二次創作の話型について所感。
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私は前から、たとえばAxBとみなされる話型について、愛の方向とかセックスのポジションよりも「有責性の有無」が大きな要素(AxBだと二人の間に何か起こった時Aに責任がありBは無謬であるように描かれる)じゃないか説を唱えているのですが、それを念頭におきつつ自分で書く時はなるべく有責性が偏らないようにしたいと思ってはいる。せっかく二次創作するならどのキャラにも損がないようにしたいと思うから。

所感つづき。
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たとえばAxBの話型だとBがよく不安になったり傷ついたりするけどそれは「Aの不誠実なor鈍感な行動のせい」だし、セックスですら「求めてくるAのせい」であってBはそれに翻弄されているだけ、みたいなのが有責性の偏りで、私は典型的な左右ってこれじゃないかという気がする。セックスでどっちが挿入するか、というのはけっきょく有責性を形にして表してるだけだと思うんですよね。

でも現実的に考えるとすべての責任を一方が持つような関係って長続きするわけがないわけで、上記のようなきわめて典型的な話型ってリレーションシップを描くのに向いてない気がする…みたいな所感はずっとある。結局のところわれわれが求めている究極のファンタジーって、素晴らしいリレーションシップを持つことではなく、すべての責任から解放されて全部誰かのせいにしたいってことなんだろうか。

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マストドンのたたむ機能最高だな。わずかワンクリックの壁なのにたたんだからええやろの意識でいろいろ書ける。やはり場のパブリック度によって人間は発言を細かく調整するんだな。

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さわマルもう閉会だ! おつかれさまでした! 私はまた次の締切へと旅立ちます。