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ネトフリでA24制作のドラマ「Beef」見てた。まともな仕事もなく八方塞がりのダニー(スティーブン・ユアン)と、裕福だが仕事と家庭からのストレスで爆発しそうなエイミー(アリ・ウォン)というまったくの他人同士が、道でクラクション鳴らしたの鳴らさないのみたいな些細なきっかけで空前の嫌がらせ合戦に突入するフラストレーション爆発系コメディ(?)。クソッタレな人生への行き場のない怒りをまったくの他人へぶつけまくる…というインターネットの我々にも覚えある構図。アジア系キャストメインの作品どんどんいいの出てきてるんだなあ。

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ネトフリ切れる前に「Nimona」見るか〜。

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オッペンハイマーはやっぱり長すぎるので配信までスルーかな。年に1, 2本くらい劇場公開されるイヌ映画の今年版「Strays」きてたけどイヌ喋るほうか〜。映画のゾンビに歩くほうと走るほうがいるように、映画のイヌには喋るほうと喋らないほうがおり私は喋らないほう派。

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映画のイヌ枠とサメ枠、劇場公開にかぎるとじつは年に0〜1本(すごい年で2本)という狭き門。テレビ映画とか配信オンリーとかならもっと出てると思うけど。ネコ枠はさらに希少。「Nine Lives (2016)」のあとになんかあったっけ?

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「Nine Lives (2016)」(邦題メン・イン・キャット)、批評がクソミソだったしケビン・スペイシーが出てる(ほぼ声のみ)のでもはや歴史の狭間に消えたも同然の映画だけど私は今でも好きだよ…ネコがラグドールでめちゃかわいくて、しかもほとんどの動作があからさまにCGなのであっそうだよね現実のネコはあんまりお仕事しなかったよね!ということがわかってとても良い。

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あっそうそう2016年は「Keanu」(日本劇場未公開、ソフトあり)もあったからネコ映画大豊作の年だった。監督作出す前のジョーダン・ピールも出てるしキアヌは子猫ちゃんだから本当にきゃわいいんだにゃー。奇跡の2016年以来ネコ映画なんもなくない?! 私が見逃してるだけかな。

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しかしついついせっかく映画館で見るなら評判がクソミソな映画を引き当てたくないと思ってレビューとか見てしまうけど、クソミソ映画って結局配信されても見ないから、劇場公開に何も知らずに引き当てるしか見る機会はないんだよなって。評判めちゃくちゃ低いけど私は好きっていうのあるからそういうのに出会えなくなってしまう。まあだいたいは評判めちゃくちゃ低いし私もとくにそこまで…というのだけど。

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あーネコ主人公じゃないけど「キャプテン・マーベル」と「バズ・ライトイヤー」はネコ映画か。はからずも両方スペースキャット。イヌが人類の友であるのに対して、ネコって地球外生命体であること多くない?(某キュウべえとかも)

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「ニモーナ」面白かった〜。SFかつ中世、いいとこどりみたいな世界観で便利〜と思ったけど、物語的にいってもテクノロジーだけが進化してマインドセットが閉じたまま旧態依然としている社会ということだよね。他にもいろんなポップカルチャーの影響ぽいのがうまく使われてて、そのへんもファンタジー世界と我々の現実社会とのリンクを表してるみたいでよかったです。

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「ニモーナ」それにしても主人公のバリスターが外見まで声優のリズ・アーメッドに似てて役としてはぴったりだったけど、ああいう場合って肖像権的なもの払うんだろうか?(どうでもいいことが気になる)(原作コミックのバリスターはそんなにリズ・アーメッドに似ていないみたいなので明らかに寄せた)

「ニモーナ」私が良いと思ったのは、
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結局千年前のヒーローであるグロレスが間違っていた、というとこで。ああいうのって、そもそもの始祖様の教えは正しかったのに継承される過程で歪んで伝わって…みたいなパターンあるじゃないですか。あれって宗教的(※神は正しいのに信徒が間違っている)だし、この世界自体…つまり違うものを恐れる我々のもっとも原始的な感覚や教え自体が間違っている…ということから目をそらしてしまうと思うんですよね。

「ニモーナ」においてグロレスが間違っていた、その間違いの上に一千年の誤った社会が築かれてしまった、というのはすごく大事な設定だと思いました。一千年間この社会が根本的に間違っていたなんて今さら認められない!なんていわないで、認めれば今からでも変えていけるから。

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それにしても最近bully役のことばっか考えてたから「ニモーナ」のトッド見てほらまたハングマンみたいなやつが物語装置としてがんばってるぜ…と思い感慨を深くした。最後にちょこっとだけいいやつ挽回してましたけど本来ちゃんとした脚本だったらあのくらいの挽回しか許されない位置だから…なんかめちゃくちゃいいとこ持っていった人いましたけど…

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しかしbully役ってヴィランと同じで、いてくれないと話が進まない大事な役なんですよね。ヴィランでもなく味方でもないこの微妙な立ち位置。物語におけるbully役の機能とその歴史的変遷についてだれか博論書いてないですか(ハングマンはおそらくそういう論文において特殊事例として言及される存在)。

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ネトフリでさらに「关于我和鬼变成家人的那件事(僕と幽霊が家族になった件)」見てました。マッチョでホモフォビックな刑事がひょんなことから交通事故で死んだゲイの青年と「冥婚」(死んだ人と結婚する供養)させられたら彼の幽霊が見えるようになり、事故の犯人を探したりなんだかんだバタバタする映画。

僕と幽霊が家族になった件
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ゲイのキャラクターやゲイカルチャーの描写はステレオタイプ的、ホモフォビックな主人公への制裁は甘い(ほぼない)、無駄にホモフォビックな台詞が頻出する、結局のところ家族っていいよねオチである、何よりいくらコメディにしたところでゲイの青年だけ死んでてストレートの人々がそれをイイ話にしてイイ感じになるだけだからね!!とかあらゆる面でいかにも保守的でメインストリームの観客に見せる用のクイア映画って感じではある(案の定台湾で大ヒットしたんだって)。

しかし主役2人の友情はかわいい。本当にそれだけ……メイン2人の関係性はなんかとてもいい感じに描けてる。萌えか萌えじゃないかでいったら萌え。現場からは以上です。

現場からは以上だといったけど、
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「萌えか萌えじゃないかでいったら萌え」だからという理由で摂取してきたものがこれまでどんだけあるのかって話なんですよ。

私はいつの時点かで、こういう保守的で閉塞感を与えるような世界観に「萌え」が差し込まれた時に自分はいちばん萌えるんじゃないかということに気づいて、それはなんかそういうふうに訓練されているんじゃないか……そういう保守的な世界観に対する反感の発露として男性同士の関係に「萌え」を読み込むのが癖になっている、そしてそれが訓練されすぎてそういう保守的で自分を傷つけるような世界観「でないと」萌えられないみたいなとこまで足を突っ込んではいないかと思ったりしたんですよ。

だからもうあえてこういう「萌え」を歓迎する必要はないんじゃないかと最近は思う。地獄に咲いた一輪の花みたいじゃないときめきも他にたくさんあるから。

そういうことを思い出したという意味でもたいへんクラシックな価値観の映画です。あ、でも同性婚合法化を機にこういうテーマの作品が作られてヒットしたという意義はあると思うよ(思い出したように)。

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言うて今ハマってるTGMもべつにプログレッシブな価値観の作品ではないんだけど…(全方位的に明らかなオフェンスを避けるというPR的慎重さがあるとは思う)

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TGMは「できるだけ多くの人に見せるためにできるだけノイズを排除した映画」だからあの世界に例えば明らかなミソジニーとか居場所ないんですけど、某ハングマンの人だけがあの世界で存在できる限界ギリギリのミソジニックなことを言っており放送コードに挑戦する人間か…?!と私が色めき立つ(鑑賞の思い出)。

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同様にTGMの世界にはたぶん明らかなホモフォビアも居場所がないはずなので、二次創作やっててもなるべくその要素を入れない(orものすごくマイルドにする)という感覚はある。某ハングマンの人とかリアリティレベルによっては絶対にホモフォビックなこと言うキャラだと思いますけどTGMの世界のコードでは言わない。

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(TGMに明示的にクイアなキャラが1人もいないということとフォビアに居場所がないだろうということは対立することではなく、両方意識的に排除されていると私は思っています。最大数の観客のために”ノイズ”が排除されているからで、その態度自体が問題あるといえばそう)

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(TGMの世界、ミソジニーもホモフォビアもないしもっといえば人殺しの葛藤とかもない。なんもない。「ニモーナ」みたいな映画がファンタジーの外観を持ちながら現実の価値観を反映しているなら、TGMは三次元ミリタリーのガワを持っているのに中身の何もかもがファンタジーだから…)

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新しいプラットフォーム(ピクリエ)でさっそくイベントあるんだ! 旧プラットフォームでは参加しない予定だったけど、様子見てみたいし参加してみようかな?

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しかし参加するにしてもなにも新規物がない可能性高い。掌編がんばってみるけどただ個人サイトの宣伝をするだけの人になりそう(でもなんかそういう気軽なイベント主旨だったような気が)。