古い記事だけどおもしろかった
日本を支配する町?「田布施システム」の謎を安田浩一が解き明かす https://gendai.ismedia.jp/articles/-/57383
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日本を支配する町?「田布施システム」の謎を安田浩一が解き明かす https://gendai.ismedia.jp/articles/-/57383
たしかに…
これは世界中で誤って使われているが、 is-a 関係という言い方で汎化関係を指すのは言語学的にヘンです。
- インスタンス/クラス関係が is-a のはずだが今となってはさらに誤解を生んでしまう
- サブクラス/スーパークラス関係は ako(a-kind-of) 関係
Wikipedia にもおもいっきり書いてあるな。
知識表現、オブジェクト指向プログラミング、オブジェクト指向設計では、is-aとは、あるクラスBはもう一つのクラスAのサブクラスである(また、AはBのスーパークラスである)という関係である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/Is-a
知識表現はたぶん70年代だけど、その時期のパラダイムがめっちゃ残ってしまってるんだな
@polidog
なぜ新しいフレームワークをはじめるんですか!!?LaravelとかCakePHPとかSlimで解決できない問題があるんですか!ahiru を使うとこれらのフレームワークを使うのより何が嬉しいんですか?
https://github.com/polidog/ahiru/issues/4
絵は結構いいんだけどな。展示がちょっとひどすぎるし、人多くて見づらい、それを考慮した展示はしていない、独自の視点もあまりなくてお勉強という感じで、めちゃくちゃ萎えてる。
解説ひどすぎてそれも萎えてる。
抱一の絵2枚に並んで清方が抱一を描いた絵が展示されており、タイトルが「雨華庵風流」なのだけど、「雨華庵」とは抱一の号であることも書いてないし、清方が誰で、なぜ抱一を書いたかとか説明もなく、抱一そのものについての説明に終始している。絵が展示されているのに、絵そのものに注意がまったく促されない。こんなに絵を見せる気がない展示の仕方も珍しい。
絵に本が描かれているからこの遊女の教養が示されていますって、いや教養の高さを演出した絵です、でしょ
大吉原展、絵は見れてよかったやつもまあまああったけど、各所から集めてきたわりには凡庸すぎるキュレーションで、かつあちこちに目配せしているのとか不快ですらあった。遊郭は人権侵害であり許されるものではないとか、単なるエクスキューズでしかなくてキツかった。「かしく遊女いやだ申候」(遊女かしくが東京府に遊女をやめたいと申し出たが認められなかった)の件も展示あって、当初から展示する予定だったと思われるけど、取ってつけたようにしか見えない。
一方に華やかな文化があり、その華やかさの影に隠れる遊女の悲哀がある、という見せ方そのものがどうみても凡庸で、むしろそういう見せ方がどういうパースペクティブに基づいているか批判的に展示してほしかった。
吉原展、公界がどうとか芸能の世界でとか言ってたから網野史観との接続あるとおもっていたら無で、どころか展示解説に「公界」とか一言もなく、高まりすぎて予習しまくったおれの気持を返せ
吉原展のSNSでの評判を見ると、すごい情報量だ充実している云々とあるが、予習しすぎた自分にはスカスカで凡庸であった...。
歌麿のでかいやつとか、菱川師宣の初期肉筆浮世絵、英一蝶とか見れたのはめちゃくちゃよかった。
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公界とか芸能民の話、中世史というか安土桃山時代との接続考えると、かぶき者みたいなのがどう変質して吉原や芝居町に囲い込まれた(押し込まれた)かという調査が必要で、初期吉原の文化の研究とか必要だと思うけど、歴史観そのものがあからさまに途切れている
要するに後世の(天明寛政期の)浮世絵を基準に歴史観が構築されていることが問題で、遡って菱川師宣が祖としてあるまでしかいかない。で、そのおかげもあってやまと絵との関係も捨象されることになり、吉原そのものが都市から孤立した空間とみなされたように、浮世絵は日本文化の流れの中で孤立した特殊な文化現象として把握されてしまう。