この資料、松本重治へのインタビューがあり、インタビュアーは昭和62年当時の美術館次長垂木祐三氏なのかな?以下の箇所が気になる。
平和条約でフランスにあった日本の財産はフランスのものになったといいながら、フランス側は松方さん側が権利を放棄することを明確にしておいてくれということを言っておりまして、昭和三十年に松方三郎さんの名前で文部大臣あてに、松方コレクションについては権利を放棄しますという文書をお出しになっておるようですが。
これはインタビュアー側の質問で、フランスが返還にあたって、松方の権利を放棄させ日本国の財産とさせたのは松方幸次郎の戦争責任を見てのことだろう。 当初敵国財産として押さえはしていても、そもそも民間人の私有財産であるから返還をしようという話があったのが、仏領インドシナで日本軍がフランス人を虐待したとかで反対運動があり、国対国の交渉に切り替わったという話を松本重治がしている。フランスとしては、松方幸次郎の私有財産として返却するのではない、という立場を明確にしているのは、それなりに重要な話であるようにおもう。フランス側が私有財産としては返還しなかったのは、松方の政治的立ち位置を低く見積っていない(ただの民間人とは見做していない)からだとおもわれる。
国立西洋美術館設置の状況 第1巻 関係者にきく https://nmwa.repo.nii.ac.jp/records/766