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Your majesty, beloved, well-self-censored account is here! It's a time to say Goodbye to all Stupid residents of this Normative Society. It must be nice to disappear to live a life of my own.
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村上春樹。あんまり読んだことないが、大塚英志の評論で気になったので「こういうど真ん中を無視するのよくないな」と思って全長編読破に挑んでみることにする。プルーストよりか気が重い。
大塚の評論は『色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年』についてのもの。主人公のつくるはあるとき突然他の親友たちのグループから排除される。それがなぜなのか....というストーリーなのだが、これが思いっきり「従軍慰安婦の否定」というナショナルヒストリーに重なっているというのが大塚の評だ。
大塚の評を読むと「え??そんなわかりやすくやってるの??」と思うのだが、だとしたら気づかない人がいるのは相当マズくないか?と。
応援してください。
別に悪いことじゃあまったくないのだけれど、勁草書房ですらこんなPR、Twitterカルチャーに媚びた投稿をするってのが複雑な気持ちになってしまった。
伝えたいのが本の内容じゃないんですよ。パーフィットの規範倫理の主著、大著の翻訳堂々完結!!の知らせなのに「値段がいくら」「厚さは」「重さは」。それだけ。
SNSの情報伝播の特徴を知悉したナイスなプロモーションだし、そこから興味を持つ人だっているわけで、最大限の販売努力をしているだけなのだが、「SNSの歪みとはそういうこと」。だって、うわー、鈍器みたいな本だー!で3万円払ってパーフィット揃える人、いないじゃん.....話題が消費されるだけなんだよね。いいねの魔力。
https://twitter.com/keisoshoboedit/status/1696353224918274271?s=20
偶然じゃねえだろ.....(イラッ)
"偶然というべきか、五人はみんな大都市郊外「中の上」クラスの家庭の子供たちだった。両親はいわゆる団塊の世代で、父親は専門職に就いているか、あるいは一流企業に勤めていた。子供の教育には出費を惜しまない。家庭も少なくとも表面的には平穏で、離婚した両親はいなかったし、母親はおおむね家にいた。学校はいわゆる受験校だったから、成績のレベルも総じて高い。生活環境についていえば、彼ら五人の間には相違点よりは共通点の方がずっと多かった。"
村上春樹. 色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 (Japanese Edition) (pp.8-9). Kindle 版.
村上春樹ってこんなだったっけ.....。放課後をいちいち「アフタースクール」って言ったり、語り手が勝手に「偶然」かどうかを判定したり(しかもその判定が間違ってる)。
村上春樹の小説、ラグビー選手が目の前のチームメイトに「檄を飛ばし」てるんだけど、これって誤用じゃなかったっけ......。
まあ、江國香織も「すべからく」を「すべての」という意味で使ってたし、大塚英志も同じことしてたし、そんなふうに間違った使い方をしてる言葉なんて自分にもむちゃくちゃたくさんあるけれど。
『色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年』。まだ3%くらいしか読んでないのだが、読んでいてイライラが止まらない。
私のホルモン切れがあるのでいつもより怒りが増してしまってるのは村上のせいではないが、「放課後」と言えばいいだけのところを「アフタースクール」といちいち言ったり、「中の上」クラスの5人の高校生がカソリック教会の子ども支援ボランティアで「偶然」一緒になったと何でも「偶然」を強調したり。てか「偶然」とかそうじゃないとかなんで語り手がいちいち介入してくるのか謎だし、そんなもん社会階層とかでだいたい説明つくだろ。
ちなみに語り手がここで「中の上」という5人の出身階層は「名古屋大学経済学部教授」とか「名古屋市内で産婦人科医を経営」とかである。私はこれを「中の上」と言ってしまう語り手の出身階層、「色」が気になってしまい、「無色」に作品を楽しめない。
そしてこんな出自の子どもらが、ボランティア先の教会にピアノを提供するため、みんなで夏休みにバイトして、募金して、新聞にも掲載されるのである。「立ちんぼ」にウェットタオルを配りにいく医者のたまごらと同じようなシチュエーションがよく描けていると言えば言えるが、なんなんだ、これは。
語り手の視点がキモすぎて全然頭に入ってこない。2人いる女性の登場人物のうち一人の描写が「かわいいかわいくないジャッジ」と「おっぱい」でしか見てないの、無理すぎない???
"クロは容貌についていえば、十人並みよりはいくらか上というところだ。でも表情が生き生きとして、愛嬌があった。大柄で全体にふっくらとして、十六歳のときから既にしっかり胸が大きかった。"
村上春樹. 色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 (Japanese Edition) (p.12). Kindle 版.
登場人物がその人物を「おっぱいでかいな」と見ているのであれば「ああ、こいつはそういうふうに女性を見るやつなのか」という性格描写という意味合いを持つが、語り手が読者に「当時からおっぱいおっきいんすよ」「美人じゃないけどフツーよりかはそこそこかわいい」とか、それを一番に、そればっかり伝えてくるってどうなのよ......。
語り手=春樹(ここではあえてイコールとさせてもらう)が一文一文にいちいち顔を出してくるのが相当にキツイ。
村上春樹『色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年』を読んでいて思うのは、語り手は「ランク」で物を見てるんだなあってこと。「中の上」とか「十人並みよりはくらか上」なルックスだとか.....。
そこにイライラと同時に、なぜか「心地よさ」も感じてしまうのが村上の作品の「味」なのだと思う。そこでは物事が完璧に調和を保っていた。あるべきものがあるべき場所に収まり、それはそのまま続いていくだけだ。もちろんそれがそうあるのは「偶然」でしかない。何かが何かと混じり合うことがない世界。混じり合うものと混じり合うものしか混じり合わない世界に「心地よさ」も感じる。それがまたすっげえ気持ち悪い。
村上春樹、主要五人の登場人物、「中の上」で偶然出会ったっていうけれど、名古屋大学経済学部教授、名古屋市内の産婦人科医経営、税理士事務所経営とかで、これを私は「中の上」だとはとても思えない......。「上の"中の上”」だったらわかるのだが......。
そして登場人物クロの描写がひどい。おっぱいでかい、美人じゃないけどフツーよかは多少いい、頭は悪くないけれど数字が数学がからっきしダメ!って......。こいつ、本当にただの「老害」じゃないか.....。
ちょっとまて。村上春樹ってこれだけがこんなにひどいの??? 読んだ人いたら「ひどくないやつ」と「ひどいやつ」、どっちがどうとか教えて。心構えして、読む。
これらに対し多崎つくるは「これとって特徴がない」と言われるのだが、その説明が成績も「中の上」とかで、村上春樹、ほんと美醜所得成績。とにかくすべてにおいてメリトクラシー大好きだし「中の上」好きだな。
ちなみに多崎つくる、特徴がなにもないらしいのだけど、「あえて言うなら」(本当にそう書いてある。てかあえて言うならてなんやねん)「母方の叔母がベテラン女優」。ちなみに五人の中で家が一番裕福です。他の四人の家は、名古屋大学経済学部教授、名古屋市内の独立産婦人科医、名古屋市内の税理士事務所です。ついてけねー。
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読んだことないわけじゃないんですよ。初期のものはだいたい読んだと思う。ピンボールとか風の歌とか。ノルウェイの森はなぜか5回くらい読んでるはず。内容は今、1ミリも思い出せないが。特に嫌いでもないです。
海辺のカフカが学生時代に話題になった気がするけど「まあ、もういいかなー」でそこらへんからはスルーって感じ。
でも、初期のものって表紙のイメージもあったのかもしれないけれど、もっとこう「洋物」な感覚なかった? それこそシティポップスみがあった気が。ちょっと描写の仕方もされてる対象も存外ドメスティックであることに結構驚いてる。
あと、先日実家に帰ったとき、『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』だっけ。あったので、読んでみっかーって冒頭見たら、ずっとエレベーターの、しょーーーーもない描写が続いていて、そこで本を置いた。
まあおそらくは文体を楽しむ作家なんだろうけれど(そしてその点は「楽しめて」るんだけど)、だったら内容が気にならない程度には気を使っていただけたらとても助かるのに、それを、そうしないのは、結局この人、文体の作家【ではない】からなんでしょうね。
あまりにもひどいんで気になったけど、2013年、東日本大震災以降でこれか......。
"つくる自身は服装にあまりこだわる方ではないが、着こなしの上手な女性を見るのは昔から好きだった。美しい音楽を鑑賞するのと同じように。"
村上春樹. 色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 (Japanese Edition) (p.19). Kindle 版.
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「どうかと思う」が「どこまで」を指しているかわからないけれど、ぼくは別に「いまいちおもしろくない」とか「それはまあ、問題もないわけではない」とかだったら「まあまあ」となるくらいには「甘い」のだけれど、これ、このまま行くと「確かに百田尚樹をなぜ村上春樹の正当な劣化版として位置付けないのか」って話に納得しそうになる。そういう「どうかと思う」に少なくとも「多崎つくる」はなってしまってる。これが他の作品でもそうだとなるとキツいな....。
自分が昔読んだときは「そんなでもない」と感じたから、自分が変化したのか世の中が変わったのか。あるいは「作家の変質」がとても気になってきた。
父親は不動産会社経営。東京にも物件を持っていて、そのうちの一つに住んでる大学生だよ? はったおしたろか....。てかみんなこういうの笑いながら読んでるの?
"「おうちはお金持ちなんですね?」「さあどうだろう。うちが金持ちなのか、それとも金持ちじゃないのか、正直なところ僕にはさっぱりわからない。経理担当者と弁護士と税理士と投資コンサルタントを一堂に集めないと、父親本人にだって実態はよくわからないんじゃないかな。でも今のところはまあ困窮してはいないみたいだ。だからこうしてここに住んでいられる。ありがたいことに」"
村上春樹. 色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 (Japanese Edition) (p.56). Kindle 版.
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文体も「そんなに」いいんだろうか。個人的には嫌いじゃないし、正直に言うと好き、というか「心地が良い」。でも、なんかここらへんも読んでて「本当か?」となってきてしまったのは「心地よい」成分の多くは文体なのではなく、単に「都合よく自分のトラウマを読者や聞き手の女性にケアして聞いてもらっているから」とか「ある種のナショナルヒストリーや共同体の経験とベタに重ね合わされてるから」きてると気づいてしまった。
村上春樹
なんかものすごく優秀なカウンセラー(決して美人だというわけではない。頬骨は少し出ているし、鼻は薄く尖っていた。でもそれが自分には気に入った)に借りを一切感じずに話を聞いてもらって、その前、もしくはその後に、自分にちょうどフィットした相手、つまり「他者のいない」「めんどくさくない他者だけがいる」セックスをさせてもらえることの快楽なんだよな。
村上春樹
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村上春樹の「ひどくないやつ」と「ひどいやつ」教えてって言ったらみんな「どれもひどい」って答えるのある意味すごいな.....。
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私は村上春樹、否定的に言及してるけど実は嫌いじゃないんだよね。心理的にも身体的にも「心地いい」が詰まってて、読んでいると「癒される」。気持ちがいいのよ。つっかかりもなく、するっと読める。腹にたまらないのだけれど舌は喜ぶ。まるで汚い部分、臭い部分、思ったんと違う部分だけすべてウォッシュしたセックスみたい。
そして、これが自然にすっと、共同体の願望と接続したりする。社会がいつの間にか洗い流されてる。だから怖い。
ただ、これを「気持ちいい」と言うの、恥ずかしいんだよ。責任もめんどくささもない、ただご奉仕されてるだけのセックスを「よい」と言ってるような恥ずかしさがある。しかもそれを文学的だと偽装できるおまけつき。
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私は村上春樹、「とても(心地)よい」【だから】怖いし、「好き嫌い」だけで語らされたらダメなんだよ、みたいな感じです。単なる好き嫌いのフリをしてしれっと「日本人」の一番ダメなぶぶんを浸透させてくる。
自分は何者にもなれなかったし、何も成さなかった。生きている間に特記すべきこともなかった。死ねばあっという間に忘れ去られる。何も残らない。そんな人生に、とても、とても満足している。
ある種の話題について、意見は、求められればもちろんある。のだが、「それを」「今」「ここで」言うことが「どのように」言説資源として利用されるか、のほうが気になってしまう。いちいちすべてのことに意見を言わなくてもいいのんと違うか。どっちなんだ?と聞くとき、答えの内容じゃなくて「どっち」かで分断するための質問だってあるのだから。
「性的な惹かれ」ってこれ何の訳なんだろ。なんか言葉の感覚なのかもしれないし、自分の解像度の低さかもしれないんだけど、すんごいピンときにくくなってる。
正しいとか正しくないとか以前に、みんなそんな簡単に答え出して、すぐに他方を「何もわかってない」とまで言い切れるのすげえな。割と専門的に学習したとかならわかるけど......。
少しでも重なるところがあれば仲間になれる「和集合」たちと、少しでも重ならないところがあれば仲間ではいられない「積集合」たちがいたら、「数が正義で言ってる内容、言論は実はぶっちゃけ二の次」のプラットフォームで「ゲーム」を続けたら、どういうことになるか、わかる?
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中立や日和見する気はなくて、自分も「どっち」とか考えあるけれど、それを常に言わないといけないプラットフォームの仕組みのほうが「なんとかしたい」わ。
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マストドン・ポモドーロ部、むちゃくちゃポモってる......。森は1ポモドーロしかしてないけど、他の人らは追いつけないくらいやってます。まあ、そんなのもあるので、体験してみたい方はお気軽に🦣🍅部におこしください。Focus to doっていうアプリをインストールしてください。
ジャニーズ問題。「知らなかった」が仮に言えたとしても「考えてなかった」よね。ファンは。若い少年メインでそれを「消費」するスタイル、他の事務所も逆らえないくらい巨大な権力持ってるところで「ない」わけがなくない? 「考えなかった」わけでしょ。
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だから最初っから「踏み絵」なんでしょ。「ペド含みません」つったら「矛盾してる!」「だったら同じ理屈でトランス(ほか何でもいい)だって認めるべきじゃないじゃん」って言う。「含みます」って言ったら「聞きましたかあ?みなさん!」ってやる。
相手がハメ技繰り出してきてるのに、素直にそこに乗ってくれる賢いリベラルさんのおかげで、今日もアンチはメシが美味いんじゃないすかね。
賢くて倫理的で差別を許さないリベラルさんには、こんなことナンボ言うても理解しないだろうけれど.....。
「向こうが設定した議題」にのせられるし、乗らないと乗るようにどこまでも挑発される、のハメ技でしょ。
だから「ペドはQにも含まれない」とか言いたくなるんだろうけれど、それはそれで「クィア」の意味を掘り崩されるからね。そんな話に乗りたくない。
目の前に出されたその時々の問題に、その時に乗ることが倫理的で誠実な振る舞いだという前提を疑いもせず、それに乗っかっちゃってる人がSNSでは多すぎる。
本当に大事なことならもうちょっと落ち着いたときに、落ち着いた状態できちんと考え、可能な限り誤解のないコンテキストでそれを伝えるってできませんかね。したほうが絶対いいと思うんだけど。
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テストステロン注射したら、明らかに情緒が落ち着いた。世界全体に「しっかり味が戻ってくる」感じ。世界がこちらをイリテイトしてこない感じっていうか、頭のもやみたいなのが何枚も晴れる感じというか......。
いろんな呼称や用語法が、どっからか入ってきて、それで何か既に「真実である」かのように語られて、それを輸入するだけで「思考してる」みたいな扱いになるのめちゃくちゃ気持ち悪い。
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てか、こうなること、ジャニーズ事務所内でわかってたんじゃないかなあ......。ジャニタレ、みんな解散だ、独立だしてたもんね。
原理的、理論的には「そう」だとしても、日本、児童どころか成人の性的権利すらろくに守られてないし、環境型セクハラに対する理解も薄いし、そこらへんを分けて考えられる素養が一般的にまったく欠けてるのに、横文字の「概念」だけ、向こうからあれこれ引っ張ってきてもな。
そもそも近代社会の原則が「他者に危害を加えないかぎり何してもいい」と「子どもは保護の対象なので別扱い」。で、この「他者に危害を加えないかぎり」って相当切り分け難しい話で。それこそどっちにも議論の蓄積が無茶苦茶あるのだけれど、インターネットのSNSって場所では、そんなに賢そうにはそこまで見えない人たちが、全員自分が正しくて当然! そうじゃない連中は「頭おかしい」(本当にこういう言い方する)って態度なわけでしょ。なんだよそれと。
欲望を「道徳的に正しい欲望」と「そうでない欲望」に切り分ける権力に従うのって、かなり怖いことだからね。他方でこれだけ性的加害についての理解も薄けりゃ制度もザルのニッポンだから.....。「理論的にはそうなのだが、現実問題逆に悪用される」可能性すらあるわけで。
なんかもっと日本が、たとえば電車の中吊り広告でエロ出したりしないとか、そういうのきちんとやってて、やれてて、それなら権利とか言ってもわかるし、安心して話せるんですけど。
「性的惹かれ」、受動態でいいのか?ってのも確かに気になったんだけど、まずは何の訳語なんだろうと。仕方なく最適とされる訳語なのだろうけど、元の語が自分は思い浮かばないんです。ACEでめっちゃ使われてた表現ですよね? どなたか原語ご存知の方いらっしゃったら。
私の解像度が低いだけの可能性も非常に高いのだけど、用語法が多すぎて、新しい言葉が増えすぎて、もう正直「何を言ってるのかわからない」になってきてるんですよね。
なんかみんな本読んでそう言う言葉を覚えてるわけ?それともネットで拾ってきたの? 前からあった? なんかすんごい怖いんだよね。
この国では、多くの主に女性が、男からの性的まなざしを受けててうんざりしてるなんてものじゃないし、そのことを指摘しにくいし、しても理解せず、身の危険を感じるだけだし、つい先日も来日したDJが衆人環視の中胸揉まれたのに「そんな服装するから悪い!」とか言ってるので.....。理屈では擁護すべきだとしても、現実では「別に自分たちそういう趣味なだけだし!」ってわざわざ言われても到底受け入れ難い人が多数いるのは「そりゃそうだ」となるって....。
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ペドフィリアを公言してる人よりも、実際に子どもと接点のある職業にある、世間的には「まとも」と思われてる人のほうが、私は一人の娘の親として怖いです。
というか、そういう話題投下されたときが盛り上がるってだけなんだよね。で、イーロン・マスクが助かるってだけ。なんかもうSNSでのそういうのに完全にしらけちゃったんだよね。
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自分バカでアップデート遅れてるから、性的惹かれ(sexual attraction)と性的興奮(sexual arousal)が違うって言われても正直全然わかんないんだよな。
なんていうか、もうわし、ついてけないんだけど……。いや、主張とかではなく、用語法に。https://x.com/blwyellowwillow/status/1696858882734497953?s=46
何かで性的に興奮するからと言って、誰かに性的に惹かれるわけではないし、その逆も成り立つから、概念上分けて細かく考える、そのために必要なのはわかるけど、【なぜ】そこまで細かく分けるべきなのか全然わかってないな。
ACE読めって話なんだろうけど、最近高くて本買う気が……。みなさんも読んでないでしょ。この国の大人は本買うお金なんてないはず。
結局、本当に正しいことが何かを考えたいというより、対立に興奮してるだけなんじゃないかという気がする。