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Your majesty, beloved, well-self-censored account is here! It's a time to say Goodbye to all Stupid residents of this Normative Society. It must be nice to disappear to live a life of my own.
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チャーリーに謝るベン。でも、そのベンにはっきりと許さないと言えるチャーリー。ベンも単純に悪いやつではないし、その背景には「自分のセクシュアリティを親が認めてくれない」という不幸があるのだが(その不幸に対してまだ子どもであるベンには何も責任がない)、でも「悪いことは悪い」「反省したのは進歩」「許す必要はまったくない」「ベンに未来がないわけではない」をきちんと提示してて、なんていうか。すぐ割と相対化しがちな日本の文化土壌から見るととにかく安心してられる感じ。
ニックがかわいすぎて、ネリーが最高すぎて、ほんわかと見てしまいがちなハートストッパーだが、実は結構引っかかりがある。ニックの父親のフランスルーツとか。父親はフランスで一人で生活してるフランス人なんだけど(だからニックはフランス語が堪能)子どもに対して全く興味関心がない。そのことを非難され「悪かった」というんだけど、ここなんかも「フランス人なのに家族はイギリスとかそら一人フランスにいたくもなるわなあ」と四国に嫁いできた自分は共感してしまった。そういう背景はきちんと描きながらも「本当に悪いと思うなら言葉じゃなく行動で示せよ」「努力するんだな」と息子にハッキリ言わせるところとか。一方的に理由のない悪人のように描くことはないけれども、でも、悪は悪なのできちんと正義が主張されるべきだ、がゆるがない。
ベンに対してチャーリーが、最初にキスしたときに、ぼくに何も許可をとらなかった、自分も君が好きだったからそれを許してしまった、それを君は「本当に好きだった」と言うけど全然違う、それは愛するってことじゃないって言うんだよね。それも当たり前だとしてもすごいなと思うんだけれども、でも、エルもタオに思わず許可なくキスしてしまってるでしょう? それでもその直後に「ごめんなさい」と謝ってる。そういう描写の重ね合わせがなされてる
ハートストッパー、なんだかんだ言っても話が恋愛ばっかだし、みんなでダーシーにカンパして服を買ってあげるところとか「結構当たり前みたいにやってるけど、お金ない子おったらどないすんねん」みたいなところあったりして、なんていうか実はそのノリがすべて肯定できるわけではない。そんな中、ある意味恋愛でおめでたいだけのドラマに、きちんと作品内でツッコミを入れているキャラクターがアイザックであり、ベンであり(誰もが親が理解あるわけではない)、イモジンであり、ニックの父親であり、ニックの兄(このお兄さんはなんでこんなに最低な行動を延々するんだろうか?それはなぜ?考えてしまう)なんだよな。
ハートストッパー。全体的にLGBTQ+の描写も素晴らしいのはもちろんなのだけど、アサーションの表現が上手い。相手の話もきちんと聞くけれど、自分を堂々と主張する。ただし、相手の存在を否定しきるわけじゃない。「もう君には二度と会いたくない」までは全然言っていいことだし、それで相手が「傷つく」かもしれないが「傷つけてる」にはならないんだよね。
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ほんこれ。「男性が変わる」だけは「気合いで変われ」と「マッチョな主体性」を求められるんだよな。それで社会が変わるならそれでもいいけれどマチズモの再生産になりかねない。
“何もジェンダーの話に限った事ではありませんが、リベラルも保守も、この弱者男性問題に関して、どちらも現状認識が間違っているし、従って考案される解決策も何の役にも立たない、という状況に陥っています。
リベラル側の問題点としては、①生まれつきの男女差を病的なものと見做してしまう(例えば、有害な男性性)、②ジェンダー以外の問題では、何か問題が起こると社会構造を批判するのに、ことジェンダーになると個人批判に回ってしまう(例えば、黒人同士の殺人事件が多いことに関しては、黒人を取り巻く社会経済的な環境を問題視するのに、殺人犯に男性が多いことに関しては、男性性が悪い、となる)、③平均における先天的な違い、という科学を無視する、”
弱者男性が救われる日は…多分来ない|畠山勝太/サルタック @ShotaHatakeyama #note https://note.com/shota_hatakeyama/n/n0ce13f6c297b
まともなリベラルとかフェミなんかたくさんあって、それこそ「構造から考える」はきちんとなされてるとは思うんだけど。
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なんで男性は暑いのにスーツなんて着るのか、そのせいで強エアコンで女性は寒さを強いられてるって結構よく言われるんだけど、その当の女性自身が年齢や各種TPOで不自由な服装を強いられてたりする。なぜか男性となると「なんとかしろや」と言われてしまう=社会規範のいうことなんか聞いてないでマッチョに逆らっていけと要求されやすい、
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弱者男性でありながら有害な男性性を発揮しないようにどうすればいいかに対してたとえば日本の男性論論者は次のように言ってしまう。
「誰をも殺さず、自分をも殺さず、現在と未来の誰のためにもならない無益で無駄な仕事を、死が訪れるその日まで、ひたすらに続けること。それこそが本当の意味での人生の「無駄」であり、ラディカルな忍耐であり、鬱々としたつまらないこの生に最後まで準ずることである。弱者男性としての尊厳をもって......」(男がつらい! 杉田俊介p.137)
これが「どんだけ辛くても耐えつづけろ」という単なるマチズモでしかないわけで。それができなくなるとすぐ反転して闇堕ちしてるのも目に見えてるし。