13:46:25 @ncrt035@gnosia.info
2017-11-08 21:14:58 Niceratus Kiotoensisの投稿 ncrt035@gnosia.info
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ルーカーヌス『内乱』1巻8行(Luc. 1. 8)のquae tanta licentia ferriという何とも訳しにくい表現が大西先生の邦訳では《かくも激しき,何という剣の暴戻》と見事に表現されていて感激した記憶があります.
licentiaは《積極的な自由》というよりも,ちょうど「免許license」が「本来禁止されていることが免じて許されている」ことであるように,《箍が外れて出来る,許可されている》という感じなので否定的なニュアンスを帯びるとこういう感じになるのだと.

一例にカエサル『内乱記』(Caes. Civ. 1. 21. 2)でコルフィニウムを攻略しようとするカエサルは,しかし夜間に占領することを避けるのだけれども,その理由が《兵の侵入と夜という時の放縦さによって町が掠奪されることを恐れた》(veritus ne militum introitu et nocturni temporis licentia oppidum diriperetur)ため,という箇所などが挙げられそう.

13:55:01 @ncrt035@gnosia.info
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この関連でlicentiaの意味の否定的な側面はlascivia《放縦さ》にかなり近づくんでないかと感じていたのだけれども,

nec Agricola licenter, more iuvenum qui militiam in lasciviam vertunt, neque segniter ad voluptates et commeatus titulum tribunatus et inscitiam rettulit. (Tac. Agricola, 5.1)
《アグリコラは,軍務を放蕩に変えてしまう若者の仕方で放縦に振る舞うこともなく,軍団司令官の肩書や自身の未経験を快楽や余暇のために用いる怠惰な振る舞いもしなかった》

などでlicenterがin lasciviamで説明されている辺りを見ると確信に変わってきた.

14:08:54 @ncrt035@gnosia.info
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Poulsen, A.D.(2017), `The Language of Freedom and Slavery in Tacitus’ Agricola', Mnemosyne 70.5: 834-858.

タキトゥス『アグリコラ』は,ローマの支配に抗するブリタンニア側からの叙述とブリタンニアを支配しようとするローマ側からの叙述とが組み合わさってできている.それらが相互にどのような関係にあり影響しあっているかを,タキトゥスが用いている「自由」と「隷従」についての比喩的表現に着目し,認知言語学者ジョージ・レイコフのメタファ理論に基づきつつ分析するという論文.

14:24:18 @ncrt035@gnosia.info
2018-07-29 12:54:45 0bit@.jpの投稿 0bit@mstdn.jp
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15:07:52 @ncrt035@gnosia.info
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「観測範囲が偏っている可能性がある」と思いかけたが,今念頭に浮かんだ人たちは正しく京大生ではなかったな.
twitter.com/kamakama2215/statu

17:38:06 @ncrt035@gnosia.info
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暮しの手帖買ってこようと思ってたんだけど今度本屋に行けるのはいつだろう

19:26:43 @ncrt035@gnosia.info
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polyptoton 屈折反復
同一の単語を,格を変えて反復すること.

πόνος πόνῳ πόνον φέρει. (Soph. Ai. 866)
苦労は苦労に苦労をもたらす.

21:13:06 @ncrt035@gnosia.info
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紙に印刷されていた学術的なクリティカル・エディションがデジタル媒体という新しい場を得てどう変わっていくかという話.

過去のエディションは物理的・経済的に限度があるために原典に関して提供できる情報が選択的になってしまっていた(e.g. critical apparatusのような省略的で読むのに専門性を要する形)がその制約から解放されること,公刊されたテクストだけでなく其処に至るまでの階梯までも跡付けて評価の対象となるであろうこと,あたりが特に面白く重要そうな点かな.

DH in Practice: The Transformation of the Scholarly Edition from Print to Screen
youtu.be/cKkVCzms-Sk

Attach YouTube
21:27:01 @ncrt035@gnosia.info
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ただ,「紙幅の都合」と言いつつも,大枠で物理的な制限があることで提供するテクスト批判資料が無限に増えることが避けられていたわけで(実際細かな正書法レベルの異同まで全て記録すればきりがない),何を記録し何を記録しないかということに編者の観点や方針があらわれてもいたのだとすれば,そうした制限がなくなることは必ずしも直截プラスにはたらくばかりではないのかもしれない.

21:27:59 @ncrt035@gnosia.info
2018-07-29 11:28:11 あはし🔞🚸の投稿 ahashi@pawoo.net
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21:44:04 @ncrt035@gnosia.info
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クリティカル・エディションというのは恣意性を一切排した,何か不動の客観的なものではなくて,編者の「判断」(ギリシア語κρίνωは「判断する,識別する」意味)を不可欠・不可避なものとして成り立っている.

仮に語句に疑問が出たとしてクリックひとつで写本や手稿その他の資料に飛ぶことが技術的に可能になれば,「クリティカル・エディション」というものの意義それ自体も問い直されざるを得ない.

そうしたときに例えば「批評なき批評版edizione critica senza la critica」に疑問を呈し,主観的要素の重要性を強調したミケーレ・バルビの議論はなおも示唆的であると言えそうである.

21:45:41 @ncrt035@gnosia.info
2018-03-31 01:26:30 Niceratus Kiotoensisの投稿 ncrt035@gnosia.info
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天野先生退職記念論文集をいただきました.
私も「イタリア文献学と古典文献学の間ーークローチェ,パスクァーリ,バルビの「方法」を巡る問い」という題で寄稿しています.

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21:47:29 @ncrt035@gnosia.info
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クローチェ,パスクァーリ,バルビらの間で交わされた1930年代イタリアの文献学を巡る議論についてはこの論文に書いた.

gnosia.info/@ncrt035/997737883

21:53:43 @ncrt035@gnosia.info
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先の論文ではバルビやパスクァーリの議論の射程の広さと,そうした視野をある意味で触発したとも言えるクローチェの論争という,どちらかというとポジティブな側面を取り扱ったけども,あの時代にはナショナリズムに乗って振り切れた人々も居たわけでそういうネガティブな側面についてももっと調べて知っておくべきという気はしている.

23:30:37 @ncrt035@gnosia.info
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figo《固定する》の完了受動分詞としてfictusが出てきているのに遭遇して「あれ,fictusはfingo《形成する》の方では」と思ったが,figoの完了分詞としてよく使われるfixusは類推によるものでfictusの方が本来的な形らしい.

23:42:15 @ncrt035@gnosia.info
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ラテン語の完了受動分詞を作る接尾辞-tusは印欧祖語の*-to-からくるらしく,それならたしかにfigoから規則的に作るとfictusになる.この-to-は歯音の後だと-so-になる(e.g.「sentio感じる」*sent-to > sensso- > sensus )のが他のs完了の動詞でも類推的に適用されることがあり(cf. Weiss 2011: 437-438),おそらくfingoの場合と同形になるのを避けて区別するためにfixusが出てきたのだろう.