話の随所に合理性がない事について「はいはい、個別の場面が子供受けすると思えれば充分なのね」という冷ややかな感じになってしまった。でも当時それを認識していなかったわけではない。「自分が作品の対象視聴者層かどうか」は感想の形成に関係しないという信念も別に変わってない。単に熱意がなくなってるというのかな。まあ一年以上空けてたら火力は落ちるわいな。
言葉と文字とヨッシーアイランドが好き。たまごっちやここたまのアニメを見ます。たまに絵を描きます。フォントを作ったりします。2023 年 1 月から https://mofu.kemo.no の副管理人です(いきなり権限を付与されたけど受け入れました)。
ソーシャルメディアの中では ここが常駐場所です。大体全ての活動をここに集約します。ActivityPub 対応サーバーからリモートフォローしてください。なおフォロー外からの非公開返信は受け取らない設定にしてます。
日本語の研究で博士号を持ってるけど、離れて長いし、自信ない。キーボードは新 JIS‐配列(JIS X 6004)微改変版です。今のプロフィール画像は『スーパーマリオブラザーズワンダー』の一般ポプリンの絵です(二次創作)。
全ての #絵 を見るにはこちら :
https://mofu.kemo.no/@sayunu/tagged/%E7%B5%B5
ここたまに興味がある人は、ここたまアンテナ(@cocotama_antenna)をフォローしてね。
話の随所に合理性がない事について「はいはい、個別の場面が子供受けすると思えれば充分なのね」という冷ややかな感じになってしまった。でも当時それを認識していなかったわけではない。「自分が作品の対象視聴者層かどうか」は感想の形成に関係しないという信念も別に変わってない。単に熱意がなくなってるというのかな。まあ一年以上空けてたら火力は落ちるわいな。
「対象視聴者層」は経営判断には必要な観点だろうけど、鑑賞者としての受容にはどうでもいい。「子供向け」とされる作品が子供の頃の自分にとって面白かったとも限らないし、大人だからって「大人向け」と称する物が面白いとも思えないから、年齢層で好みを決める事を良く思っていない。
結果として『ひらけ』はあまり商売が長生きしなかったから、「対象年齢を考慮して作ってるのだよ」と説明するなら、「あまりそれが売り上げの成功に表れなかったんだね」という答えになってしまう。
久しぶりに聴いてもやっぱり主題歌(「ヒミツのカギ、ここたま !」)の A‐メロは展開が迷子になってて良くないと思う。(あと、呼びやすい曲名にしてほしい。)
『ひらけ ! ここたま』#17‐a「リボン、はたらきます !」と #17‐b「さよならリボン」を見ました。録画できなくて視聴停止の原因になった回。
前半のボケ倒す所は楽しかった。ちょっと無理を感じないでもないけど。せりふ回しがいい。接客業っぽい言い回しをしながら「みぎっかわ」「ひだりっかわ」と言うのがかわいい。
後半は「綺麗な景色が見付かりますように」「絵になるいい景色」という願いに対して、銭湯や動物園に誘導するのが「失敗」と判断される理由が明快でなかった。効果音などの演出のタイミングがずれてる感もある。絵になる構図は工夫次第だし、星ノ川はるかとリボンの因縁を象徴する場所に連れて行かないと描けないわけではないので課題解決の条件から逸れてるような。
この動物園は無料なのかしら。魔法で小学生(及川やすし君)の思考を操作して、入園料を拂わせた上で失敗だったという事 ? いや、「小学生以下は無料」とかかも。それはある。
脚本は竹内利光さん。
後半はリボン(ここたま)が「自分が失敗してばかりなので星ノ川はるかの愛想が尽き掛けている」と誤解しており、魔法で人助けを成功させる事で「思い直して」もらおうとする展開。つまり成功か失敗かという評価に焦点が当たってるので、その判定の理屈が明らかでないのは話の本筋に影響が大きい。最後に「絆を確認する思い出の場所」みたいな所に辿り着かせたのもそれに決着を付ける意図なんだろうけど、誤解は途中で解けてるから展開にうまく噛み合わないのと、絵が描ける事と二人の思い出は関連が稀薄なのでイマイチ。要するに、及川君にとっての問題が最後までハッキリしなかった。
https://twilog.togetter.com/sayunu/search?word=%E7%AB%B9%E5%86%85%E5%88%A9%E5%85%89&ao=a
「面白かったら脚本家に感謝するので、過去ログを検索すると書いてある」…という事で、検索してみると竹内利光さんへの言及がやっぱり多い。このお名前、私の頭に全然定着しないので(字面に見覚えはあるけど、作品をどう評価したかと結び付いてないので)「個人的な定評」が形成されないんだけど、エンディングのクレジットを頼りにして繰り返し言及してるから、やっぱり私好みの作風なんだろう。
2016/6/16 には「納得しがたい無理な展開がなくて、多くのキャラクターに相応の役割があって、細かい台詞回しも面白くて、退屈な部分がなかった」と書いてる。今回は後半が物足りなかったけど、特に前半の喋らせ方とかに似たような感想を持った。
脚本家自身の作風に加えて、シリーズ構成上の「重要回」を受け持ってないという要因もあるかも知れない、竹内さんは。こういったアニメ作品の「重要回」の「盛り上がり」には気乗りした事ないので…。日常的な場面を丁寧に面白く描いてくれる話が好き。
トキポナの数の表現について、ずっと考えてしまった。課題は主に二つある。
(1) 大きい数を表す方法が定まっていない。
(2) 数を表す語が別の意味を兼務している。
そのうち (1) については、nasin nanpa pona(良い数のやり方)と称する方法で一応何とかなってはいる。
https://sona.pona.la/wiki/nasin_nanpa_pona
しかし (2) の問題が残る。〈luka〉(手 ; 数詞としては五)はマシ。「手」は数と紛れにくいから。〈ale〉(全て ; 数詞としては百)は nasin nanpa pona の中ではほかの数詞が必ず先行するから区別できる。困るのは〈mute〉(数量、たくさん ; 数詞としては二十)。「たくさんの鳥」と「20 羽の鳥」が区別されない。
一般的にトキポナは一文に大量の情報を盛ろうとしないで複数の短文で表すべきなので、「20 羽の鳥がいる」ではなく「たくさんの鳥がいる。その数は 20」と言うのがいいとは思う。しかし「その数は 20」を〈mute〉で言ったら「たくさん」としか解釈できない。