『ニューメディアの言語』の「プログラミングにおけるアルゴリズムとデータの分離が、オペレーションとメディア・データの分離になっている」という記述は受け入れがたいな。
『ニューメディアの言語』の「プログラミングにおけるアルゴリズムとデータの分離が、オペレーションとメディア・データの分離になっている」という記述は受け入れがたいな。
ここでいう「オペレーション」はマノヴィッチの独自用語だけど、カット&ペーストだとかデータの合成だとか、そういうUI上で一連の語彙として成立した行為のことで、こういった語彙の背後にあるのはあきらかにオブジェクト指向界隈が発達させてきた一連のパターンで、基本形としてはオブジェクトの選択→行為(マノヴィッチの言うオペレーション)になっている。「オペレーションとメディア・データの分離」と彼が呼ぶものは「メッセージとオブジェクトの関係」と見てよい。
ハイパーメディアによるコントロールは、ユーザビリティの向上にとっても必要な一方で、サービス提供者がユーザーをコントロールする技術にもなりうる、みたいな両価性があって、あらゆる技術がそういう両価性があるのかどうか
これたぶん「技術は中立的」みたいなことではなくて、ベンヤミンが映画技術を資本家が占有するか労働者が占有するかという両価性について考えていた、みたいな話がある
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椹木の論考読んでるけど、いやーこれこの人まだ美術業界で権威あるの?最後まで読んでみるけど、あまりに無内容だな...。
実験工房の「実験」という名称に「科学の効用が、きわめてわかりやすいかたちで表れている」とながら、「実験は、結果が予測できないことから、おのずと何がしかの前衛性を伴う」とかいいだして、えっ科学の実験はふつう結果が予測可能になるためにやるでしょ、とか。
まあ、これはくだらない箇所だからどうでもいいんだけど、そんなことより、戦争(敗戦)の理解がひどすぎる。ふつうに歴史くらい勉強しろよ、ネトウヨなみの歴史観だぞこれ。
『日本・現代・美術』はおもしろかった記憶があるんだけど、こうも酷い文章書きだと、それも気のせいだったのかもしれない。
とりあえず、この人はまじめにものを考えてこなかったんだなとおもった。
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やっぱり『日本・現代・美術』をちらと読みなおしてみる感じでは、そこまでヒドイ文章ではないし、なにを問おうとしているかもまあわかるな。シミュレーショニズムとかは読めたものではなかったけど...。
マノヴィッチがコンピュータ文化のなかに反モンタージュ的な傾向を読もうとするの動機としてはわかるんだけど、gnck が論じているような作品って積極的にモンタージュ的だし(コンピュータ文化のなかにもモンタージュ的傾向がある)、コンピュータ文化起源ではなさそうな映画にも反モンタージュ的な作品はあるし、気持ちはわかるけど恣意的