01:54:52 @mrmts@mstdn.mrmts.com
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 11頁から「震災はわたしたちを試す?」という節。その冒頭は次のとおり。

「震災はわたしたちを試している。わたしたちは被災地である仙台で、「てつがくカフェ」という〈対話の場〉をとおしていま目の前で起きている震災という〈出来事〉に向き合っていかなければならない。それらの試練と格闘した痕跡のなかにしか復興への道筋は見出せないとすら感じている。試されているのだから、応えないわけにはいかない」(11頁)

 だいぶポエムだなあ。同じ研究室出身の中では私がもっともこの系統からは遠い存在で、むしろこの系統に属するか、そうでなくてもこれと親和性の高い人はたくさんいるんだけどなあ。私はこの本を正当に評することができるのだろうか。

02:06:22 @mrmts@mstdn.mrmts.com
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 「凝り固まった〈支援〉観」という先入見を持ち込んで「〈支援〉とはなにか?」というテーマについて哲学カフェをおこなうことについては先に疑問を呈したところだけど、さすがと言うか何と言うか、震災後1、2年のあいだで取り上げてきたテーマとして紹介されているものはどれもこれもすばらしいものばかりなんだよなあ。以下11-12頁の記述から抜粋。

第1回目「震災と文学――『死者にことばをあてがう』ということ」
第2回目「震災を語ることへの〈負い目〉?」
第3回目「〈支援〉とはなにか?」
第4回目「震災の〈当事者〉とは誰か?」
第5回目「切実な〈私〉と〈公〉、どちらを選ぶべきか?」
第6回目「被災者の痛みを理解することは可能か?」
第7回目「〈ふるさと〉を失う?~〈復興〉を問い直すために」
第8回目「復興が/で取り戻すべきものは何か?」

02:27:23 @mrmts@mstdn.mrmts.com
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「仙台と並行して盛岡や福島、山形などの被災地でも震災に関連した哲学カフェを行っている。2011年12月10日に盛岡で開催した哲学カフェ(第1回「てつがくカフェ@いわて」)では、被災地に無反省に投げかけられる「善意」をテーマとして取り上げ、そこに潜む問題性について参加者とともに問い直した」(12頁)

 なるほど、やっぱりここの記述からも〈西村先生が参加者とともに〉語り合ったり問い直したりしてるってことなんだな。日本では「進行役」と表現することが多いように思うけど、西村先生はご自身を「ファシリテーター」と呼んでいるのよね(iii頁)。そこは何か特別な思いとか違いみたいなものがあるのだろうか。

 ところで、iii頁の記述を読み返してみると、上記の理解が十分ではないことを示唆する記述があった。

「被災地での「てつがくカフェ」参加者による対話の様子をもとに、ファシリテーターを務めてきた著者本人の始点から、そこで交わされてきた対話のライブ感や当時の状況などを可能な限り再現したい」(iii頁)

 参加者が参加者同士で対話して考えたことと、西村先生が自分で考えたことと、「ともに」は二重にある?

03:04:19 @mrmts@mstdn.mrmts.com
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 13-15頁は「人の言葉を聴くことの怖さ」という節。あいかわらず〈ポエム〉ではあるのだけど、まじめな話、鷲田流のポエムの系譜ないし西村先生自身の感性によるものと、現象学とかフランス哲学とかポストモダンとか、いちおうは広く哲学の枠内で捉えられるものの系譜とが合わさっているんだろうな。

 それはさておき、この節は、臨床哲学の臨床とは何かってところに直接関わってくるところなんじゃないかなと。社会でさまざまな問題が生じている現場に赴くということ、これを「社会の臨床」とか何とか臨床哲学の初期のころの鷲田先生か中岡先生かふたりの連名か研究室名だったかで書かれた文章の中で呼んでいたと思うんだけど、じっさい西村先生はそうした社会の臨床(ベッドサイド)に赴いて、当事者とともにあり、当事者とともに何かの営みをした、すなわち臨床哲学を実践したということだよな。

 私みたいに臨床哲学から破門されて自分でも何をしているのかわからなくなってしまった人間とは違って、西村先生は西村先生なりに臨床哲学を実践してきているわけよね。数少ない臨床哲学の継承者のひとりだし、いちばん臨床哲学らしいことをしているのかもなあ。

09:50:21 @mrmts@mstdn.mrmts.com
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 とはいえ、この節は中心的な主張とか概念とかの部分が鷲田清一の『「聴く」ことの力』からの引用であったりほかにも注釈がついてたりで、どこまでそれらを咀嚼・消化して西村先生のオリジナルになっているのかと問い直してみたら、はたして西村先生独自のものがどれだけ残るのか疑問がある。

 おそらく咀嚼はしまくってるんだろうと思う。そのあと消化してどこまで西村先生の血となり肉となっているのかってことだよな。

 あかんあかん、比喩ばかり使ってポエムになってきた。

09:54:01 @mrmts@mstdn.mrmts.com
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 15-20頁は「言葉というものの真のはたらき」という節。なかなか野心的なというのか大上段のというのか、すごい見出しだな。

10:03:59 @mrmts@mstdn.mrmts.com
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 この「言葉というものの真のはたらき」(15頁)という表現は、辺見庸『瓦礫の中から言葉を わたしの〈死者〉へ』からの引用というか借用だったみたい。西村先生のオリジナルが知りたい。

 辺見庸は作家であり詩人だから、「真の」というのもわからないでもないかな。

10:09:58 @mrmts@mstdn.mrmts.com
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 それにしてもなんだなあ、せっかく被災者、当事者、あるいは哲学カフェの参加者と対話をして、ことばを編んで、なんだっけ、何か〈逞しく〉してきたはずなのに、そうした当事者のことばよりも先に辺見庸がくるんだなと。このあたりが、やっぱり衒学的に見えてしまって、私にとっては苦手というか、率直に言って鼻につくんだよなあ。

10:15:50 @mrmts@mstdn.mrmts.com
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 16頁の注釈29で高橋源一郎先生の「分断線」ということばが紹介され登場。やっぱりここでも哲学研究者、職業哲学者の概念が前面に出てくるんだな。

 西村先生にとって哲学カフェって何なんだろうなあ。あるいは、被災者、当事者、哲学カフェの参加者って、西村先生にとって何なんだろう。

10:33:31 @mrmts@mstdn.mrmts.com
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 米国がどんなにひどい国なのかってのを日々実感させられるよなあ。バイデン〔政権〕のイスラエルに対する態度がひどいことは言うまでもないけど、トランプだったらもっとひどいだろうから、バイデンでもトランプでも、民主党でも共和党でも、どっちにしてもひどいことに変わりないんだよなあ。

RT: バイデン米大統領「戦闘停止求めず」 イスラエル首相と電話で - 日本経済新聞 nikkei.com/article/DGXZQOGN240

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バイデン米大統領「戦闘停止求めず」 イスラエル首相と電話で - 日本経済新聞
12:13:43 @mrmts@mstdn.mrmts.com
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 最後の方で臨床哲学とつなげているのだけど、その接続はやや形式的・表面的に過ぎるという感をぬぐえない。

「『言葉というものの真のはたらき』は、何よりも『生身の個』にこそその照準が絞られなけ得ればならない、ということなのであろうか。そして、被災地における『てつがくカフェ』もまた、その当初からこの『生身の個』に、言い換えれば『だれかある特定の他者に向かってという単独性ないし特異性(シンギュラリティ)の感覚』をもっとも重視するものでなければならない、と感じていた。なぜなら、ここで言う『てつがく』とは、まさに『普遍的な読者に対してではなく』、対話をとおして『個別のひとに向かってする哲学(臨床哲学)』を想定しているからである。このとき、自分自身のなかでは、まさに文学という営みと哲学とが間違いなく交叉していた」(20頁)

12:24:13 @mrmts@mstdn.mrmts.com
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 孫引きになるけど、鷲田清一『語りきれないこと――危機と痛みの哲学』角川学芸出版、2012年の85-86頁からの引用として次の一節が本文中にある。

「感情というのは確かに言葉で編まれていて、言葉がなかったら、感情はすべて不定形で区別がつかない。言葉を覚えることで、じぶんがいまいったいどういう感情でいるかを知っていく。語りがきめ細やかになって、より正確なものになるためには、言葉をより繊細に使い分けていかなければならない」

 これは哲学の基本であって決して鷲田先生のオリジナルではないのだけど、こうした仕方で誰かに伝わり共感され理解される仕方で表現できるのは鷲田先生の能力であり、その結果は鷲田先生の功績だろうと純粋に思う。まあ私は肌に合わないのだけど。

12:40:20 @mrmts@mstdn.mrmts.com
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 ここからは私の感想。

 たとえば、小説家、詩人、哲学者、〔哲学〕研究者などは、ある意味で自分のことばをもった存在なんだよな。もちろん、哲学カフェに参加するような一般の人、非専門家、ないしレイパーソンがそうした自分のことばをもっていないとは限らないのだけど、前者が基本的に自分のことばをもっているのに対して、後者は必ずしも自分のことばをもっているとは限らないわけよね。

 哲学カフェというのは、ある意味でそうした自分の言葉をもたない参加者も含めて、自分のことばで語り、対話することを実現していく場だと思うのだけど、こうしたすでに自分の言葉をもつセンモンカたちの考えをもってこられてもなあと(いうことが書きたかったわけではなかったのだけど、何度も何度もやんごとなくこの投稿を中断されて、当初は何を書こうと思ってこの感想を書き始めたのだったかわからなくなってしまった)。

12:47:03 @mrmts@mstdn.mrmts.com
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 そういえば、昨日ヤフオクでレトロフリークを落札してしまった。ファミコンの実機を出してきたのだけど、何か改造するなりコネクタほか何かをあいだにかまさないともうモニターに映すことはできなさそうだったので。いつかはやろうとは思うけどいまはそこまでの余裕がないので、さくっとレトロフリークで遊びたいなと。

12:59:48 @mrmts@mstdn.mrmts.com
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 昨日だったかコーヒーミルが見つかったのでさっそくコーヒーを飲んでいる。

13:21:35 @mrmts@mstdn.mrmts.com
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 それにしても、ことばをもつってどういうことなんだろうね。いま綾野綾乃さんの『私と夫と夫の彼氏』を亀の歩くような速度で読んでいるのだけど、第1巻で主人公の美咲と悠生が不本意に参加していた合コンの帰りにたまたま鉢合わせたところ、悠生が美咲のことばを受けて次のように発言する場面があるのよね。

「花井(美咲)さん言語化が上手ですね。はー、だから〔合コンは〕苦手だったんだな~。そうやってうまく言葉にしてもらえると、ちょっと救われます」(Kindle No. 31/151)

 ことばをもつ人が、ことばをもたない人〔の感情など〕に対してことばをあてがうってことについても、哲学カフェをやりながらいつも考えるのよね。

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Seiichi MORIMOTO (@mrmts@mstdn.mrmts.com)
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 もういろんなことが滞っていてやばいっす。

13:51:37 @mrmts@mstdn.mrmts.com
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 キッチンタイマーが出てきた。

13:58:34 @mrmts@mstdn.mrmts.com
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 日本という国の信用がどんどん低下していってるね。

RT: 「世界最強パスポート」はスペイン 日本は15位 | Forbes JAPAN 公式サイト(フォーブス ジャパン) forbesjapan.com/articles/detai

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「世界最強パスポート」はスペイン 日本は15位 | Forbes JAPAN 公式サイト(フォーブス ジャパン)
15:53:08 @mrmts@mstdn.mrmts.com
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「言葉は自分のいまの心のありよう(感情)を撚り合わせていく『繊維』であると同時に、時と場合によってはわれわれの思考を一つの型に嵌め込み、揺れ動く思いや思考を一気に閉じさせてしまう強固な鋳型の役目を果たす。さらにたちが悪いことに、『なにもことばが考えられない時』に怺えられなくなると、わたしたちは往々にして他者の気の利いた言葉に縋りつく。とくに、慌てて跳びついたその言葉が、思想家などによる『冴えたことば』である場合にはいっそう厄介さが増す。なぜなら、思想家の『冴えたことば』に縋りつくということは、同時に、その言葉をもとに当の思想家が展開した問題意識や思考のプロセスそのものにまでそのまま乗っかり、なぞり、あたかもそれを自分自身で考えたかのような錯覚に陥って満足してしまう可能性があるからである」(22-23頁)

なんだかものすごい既視感があった。

15:59:50 @mrmts@mstdn.mrmts.com
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「震災による福島第一原発放射能漏洩事故」(24頁)とある。

 やっぱり西村先生は「放射能」という表現を意識的に使っているんだと思うけど、少なくとも漏洩したのは、放射線を出す能力たる放射能というよりは(それも漏れたと言えば漏れたと言えなくもないのだろうけd)実体としての放射性物質だよね。なぜ西村先生は「放射能」という表現にここまでこだわるんだろう。

16:12:31 @mrmts@mstdn.mrmts.com
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 25-26頁。ようやく哲学カフェの参加者のことばが引用された。どんな立場の参加者なのかこれだけではわからないので、もやもやは残るけど。

 というのは、哲学カフェには主催者、関係者なんかもひとりの参加者として参加していることがままあるので、純粋に関係者ではない参加者の発言なのか、それともいち参加者として参加している関係者の発言なのかってところが気になるのよね。

 もちろん、属性を取っ払っていち参加者として参加しているのかもしれないけど、現実にそうした属性を取っ払うということができているのかどうかはまた別の話だし、立場を引きずったり権威性を帯びたりしたまま発言してしまうということもあったりするので。

20:47:59 @mrmts@mstdn.mrmts.com
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 このように思っていたら、さっそく次の引用の冒頭には「〔一般参加者〕」(26頁)と明示してあった。

 この読書メモは、前から読み進めながら、基本的には気になったことがある時点で〔先読みなどせずに〕投稿しているのだけど、本当に裏切らない本だよなあ。いやまあ、そこは裏切ってほしいんだけど。

21:03:25 @mrmts@mstdn.mrmts.com
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 第1章「言葉をあてがう」を読了。最後は辺見庸の「死者にことばをあてがえ」という詩でしめくくられていた。

 20代のころにゲーテやハイネの詩集を読みまくっていたことはあるけど、どうにもこうにも日本人の日本語で書かれた詩は苦手なんだよなあ。

23:06:22 @mrmts@mstdn.mrmts.com
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[TOEIC L&R TEST受験勉強記録]2023年12月24日(勉強日数12日、次の試験まで77日)金フレのSupplement3「前置詞・接続詞・接続副詞」の40語とSupplement4「多義語」の88語を学習した。