あとで読む|
百合が俺を人間にしてくれた――宮澤伊織インタビュー|Hayakawa Books & Magazines(β)
https://www.hayakawabooks.com/n/n0b70a085dfe0
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正確には、追加の教育が必要ないほど高度な専門性と教養を備えて、さっさと趣味に生きたい
Possanza, M.(1990), `The Text of Lucretius 2.1174’, Classical Quarterly 40.2: 459-464.
nec tenet omnia paulatim tabescere et ire
ad capulum spatio aetatis defessa uetusto.
そして全てのものが少しずつ衰えて,生涯の長い期間に
疲れ果てて墓場へ向かうということを理解しない.
今日ad capulumというVossiusの修正案が受け入れられているが,写本の「破滅(lit.岩礁)へとad scopulum」を保守しようという議論.実際Vossiusの案がHavercampによって取り入れられるまでは難船の比喩から「岩礁scopulum」が「破滅,死」と理解できるというLambinusの解釈などもあった.
Vossius案を支持する人の根拠として,capulumからscopulumという珍しい方から一般的な方への変化(Q写本の修正前は実際copulum)という古文書学的な議論と,ad capulumの方が詩的で文脈にも合っているという議論の二つがある.
しかし実はOやQでしばしばcの前のsが落ちる誤記が見られる(Merrillが多くの例を集めている)こと,さらにOとV(scopullum)の一致はそれらの派生元の写本でもscopulumであったことの証左と考えられることから前者の議論は揺らぐ.
意味の点ではscopulusを比喩的に「破滅,死」として使う例はラテン文献に広く見出せる(特にCic. de orat. 3.163でこの用法にコメントがある)ほか,文脈の点でも,単なる一生物ではなく世界というレベルでの盛衰も意味する文脈であること,「難船naufragium」のイメージのエピクーロス的διάλυσιςとの呼応,さらに「素材の大海materiai tanto in pelago 2.550」のような詩人本人の表現から,写本の読みが詩的にも哲学的にも適切であると結論される.
ズバッとうまい修正案を出すだけが本文批判ではなくて,不当に疑念を持たれてきた伝承本文の正当性を博引旁証と巧みな解釈により明らかにする研究ももちろんある.そういう論文を読むのは楽しい.
誤記や間違いの発生に至る尤もらしいストーリーをいろいろ考えるわけだけど,息をするように間違えまくる我が身を省みるに人間なんの理由もなく間違えるからな…
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いい加減部屋を片付けなくては…
売ったり処分したりはしないが当面のプロジェクトではもう使用しない資料を別の場所に置くようにするのが第一段階かな.
📰 コロッケ+ビールという幸福…!京都地元民の間でひそかに話題の四条河原町「西冨家コロッケ店」がすごく良かった話 - ぐるなび みんなのごはん http://r.gnavi.co.jp/g-interview/entry/yulily4638 #京都 #kyoto
Crowi上でMarkdownであれこれ書いたものをローカルに持ってきてPandocでLaTeX形式に変換する.ラクチン!
「埃,塵」などを意味するpulvisが,特に算術や幾何学を行う際にものを書き付ける意味合いで使われる例についてForcelliniの辞書を御覧と言われたので見てみると(s.v. II 3),mathematici in pulvere formas suas describere solebant, ut si quid esset emendandum, delere possent, et rursus inscribere《数学者たちは,何か修正すべきものが出来た場合に消して書き直すことが出来るように,自分の図形を砂地のうえに描くのが常だった》と説明して,アルキメーデースが作図に夢中になってるうちに無名の兵士に殺された逸話を報告するリーウィウス(25.31)の一節が指示してあった.
なおOLDではこの意味は2 cにある.
日本名だとどうあがいても絶対ちゃんと覚えてもらえないので今後一切をギリシア名で統一する機運が高まったが一瞬で消えた
今年入ってからフォロワーと会見する機会がちらほらあるので「はい,私がニーケーラトスです」とかいう謎の自己紹介が発生してしまう.
†記号はうちの分野では校訂不能箇所を示すのに使うのでそれ以外の書物を読んでる時に出てきても一瞬その意味に考えそうになる
s/Gaerner/Gaertner/
Gaertnerの論文は19世紀以来なされてきた研究を手短に見た後,プラウトゥス,テレンティウス,その他の喜劇断片についてもとになった劇にあるギリシアの法制の受容,ローマ喜劇詩人らの扱っている法的な内容・言語について概観するもの.
Trinummusについては,Green, W.M.(1929), `Greek and Roman Law in the Trinummus of Plautus', CPh 24: 183-192というのもあるようだ.
そうか,単純にローマの劇を読めばローマの法について知れると思ってしまったけども,プラウトゥスもテレンティウスも大なり小なりギリシアのいわゆる新喜劇を模倣・翻案しつつ詩作しているわけでそこにはギリシアの法律の取り込みという観点も必要になるのねという気持ち.
少し古いが割りとズバリそのものなタイトルの文献が出てきた.
Costa, E.(1890), Il diritto privato Romano nelle comedie di Plauto, Torino, Fratelli Bocca.
「属人化」とは何か? 整理してみよう ~ 「あえてする」ものなの? 「排除しちゃだめ」なの? https://speakerdeck.com/opelab/20180228-person-dependancy
よく整理されていて面白かった.「みんな人類の非属人化努力の成果の上に生きている」というのはよい言葉だ.
「属人化」とは何か? 整理してみよう /20180228-person-dependancy - Speaker Deck
https://speakerdeck.com/opelab/20180228-person-dependancy
古書を買ったら前の持ち主だった学者がそこここにwrongとかunsuccessfulと手厳しいコメントを書き込んでいてその中に一箇所excellentと記しているところを見つけて感慨にひたるなどしました