中ザワヒデキの美術史観、前衛→反芸術→多様化みたいな謎の組ではなく、芸術と反芸術を基本セットとして分析するほうが実りありそう。「芸術」は大学・美術館・美術史などの「公式」の美術として確立されるもので、反芸術はその制度の外部にあるもので、市場や路上での活動も含む。これはあくまで公式的なもので例外はあるけど、すくなくとも反芸術当事者たちはこの図式でやっていただろうとおもうのと、この図式であれば美術にまつわる社会的な動向はかなり整備しやすくなる。
中ザワヒデキの美術史観、前衛→反芸術→多様化みたいな謎の組ではなく、芸術と反芸術を基本セットとして分析するほうが実りありそう。「芸術」は大学・美術館・美術史などの「公式」の美術として確立されるもので、反芸術はその制度の外部にあるもので、市場や路上での活動も含む。これはあくまで公式的なもので例外はあるけど、すくなくとも反芸術当事者たちはこの図式でやっていただろうとおもうのと、この図式であれば美術にまつわる社会的な動向はかなり整備しやすくなる。
日本の場合、制度的な芸術としては日本画が発達してきたけど、これが敗戦でかんぜんに挫けてしまった。ヨーロッパの場合、前衛はつねに制度的な芸術への抵抗としてあったけど、日本の場合は戦時に前衛も制度芸術に回収されるか完全に水面下に潜るかしたけど、敗戦でその制度に支えられた価値観が崩壊してしまった。しかし制度的な芸術はなりを潜めていたけど制度が崩壊したわけではぜんぜんなく、いまだに美術大学では洋画と日本画という明治以来の区別が残存している。とはいえ戦後に活力をもっていたのはあきらかに在野で、制度的な芸術不在で前衛と反芸術という組が案出されてしまう。前衛と反芸術が別概念ってなんだ?というところがある。いや、「前衛」概念を戦前のものとして考えれば前衛と反芸術は別なんだけど、中ザワの想定ではそうなっていない。隠れた芸術概念があるというよりほかない。
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あと、アルバースの作品にピンとこないはわかる。それなりのおもしろさはあるけど、それなりというか。