「秀才も蔭に良書の後だて」とはなかなか粋だ RT
AAって言ったらアスキーアートのことだろ,アファーマティブ・アクションのことならそう書いてくれ,という案件が発生した.
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今日言われてはじめて思ったけど,「品詞」(parts of speech)ってうまく名付けられた概念ですね.「言葉・話のパーツ」だものね.
すでに体系立てられたものを知っている立場からはなかなか想像しにくいが,自分たちの言葉を当のその言葉を以て分類整理しようというのは非常に困難な企てであっただろうと思われる.そういうところに気を配りながら古代の文法家の著作を読むのも面白いかもしれんね.
デビットカードと聞くたびに「たまには俺のことも思い出してくれよ?」とメッセージカードを手渡してくる謎の外国人デイビッドが脳裏をよぎる
昨年中にケリがついているはずの案件について一向に連絡がない.まさか2019年14月に突入してまだ延長戦をつもりなのだろうか.
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遠慮なくその場で質問してくれるのもうれしいですが(答えられるとも限らないけどね),後ででも翌週ででも「この前のアレについて調べてみたのですが~」とでも言ってもらおうものなら感動もので,しかしそういうことはなかなかに稀ですね.
調べてみました云々というのはしょうもないまとめサイトの決まり文句のようになってしまったが,本当にちゃんと調べた人の口から聞くのは楽しい言葉である.
しかし「調べ物を好む」というのがげに見出し難い才能であるのは何故であろうね.そんなに欲を言っている風でもないのだが.
上手にしゃべれるようになりたい.立て板に水のようにスルスルと淀みなく喋るのも,しっかり間をとって含蓄のある物言いをするのも好ましいが,そのどちらもできないので厳しい.
人の前でしゃべるのは場数を踏む以外の上達法といっても,いきなり千人の前で喋れば百人の前では物怖じしなくて済むというくらいだろうがさすがに荒療治にすぎる.
気分が和むと郷里の言葉が出るのを逆手にとって,抑揚なり調子なりを多少そちらへ寄せて喋ることで緊張を和らげる,というのは割と良くやります.