このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
Your majesty, beloved, well-self-censored account is here! It's a time to say Goodbye to all Stupid residents of this Normative Society. It must be nice to disappear to live a life of my own.
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
FeedLandっていうRSSサービス試してみてる。これ、ちょっとおもしろいのでみんなにもやってもらいたい。簡単に言うと「自分が登録しているフィードを他人に見せることができる」サービス。もちろん自分のフィーダーとして使ってもいいんだけど。
ぼくもご多分に漏れず地方移住系やゆるい働き方みたいな本は、時代の空気もあったし、結構読んだけど、だいたいどれも同じような話ばっかりだし、もう空気が変わっちゃってて、今読んでも得られることなんてほとんどない。当時「あと3年後にパンデミックきますよ」って自分に教えてあげたい。
コロナですべてが変わっていった。自分も私設の図書館を運営していたけれど、もう開けたくないと思うようになった。だって、マスクも消毒もしない人間が勝手に「見物」で入ってくるんだよ? 地方ってそういうことにも理解がないから、ほんと「一度見ておくか」みたいなただの散歩コースとして消費される。こちらがやってみたいこととは全然違うことだし、リスクにしかならないので、コロナを機に「無期限休館」にしてしまった。
その図書館で置いておくべきなんじゃないかと思って買っていたのが紙の本だったのだけど、まあ、ほんと誰も読まない(笑)。呪術廻戦や鬼滅の刃、SPY×FAMILYやドラえもんまでですね。借りられるのは。それでもそんなもんを置いておいたらラーメン屋みたいになるし、冊数が半端ないから…..。
今、読んだ本は気になった箇所をMacのメモアプリでメモして、あとで必要なものはScrapboxにつっこんでる。このフローをやろうとするとどうしても電子書籍のほうが紙より圧倒的にやりやすくなってしまうし、なによりもう歳とりすぎて本の整理ができなくなっているため、これ以上、紙の本を買うのはイコール「本を読む時間をなくす」ことに直結する。
ウニベルシタス叢書とかはどうしても紙でしか読めないので、ニコラス・ルーマン『社会の社会』なんかは紙で買って置いてあるけれど(上下巻合わせて2000ページほどの鈍器)、基本はすべて電子になってしまうしかない。子どもが手に取りやすいように…..とも思っていたが、今の子ども、本よりもスマホのほうがとっつきやすいし「操作方法わかる」ので。絵本をスワイプしようとする幼児の話があるくらいだから。
こんなこと言うと誰とも友達になれなくなるが、元から誰とも友達になれてないしそんな欲もないので言ってしまうと、同世代の書いた本ってほとんどが退屈。別に書いてあることがつまらないとか、その人に才能がないとかそういうことじゃなくて、そもそも「同じ時代を生きてきた中年として自分とさして変わらないこと考えてる」著者が多いので、驚きが少ないというか。同年代ターゲットにしたマーケティング商品としか感じないことも。人文系の研究書などはこの限りではない「はず」だが、それも昨今の日本じゃ、正直「研究者のレベル落ちてないか??」と感じることが残念ながら多く……個々の研究者の能力のせいというより、予算がついてないとかそんな感じ。
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
今!!話題の!!本!!って出版社はみんなやってるけど、いかに出版社がただの情報資本主義(それも古いやつ)でしかないかわかる。奴らは本を作らないと生きていけないので仕方なく作っていることが大半。だってそうでしょ。「今月つくりたい本特にないから休むか」とかにはならないしなれないわけで。だから無駄な本ばっか出てるし、だから古典でも読んでたほうがよっぽど財産になるっていう。それこそそんなことショーペンハウエルが昔っから言ってることではあるけれど。
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
出版社が悪いというよりは、現在は変化のスピードが速すぎる。そのくせ今の日本は余裕がなさすぎる。だから「今、ここで、すぐ、使える」話をしてしまいがちなのだが、そんなのは数年経つと陳腐化してしまう。もちろんもっと普遍的な内容に触れた普遍的なコンテンツにすればいいのだが「だったら古典を読めばいい」になりがち。人類は既に出版物を出しすぎた。
日本にはXがない。日本はYの点で何周も遅れてる。そういう話をやたら聞くが、それらを総合するとわかるのは「日本、ほとんどだいたい終わってる、追いついてない、無理ゲー」ってことだった。
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
SNSって総じて「おもしろい投稿ほどあんまり報酬もらえない」ところがある。
自分は少し抽象的な話に「ほほう」となるタイプなので、それがおもしろいと思って投稿することあるけれど、たいていそういうことは反応もらえない。
でも、そこに「維新」とか「自民」とか「家父長制」とか入れると多分反応がアップする。具体的な事件や事実に言及すればなおよし。
でもなあ。そういう具体性ばかりに即時的に反応すること自体に、自分は問題を感じているんだよ。だから、そんなことに問題とか一切感じてないらしい「サヨク」だの「リベラル」だの見ると、イラッとする。
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
昔作ったまんが。「負けるな!移住くん!」。原作:森哲平。作画:いらすとや 構成:鼻くそちゃん
単にミクロな防犯上の心掛けの話と、マクロな社会的正義判定の話とが違う話ってだけでは。ここでもう何年も止まってる人いるけど、わざと混乱したフリしてるだけなのでは?と思わざるをえないというか。自転車盗まれたくなければ鍵をかけるけど、盗まれたとして悪いのは盗んだやつでしょ。もちろん説明のために自転車の窃盗と言ってるだけで、現実問題、性被害はそれとは比べ物にならない深刻な話なわけで。https://fedibird.com/@sakanadayone/110903708644665729
いや、だからそうやって過激なことを言ったり、アイデンティティや主張を簒奪することで、必死で注目を浴びてアテンション稼ぐって戦略なわけでしょ。いちいちみんなで拾ってどうすんの。
もう完全に興味なくしてるんだよね。SNS上で「言論」だとか、シェアしていいねしてどうだこうだとか。量的なコミュニケーションでしょ、結局。そうなると一番過激なこと言って、それでも折れなかった人間、しかも匿名だからなんとでもなる人間が無敵に決まってるわけで。それを「批判」してるつもりが、そのアカウントへのアテンションを与え、ひいては知名度アップ、収益アップにしかつながってないので。そういうのって言論じゃないじゃないですか。
まだフォロワー100人そこらのアカウントをみんなで拾ってものすごい勢いで広めちゃうわけでしょ。抵抗や批判だと思って。向こうはハメ技で、ほっておけばいくらでも過激なことを主張するし、相手したら「待ってました!!」なんだから。
「数」や「量」としてのインターネットに完全に興味なくしてる。
なんか特定のテーマや活動、プロジェクトを各種ツール、たとえばScrapbox使ったり、Discord使ったり、コミュニティとしてのマストドンで、複数人とコラボしていくような。そういうイメージで言論空間作れないかとか考えてる。
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
完全に星新一『肩の上の秘書』の世界だろ。今後人間が書いたものを人間は読まない。AIが読み要約したものを人間が読む。人間は読んだ感想をAIに書かせる。文章を書くのも読むのもAIになっていくことで、人類のアテンションという有限性を突破しようとする。
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
SNS上での「言論」の「ルール」が、元から結局、反リベラルやアンチフェミニズムに圧倒的に有利なんだよね。言論の妥当性でそもそも戦ってないから。数をどちらがたくさん動員できるかでしかないから。過激なことを言ったほうが報酬がたくさん得られるから。で、我々はそれでもそんなところで、言論で戦ってるつもりにさえなれればそういった連中の収益に貢献してもいいってのか?自己満足じゃん。
反差別なんかも単なるコミュニケーションツールになってるのが、自分はずっと違和感持ってる。正しいことを言うことが常に正しいとは限らないどころか、因果的には誰か(マイノリティ)を殺してる可能性すらある。そういうことすら考えたことないんじゃないか。
結局コピーライターとしてめっちゃ優秀なわけでしょ。そんなアカウント名つけるだけでこんなリベラルが話題にしてくれてさ。
いつでも誰にでも言い返すのが必ず正しいことだと考えてる間違ったバカが、いつも拾って拡散してくれるおかげでアテンションもインプレッションもゴチでーす!ってことでしょ。