正確には、追加の教育が必要ないほど高度な専門性と教養を備えて、さっさと趣味に生きたい
正確には、追加の教育が必要ないほど高度な専門性と教養を備えて、さっさと趣味に生きたい
Possanza, M.(1990), `The Text of Lucretius 2.1174’, Classical Quarterly 40.2: 459-464.
nec tenet omnia paulatim tabescere et ire
ad capulum spatio aetatis defessa uetusto.
そして全てのものが少しずつ衰えて,生涯の長い期間に
疲れ果てて墓場へ向かうということを理解しない.
今日ad capulumというVossiusの修正案が受け入れられているが,写本の「破滅(lit.岩礁)へとad scopulum」を保守しようという議論.実際Vossiusの案がHavercampによって取り入れられるまでは難船の比喩から「岩礁scopulum」が「破滅,死」と理解できるというLambinusの解釈などもあった.
Vossius案を支持する人の根拠として,capulumからscopulumという珍しい方から一般的な方への変化(Q写本の修正前は実際copulum)という古文書学的な議論と,ad capulumの方が詩的で文脈にも合っているという議論の二つがある.
しかし実はOやQでしばしばcの前のsが落ちる誤記が見られる(Merrillが多くの例を集めている)こと,さらにOとV(scopullum)の一致はそれらの派生元の写本でもscopulumであったことの証左と考えられることから前者の議論は揺らぐ.
意味の点ではscopulusを比喩的に「破滅,死」として使う例はラテン文献に広く見出せる(特にCic. de orat. 3.163でこの用法にコメントがある)ほか,文脈の点でも,単なる一生物ではなく世界というレベルでの盛衰も意味する文脈であること,「難船naufragium」のイメージのエピクーロス的διάλυσιςとの呼応,さらに「素材の大海materiai tanto in pelago 2.550」のような詩人本人の表現から,写本の読みが詩的にも哲学的にも適切であると結論される.
ズバッとうまい修正案を出すだけが本文批判ではなくて,不当に疑念を持たれてきた伝承本文の正当性を博引旁証と巧みな解釈により明らかにする研究ももちろんある.そういう論文を読むのは楽しい.