これはいつもでている原田直次郎の「騎龍観音」。この脇に猫がいて「しゃがんで、見上げてみる」と書いてある。子供向けだとおもうけど、おじさんもしゃがんで見上げてみました。こう見てもいいんだ!ってなるのすごく楽しい。いつも見ている絵なのに、近美の常設は工夫を重ねて飽きさせない。
この試みは常設の最初の部屋だけだったけど、最初にこれを置いておくと、自分でいろいろな見方をためしてみたり、情報を発見しにいったり、絵の見方のガイドになってめちゃくちゃいい試みなんじゃないだろうか。
これはいつもでている原田直次郎の「騎龍観音」。この脇に猫がいて「しゃがんで、見上げてみる」と書いてある。子供向けだとおもうけど、おじさんもしゃがんで見上げてみました。こう見てもいいんだ!ってなるのすごく楽しい。いつも見ている絵なのに、近美の常設は工夫を重ねて飽きさせない。
この試みは常設の最初の部屋だけだったけど、最初にこれを置いておくと、自分でいろいろな見方をためしてみたり、情報を発見しにいったり、絵の見方のガイドになってめちゃくちゃいい試みなんじゃないだろうか。
先日、西洋美術館にいったとき、常設はゴヤを見たかったから行ったけど、何度行っても変わらないから、もうほとんど見なくなった。近美は時間がある限り常設を見る(楽しいので)。なんで西美にはこういうことができないんだろう。
西美の抗議、やはりというか一過性のものになりつつある。
芸大の大吉原展は主催者側が広報を見直すに至ったけど、西美と軍需産業の関係は大吉原展よりぜんぜん倫理的な問題があるはず。
「美術を使った軍需産業によるウォッシング」という文脈と、パレスチナ問題とをガチャっとしてしまって、それが話題を拡散させてしまった結果だとおもう。
松方正義の孫娘にして後にエドウィン・ライシャワーと結婚するハル・ライシャワー(松方ハル)が書いた伝記を読んでいるけど、はあー松方家から見ると二二六事件が軍政の一歩で松方家周辺は「自由主義的で進歩的で反戦」だった、ということになるんだな〜
「明治の元老たちはえらかった、昭和になって台頭してきた下級兵士的な軍人たちがおろかな軍政を敷いた」みたいな史観、ブルジョワの視点からはそうなるよなぁ。松方ハルをブルジョワと呼んでいいのかわよくわからないが...。
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ハル・ライシャワー本のなかに、三人のにこやかなおじさんが写った写真が掲載されており「汪兆銘政権確立のころ、南京にて。左から周仏海、松方三郎、松本重治(1940)。」とキャプションがある。汪兆銘、戦時下の傀儡政権で、松方三郎は幸次郎の末弟にして養子、松本重治は幸次郎の甥で、松方家が傀儡政権に深くかかわっていたことがよくわかる。松本重治は、戦後幸次郎のコレクション返還に中心的な役割を果たしている。
「下らない」という表現、そもそも上等のものが上方からくる(下る)ことにたいして、地方で生産された品質の低いものを「下らない」と言っていたのか