現実」ではないのだろうか。すでにSNSでの誹謗中傷によって自殺などが起きている以上、現実を反映した見方ではないとおもうけど。
SNSがひきおこす問題の多くはポジティブフィードバックが発生することで、炎上というのはまさにそれだけど、それはマスメディア登場以降の制御機構の問題だとおもう。
制御機構というのは、民主主義社会における情報配布のシステムについて、情報の健全性がどう担保されうるかということを、法的問題もふくめて考慮すべきものだとおもうけど、そういうのは制度設計の問題で、「根本的な問題を直視して考えていくこと」によってもたらされるようなものではない。
現象学まわり素人なりにしばらく勉強してたわりに、なぜかサルトル一冊も読んでこなかったな。嘔吐すら読んでない
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