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自分が一番良いパフォーマンスを出せる状態をわかっていてもそのように仕事ができないないしはそうすることが許されないという環境が一番厳しい
『現代数学』(2019年4月号)三浦先生の「歴史から見る数学 数学史から見る歴史」が今回はコレージュ・ロワイヤル(コレージュ・ド・フランスの前身で1530年に人文学者ギョーム・ビュデの助言のもとフランソワ1世により設立)における数学教授職について.
設立当初のコレージュ・ロワイヤルはギリシア語教授,ヘブライ語教授,数学教授の布陣で,ラテン語修辞学とかは後から加えられたというのは知らなかった.ここに数学が加えられたのは「数学によってフランスが繁栄し,周辺の他国や他民族を科学の領域で凌駕するため」で,当時はドイツの方が数学教育は先行していたので,フランスの大学の数学教育を促進する狙いがあったと.
メインに取り上げられている数学者オロンス・フィネの仕事も(エウクレイデース『原論』出版など)実用数学教育という性格が強かったらしい.ちなみに彼はルフェーヴル・デタープルの弟子だったりと,知っている古典学者の名前が色々出てくるのでおもしろい.
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食事時に「こうやって呑気に昼ごはん食べてる間も遠隔地ではサーバが働いてくれてるんだなうふふ」となることはある
完全に隣の芝生事案なのは百も承知だがそれでも,エンジニア界隈はオタク(もっとも広い意味におけるそれ)が多くて羨ましい,っていうのによくなる
Education and Science Giant Elsevier Left Users’ Passwords Exposed Online https://motherboard.vice.com/en_us/article/vbw8b9/elsevier-user-passwords-exposed-online
306年から1583年までの地震記録262例を月ごとに分けて,発生頻度に季節による不均衡があるのではないかと論じる1841年の記事(A.Perrey).
Comptes rendus hebdomadaires des séances de l’Académie des sciences, t. 12, pp. 1185-1187.
https://archive.org/details/comptesrendusheb12acad/page/1184
ダンテ『神曲』「煉獄篇」で,魂が浄化されたことを自ら悟った際に地震が起きるという記述がある.
「おそらく下界では小さな,また大きな地震が起きているのでしょう.
しかしそれは大地に封じられている風によるものです.
理由はわかりませんが,この上で地震が起きたことはありません.
「ここが揺れるのは,自身が清められたことを悟って,
誰かの魂が上へと昇るために
起き上がるか動き始めた時であり,あの歓声はそれに続きます」(Pur. 21.55-60. 原訳)
この少し前には煉獄にいかなる気象の変化もないことが言われていて,古代より地震は気象現象との関連のもとに考えられてきたから,煉獄の「地震」も地上的なそれとは異なるもの(ところでダンテは,「乾いた蒸発気secco vapor, 52行」のような言葉遣いや地下の風を地震原因とすることからして,アリストテレース以来の気象理論を踏まえている).
魂の浄化という喜ばしい出来事に対して,古代以来専ら災害や凶兆として捉えられてきたであろう地震のイメージが用いられているのはなぜだろうと思ったが,聖書ではイエスの復活の際に地震があったとしているのだった.
「さて,安息日が終わって,週の初めの日の明け方に,マグダラのマリアともう一人のマリアが,墓を見に行った.すると,大きな地震が起こった(καὶ ἰδοὺ σεισμὸς ἐγένετο μέγας).主の天使が天から降って近寄り,石をわきへ転がし,その上に座ったのである」(マタイによる福音書,28.1-2. 新共同訳)
でも十字架にかけられて息を引き取った際もやはり「地震が起こり,岩が裂けκαὶ ἡ γῆ ἐσείσθη καὶ αἱ πέτραι ἐσχίσθησαν」(マタイによる福音書,27.51)たのだった.聖書における地震の例をもっと見ないとわからないが,吉兆とか喜ばしいものとして現れているとは言いづらそう(神に由来する超自然的な,畏怖すべき出来事の一例くらい?).
仏教における瑞兆としての地震の特殊性はまた別に考慮する必要がある(https://gnosia.info/@ncrt035/101101413248045918 ).
地震はそれ自体が一つの災害であるため多くの場合凶兆として取り扱われるが,仏典においては吉兆とされる解釈が目立つのは興味深い.そういえば仏語の六種震動も仏が説法するときの瑞相(吉兆)とされる.
「地震は一種の自然現象であって,良いものとか悪いものとかと言うことはできない.しかし,地震はしばしば人類に多大な危害をもたらしたため,地震を一種の厄災とすることが一般的である.少なくとも,地震を吉祥とみなすことはないであろう.しかしながら,仏教においてはその一般的地震観と違い,地震は必ずしも災難とはみない.もちろん,厄災とみなす地震記録もみえるが,ある種の吉祥とみなす地震の方が多い」(p.189)
読めるようになっていたので再び.高津先生の書評本文からJacksonの紹介となる部分を抜粋すると,
「これは世にかくれた學者の遺著である.Jacksonは言うところの學者ではない,オクスフォドのQueen’s Collegeを出て間もなく彼は家庭の事情からイングランドの西北隅,湖水地方で名高いCumberlandのCaldbeckに母親と共に暮しつつ,その農場の面倒を見なければならなかつた.日々の激しい仕事の裡に讀書にさき得るのは夜のみであつた」
「發表する積りなしに,ただ自分の興味のために覺えのノートを書き溜めた.荒涼たるCumberlandの農場で,近くに利用すべき圖書館もなく,夜毎に唯一人古典に沒入していた彼の手許には新らしい校訂書も殆んどなかつた.原典批判に必須の參考書もなかつた」
という中で三大悲劇詩人とアリストパネースの喜劇の本文批判について価値の高い仕事をした人物です.
古典文献学者で詩人のA.E.ハウスマンは,後々ロンドン大学やケンブリッジ大学の教授職に就くけれども,学士試験に失敗して大学を出た後,ロンドンで特許局の役人として働きつつ,仕事の後大英図書館で古典研究を行っていたという人なのでちょっと変わった経歴ではある.
プヨグラミングしてるときは括弧の数があってなければちゃんと弾かれるが,自然言語で無茶な挿入句を連発して長い書誌情報までぶち込んだ結果終わりの括弧を書き忘れていても特にその段階でエラーが出るわけではないので,後で詳しく校正させられる立場の人間が泣きを見る(今見ている)
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みたらし団子のみたらしが団子の中に入っているやつを食べているが手が汚れなくて大変よい
アラートループ家宅捜索(いわゆる「兵庫県警ブラクラ摘発」)事件に関する寄付の呼びかけ - 一般社団法人日本ハッカー協会 https://www.hacker.or.jp/alertloop/
「自分の興味ある事柄を一方的に延々と話し続ける」人の相手をする方が,「大して面白くもないし何なら本人すら大して面白いとも思っていない話題を方々へ転がし,それに対して然るべきリアクションを然るべきタイミングで繰り出すことを強い,剰え自分たちを多数派と信じて疑わぬが故にデリカシーを欠いた言動を常とする」適法生存者たちに引きつった笑顔で話を合わせるよりはるかに楽というのはいつも思う.
そういえば以前,某先生が,「決して悪い人ではないんだけれども,話をしていると妙に疲れるというか緊張感のある人がいて,何故だろうと思って観察していると,とにかく相手へのリアクションが否定的な切り口から始まる人だったんですね」という話をしていた.
E.g. 「今日は寒いですね」に対して「そうですね」とかではなく「いや,寒いなんてもんじゃない」と返して主導権を持っていってしまうみたいな例だったと思う.
「若い女性が,親や旧式の先生が心配してとめるのに抗して科学者になることを主張しようとするなら,女性が科学でりっぱにやってゆけることを示す証拠としてキュリー婦人をあげるのは用心せねばならない.とび離れた実例を一般化しようとする傾向は,女性が生まれつき科学への適性を持っていることを人々に納得させはしない.キュリー夫人ではなく何万人もの女性が科学の研究で稼ぎ,しばしば幸福であることを,証拠としてあげるべきである」
P.B.メダワー(鎮目恭夫訳)『若き科学者へ 新版』みすず書房 2016: pp.36-37.
とび離れた実例を一般化しても奏効するとは限らない,というのは科学における性差別の文脈以外でも多く当てはまりそう.
続けて,
「ますます多くの女性が学問的職業へ入ってくることが望ましいのは,女性たちに有利な勤め口を与えるとか,彼女らのもつ能力を充分に開発する機会を与えるとかいうことを主な目的としてのことではない.何よりも大きな理由は,世界は今やきわめて複雑かつ急速に変化しつつあるので,人類の約半数の人の知能と技能を利用することなしには,(社会の改良どころか)世界を維持してゆくことさえできないからである」(p.37)
とも.
新版が2016年と書いたが,元は1981年に訳されたもので,メダワーの原書は1979年刊行であることも付記すべきだった.
文献の参照指示や書誌を記す際に,例えば「23ff.(23頁以下)」のような起点だけ書く方式が望ましくないのは,「範囲を正確に書かないなんて本当にちゃんと読んでいるのか?」という意地悪な懐疑主義の標的にならないためというよりも,後々その文献を利用しようと思ってしかし直接アクセスできない人が,図書館などを経由して外部に複写を依頼する際に深刻な不便を強いられるというのがあると思う.
神保町行ったらボンディかガヴィアルで食べることが多いがもっとカレー屋さん開拓したい
京都で近い感じの欧風カレーが食べられるところがあればよいが…
これ(https://twitter.com/ncrt035/status/1103887386562375680 )の1枚目が近江屋清右衛門というところで美味しかったけど,またちょっと趣旨が違ったので.
ea quae fertilissima Germaniae sunt loca circum Hercyniam silvam, quam Eratostheni et quibusdam Graecis fama notam esse video, quam illi Orcyniam appellant... (Caesar, BG. 6.24)
《ヘルキュニアの森――これがエラトステネースや幾人かのギリシア人に噂によって知られていることを私は知っており,彼らはそれをオルキュニアと呼んでいるが――の周囲のゲルマーニアでもっとも肥沃な土地を……》
カエサル『ガッリア戦記』の中にもエラトステネースの名前が出てきて,ゲルマーニアにあるヘルキュニアの森がギリシア人にも知られていたということをカエサルは知っていたらしい.
この後の25-28はMeuselやKlotzによって構成の竄入(interpolation)と考えられている.
interpolationの訳語は毎回悩む.色々な訳例を見たことがあるが,「テクストに後から手が入って真正でない要素が入り込む」という事態を言い表したいから,《改竄》が落としどころではないかしらんと思う.
本来的には「差し挟んで手を加えること」なのだろうけれども《改変,挿入》あたりだと適切な操作による場合も含んでしまう感じなので.
今思ったが,《竄入》が訳として一番雰囲気に合っている気がするので,もっと良い案か問題点が出るまでこれを採用しよう.
https://gnosia.info/@ncrt035/101815397253736883
モリサワ 有限会社字游工房の株式取得によるグループ会社化を発表 | ニュース&プレスリリース | 企業情報 | 株式会社モリサワ https://www.morisawa.co.jp/about/news/4503
4月に出る技術評論社の新刊,よさそう | 基礎からのプログラミングリテラシー [コンピュータのしくみから技術書の選び方まで厳選キーワードをくらべて学ぶ!]:書籍案内|技術評論社 https://gihyo.jp/book/2019/978-4-297-10514-3
日本出版インフラセンター、日本国内で出版された書籍の検索サイト「Pub DB」を公開 Books.or.jpの後継 | カレントアウェアネス・ポータル http://current.ndl.go.jp/node/37861
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冒頭で,実名で書くのは「なまじ匿名だと思うと心理的なガードが下がり,不用意なことを書きがちだから」で「倫理というより自衛の問題」というのは尤もなことだ
本気で匿名性を保つために留意すべきこと(八田真行) - Y!ニュース https://news.yahoo.co.jp/byline/hattamasayuki/20190326-00119651/
後の方で,文体から個人を割り出されないためにどうするかという話の中で法言語学(forensic linguistics)に言及があるけど,文献を計量的・統計的な手法で研究する分野を特に計量文献学といって,文体などに関する特徴を数量化できることから著者識別や真贋判定に用いられる.
勉誠出版から出ている『計量文献学の射程』(2016年)という本が外観と実践(『源氏物語』複数作者説の分析など)を幅広く扱っている.
http://bensei.jp/index.php?main_page=product_book_info&products_id=100576
今のこれ(https://gnosia.info/@ncrt035/101816570592877048 )で思い出したが,古典文献だと,プラトーンの著作の執筆年代推定や真贋判定でも計量文献学的手法が用いられている.
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そういえばプラトーンの『第7書簡』は,彼の自伝的な側面を持っていて思想背景を知るのに重要なテクストなので,真贋判定の結果がプラトーン理解にかなり響くんだけど,たしか統計的には真作説の方に傾くのだったと思う.
基本的に真作と見なす見解の方が主流である一方,比較的最近にBurnyeat, M., Frede, M. (2015), The Pseudo-Platonic Seventh Letter, Dominic Scott ed. Oxfordあたりから新しい偽作説(『第7書簡』だけでなくほかの書簡全てにも疑問の目を向ける)が出ていたがこの辺りをどう考えているんだろう.門外なのであまりフォローしていない.
自宅の『計量文献学の射程』に,関連文献のコピーがちゃんと挟んであった(えらい!).
ひとつはWake, W.C.(1957), `Sentence-Length Distributions of Greek Authors', in Journal of the Royal Statistic Society: 331-346で,文の長さに基づく文体測定を行っており,340-343まででプラトーンを取り上げ,『第7書簡』と『法律』の文体的一致を指摘している.
もういっこはMorton, A.Q.(1965), The Authorship of Greek Prose, in Journal of the Royal Statistic Society, 169-233で,Wakeの議論を拡張して,弁論や歴史のギリシア語散文作家が分の長さに関して文体上の習慣を有していることを示している.
多分このとき(https://twitter.com/ncrt035/status/961084021273866240 )に言ってた文献がこれらと思われる.
古代の場合,一人の作家に一つの作品しか伝わっていないとか,そもそも作者不詳であるということが少なくないので,一人の作者のもとに複数の作品が帰されていて真贋判定が議論されうるという状況自体がちょっと贅沢なような気もする……
計量文献学的手法は韻文に対してはどのくらい通用するのだろう.
ふっと思い浮かぶところではアイスキュロス『縛られたプロメーテウス』は今日では偽作説が濃厚というのがあって,Griffith, M.(1977), The Authenticity of Prometheus Bound, Cambridgeがこの問題を詳しく論じている文献だが,あれの中で統計的なアプローチはどのくらいあったかな……
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アイスキュロスとかの場合,語彙面に注目しても,いわゆるἅπαξ λεγόμεναという文献上一例しか文証されない語彙が多い作家なので,そういう特殊性から判断するのが難しいかもしれない(むしろ特殊で奇抜な表現であるほど真作味を持つとも言える).
文章の中に現れる隠れた法則性を発見する文体統計の考え方は,自然の中に法則性を見出そうとするのが自然科学であるという観点からすると,言語を人為というよりはむしろ自然に属するものとして自然科学的な角度から研究対象にしようとしていると言えるかもしれない.
文献を,自然の一環としての言語現象のひとつと捉えるのか,それとも人為による歴史的な所産と捉えるのか.
前者の視点が探るのは隠れた法則性なので,例外的な事象はノイズでしかない.他方,後者の視点はまさにそうした例外的なもののうちに現れた個性を理解することに向かう.どちらの態度をとるべきかと問うより対象や問題の性質によって両方のアプローチを使い分けるべきということなのだろうが……
多分この問題は「言語を対象にする学問は歴史学なのか自然科学なのか」という問題と関連するので,言語学とりわけ比較言語学が生まれ発展した19世紀にさかのぼって考えないといけない.
風間喜代三『言語学の誕生――比較言語学小史――』(岩波新書,1978年)がこのあたりについては詳しい.
本をしまってからコーヒーカップを洗いに行こうとしたのに本を持ったまま洗い場に来てしまった
コインハイブ事件、男性に無罪判決 横浜地裁|弁護士ドットコムニュース https://www.bengo4.com/c_23/n_9429/
なるほど
「このようにTeXは、追い込んだ場合、追い出した場合、ある行を詰めた場合、空けた場合、どの位置で改行した場合……など、考えられるすべてのパターンの中で最も調整量の少ない最適解を見つけて組んでいきます。従って、一般のDTPソフトよりもきれいに段落を組むことができるのです」|TeXでDTP 各ソフトの組版比較
http://www.dab.hi-ho.ne.jp/t-wata/tex/dtp-typeset.html
クールなURIは変わらない https://www.kanzaki.com/docs/Style/URI.html
めっちゃ眠い中髪切りに行ったらハサミを取り落とされるなどがあり劇的に目が覚めたので追加料金を払うべきだったかもしれない
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文書がある程度の分量に達すると,その文書そのものに手を入れ続けるよりも,それを「第n稿」として固定化し,それを素材として切り貼りしつつ新しい文章を継ぎ足して「第n+1稿」を作っていく方がやりやすいのではないかと思われてきた.
#執筆フロー見直し
あまりスマートと言えない感があるが,現実問題として真っ白な状態から書いた方が筆が進むというのがあって,これはどちらかというと運用側の習慣に問題がある気がする…
#執筆フロー見直し
この理想的な雛形がなかなかその通りにいかず途中でぐじゃぐじゃになるのは何でか考えみたが,多分この執筆作業のレイヤと別に調査研究のレイヤがあって大抵そっちも同時進行しており,そちらの煽りを受けることがあるためと思われる(つまり(3)-(5)を繰り返していきたいのに(1)レベルでの大きな修正を強いられる).
#作業フロー見直し
ここ(https://gnosia.info/@ncrt035/101726157787100628 )で執筆作業のレイヤと調査研究のレイヤが並行している問題があったが,これと関連して書く作業にも(1)「完成のために書く」と(2)「(整理して)理解するために書く」の質的に異なる作業が存在しているようである.(1)についてはどんな手入れをしたかすべてログを残して跡付けられるようにすべきだが,(2)については(1)のための素材ないし部品の用意なのでこの限りではない.
ただ最大の問題は,書いているときに(1)なのか(2)なのかがわかっていないということだ……
人間の命を救うはずだったAIが政治と無知によって無視されてしまった話|Kan|note(ノート) https://note.mu/datascience/n/nde5bd9d68afe
MastodonもPleromaも基本ダーク調のテーマだし鳥も常時夜間モードにしてるから新しいタブを開いたときニフラム食らった感じになる
分綴について調べていたら面白い話が出てきた「一部の辞書では figu-rine または fig-urine と分綴してもいいと書いてあるが、 g と u の間で分綴すると、urine が文頭になってしまうから必ず figu-rine で分けるようにと、大学院生のときに読んだ本に書いてあった」| 研究社 - 英語青年ブログ http://www.kenkyusha.co.jp/modules/blog_eigo/details.php?bid=21
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http://yuyarin.hatenablog.com/entry/2019/03/28/104536 NTTCom社員は本当にラグビー部員におしかけられているのか? - show log @yuyarin
技術や能力が高いと,「特に心にかなうわけではないが流行っているので取り組む」という選択肢が出てきうるのかもしれない(うちの環境ではグレーアウトしている🤔
その時々に求められることと自分の興味あることとの折衝が人生の随所で苦しみを生むので,せめて操作権限のある後者を広く持つために幼少より好奇心を育むのが大事だということがわかったが,今頃わかったって何も意味ないなこれ…
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今日はあかんね,あんまり調子が出ない.あまり頭を使わずにできる仕事をしよう.
このまえ東京行ったときに竹尾の見本帖本店すぐ近くまで行ったのだが土日定休だから意味なかったんだった.
コットン配合紙の見本帖(H-6)が欲しいが売り切れている🤔
https://takeopaper.com/sample/minisample/index.html
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平成と
共にサーバー
終わらすの
エモい気がして
きたし潰して
#雑57577
他人が出した翻訳書を丁寧に言おうとして「ごやくしょ」で変換して「誤訳書」になって肝が冷えるやつもう何回やった?
「出版は資本主義には似合わない」ってここまではっきり言われると気持ちいいな|栗原哲也著『神保町の窓から』(影書房,2012年)
http://www.kageshobo.com/main/books/jinbochonomadokara.html
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去年ヘーシオドス『神統記』の註釈付き対訳本が新しくモンダドーリ社のScrittori greci e latiniシリーズで出たのだが,その詳しい紹介・書評がイタリアの左翼系新聞『イル・マニフェスト』に載っているので読んでいた.|Esiodo, la vertigine della lista nel poema che fa inorridire. https://ilmanifesto.it/esiodo-la-vertigine-della-lista-nel-poema-che-fa-inorridire/
さっきの記事と同じ人(Carlo Franco)が書いた戦間期イタリアにおけるトゥーキューディデース研究・受容の記事もとても面白そう.|Questione Tucidide fra culto, filologia e nazionalismi anni trenta
https://ilmanifesto.it/questione-tucidide-fra-culto-filologia-e-nazionalismi-anni-trenta/
この時期のイタリアでのトゥーキューディデース受容において重要な影響を及ぼしたのはローマで教鞭をとった古代史家ユリウス・ベロッホであったらしい.出てくる名前のうち,デ・サンクティスやアルナルド・モミリアーノは知っていたが,パドヴァ大学で教授を務めたアルド・フェッラビーノ(Aldo Ferrabino)は初めて聞いた名前だ.
若狭湾で獲れた新鮮なサーバに塩をして京都へ運び到着するころにはちょうど良く整備された状態になったことからこの物流ルートをサーバ街道と言う(言わない)
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手に入れてみて「やっぱいらなかったな」となるのは自分の鑑識眼の経験値になるのに対して,必要なのに後から手に入らなくなったことが分かった場合には取り返せない且なんの学びもない後悔だけが残るので
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僕はインスタンスを閉鎖するときに全アカウントを削除するのは反対です
せっかく連合のサーバーに保存されたデータが削除されてしまうのはもったいない
しかしこれは別に削除要求を無視するという意味ではなく、もしリモートから削除しろってリクエストが飛んできた時は拒否とかしないでちゃんと削除します
LINEはやりたくないしやる予定もないがスタンプだけ欲しい
ぱらのま - LINE スタンプ | LINE STORE https://store.line.me/stickershop/product/7141148
「日本や外国で刊行された、日本に関する外国語の図書・著者が日本人または日系人等の外国語の図書」を対象とした書誌情報データセット.|国立国会図書館 2019年3月29日 日本関係外国語図書の書誌情報(試行版)データセットを公開しました
https://www.ndl.go.jp/jp/news/fy2018/190329_01.html
3枚目を中心にして両側に1,2枚目の像がある.両側の像には『牧歌』『農耕詩』『アエネーイス』から,中心にあるウェルギリウス像にはダンテ『神曲』「地獄篇」から《ただあなた一人から私は栄誉を自分にもたらしてくれた高き志の詩法を学んだのです tu seʼ solo colui da cuʼ io tolsi | lo bello stilo che mʼha fatto onore》(原訳 Inf. 1.86-87)引用が刻んである.
身も蓋もない言い方をすると「人間の作ったものには興味があるが人間には興味がない」ということなのかもしれない
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阪大教授 通勤手当など9000万円余を不正受給か 約15年間で | NHKニュース https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190329/k10011866431000.html
絶対ない、とは言いきれない…「超愛国的」元号候補を考えてみた(辻田 真佐憲) | 現代ビジネス | 講談社(1/3) https://gendai.ismedia.jp/articles/-/63752
gentibus est aliis tellus data limite certo:
Romanae spatium est urbis et orbis idem. (Ov. Fasti, 2.684)
《他の民族に与えられた土地には確かな限界があるが,ローマの都の領域は世界のそれに等しい》(オウィディウス『祭歴』2.684)
「都市urbs」と「世界orbis」との地口が活かされている.
『アエネーイス』(1.279)ではユッピテルが「私は限界のない支配を与えたimperium sine fine dedi」と語っていた.
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