キャンプ用の椅子とちいさいテーブルとあったかいもの入れた水筒持って青空読書会に行きたいみたいな気持ちあるわね
キャンプ用の椅子とちいさいテーブルとあったかいもの入れた水筒持って青空読書会に行きたいみたいな気持ちあるわね
小説の描写のみで容姿を想像して普段二次創作としてイラストなどを描いて投稿しているキャラクターの姿を造形した立体物 ってなんらかの著作権に引っかかったりするのかな
でもグッズなどの立体物二次創作がなぜ厳しめに見られるのかと言うとモロに公式と競合してしまうからで、たとえばフィギュアを乱造してそのキャラクターの名前をつけてめっちゃ売るとかだったらちょっとアレかもだけど誰かに依頼して自分用に作ってもらったのを写真に撮るなどは全然見逃されそうだな デザインにそもそも著作権がないし
同性愛を肯定する文脈で「趣味嗜好の話ではない」という風な切り返しがあり、それは「同性愛は遊びで自由に行き来できる軽いもの」という悪口へのカウンターだからそういう風に言いたいのもわかるんだけど、私としては趣味嗜好への感情自体が自由に選べて気軽でやめても平気なもの、という意識がないから、恋愛感情(異性愛同性愛全性愛等含む)も趣味嗜好感情も一概に言えないだけで似ているものではないのかな、と感じている
人によって強弱があり、人生の比率が違い、あったりなかったりして、自由にコントロールできたりできなかったりするもの、という
インターネットは誇大言語が蔓延りがちだから、それへのカウンターとして「一概に言えないだろ」ばかりになってしまう
同性愛感情にも人によって波があり強弱があり流れがあるけど、それの如何によって不当な扱いを受けることはあってはならない、ということを僕はおもいます
無料でできる経験って一度くらいやっときたい気持ちがあるんだけど、献血って永遠にできないのかもの気持ちが湧いてくる
一子相伝の技っていうけど、それを披露する機会はあり、披露したのを見たまったくの他人が真似して練習してそこから流行った亜種の技があったりするのかな
最近よく触手に絡まれてる酸素(無表情)が頭に浮かぶ 描いてお焚き上げしないと帰ってくれないのか?触手
触手系自体は好きだが酸素に絡んでほしいという強い欲求は多分なく、ただ頭に浮かんじゃったから離れないんだろうなと思ってる
俺がどうにか穏便に最低限伝わるように書いた手紙も、社会のことを何もわかっていない判断能力の低い末っ子が知らないところで暴走している、みたいに思われたのかなあ、とか考えてる
人並みがどれくらいかわからないけど、人生を自分でやってくくらいには考えていると思う 判断してると思う けどずっと俺には判断能力があんまりないと思われるのかな、という怖さが後を追ってくる
私が自分で考えて納得の行く選択をする人間だと血縁者に信用されている、と感じたこと一度もないかも 常にナメられてる気がする
俺の人生に血縁者の許しは何もいらないし、許可取りを迫られてもいない、俺が勝手に怖がってるだけだけど
俺がこうしたいと思ってそれを実行する行い以上に素晴らしいものはないので、他の誰が「そんなのダサいよ」と言っても嘘っぱちで聞く必要はないと理ではわかっている 劣等感?のようなものがあるだけなんだよな
いやでもなあ イベントや本の主催をして公正証書作って家立てて社会活動参加(予定)ってまあまああんまり他人がしないことをしているな 気にしすぎないほうがいいな
俺みたいなつまんない奴でも色々あるんだから、人の人生のことをあんまり軽率にジャッジしないほうがいいんだろうな
他人の人生のことって知らんなあ〜他人ってあんまり私みたいにべらべら自分のこと放出しないがちなので 他人もいろんなこと考えてるのかな
冷蔵庫にサラダチキンバーを置いておくと起き抜けに生理痛で死んでいてもまあまあ水分と塩気のあるものを齧って薬飲めるから便利だぞ
どの店にもあるのかわからんけど、元バイト先は災害時には店の商品を近隣住民に役立てるよう定期的に朝会とかで確認してたから、そういうのって偉いよな〜と思う たしかにでかめのドラストで飲み物やらインスタント食品やら薬やらあるから役立ちそうではある
ベテランのパートの人が二人いて、非常時にあの人たちすごくちゃきちゃき働きそうだなと思った 店の常連ともよく話してるから安心感ありそう
これはだよな〜〜〜と思った 公助に期待できない以上困難にある人たちが大人しく待ってられるわけない
外からの支援というのも、そのなりふり構わない外からの支援がなければ更に困難になった人がいただろうとも思うし 一概に全部迷惑をかけているとは思えない
私の故郷、おそらく本土まで結構距離があるから建設されてないだけで、真っ先に原発が設置されるような土地だと思う 田舎で多分力もなくて人がいなくて海があって
故郷には複雑な正負いろいろな感情があり悲喜こもごもだが、それでも人がいなくてちょうどいいから原発建てさせろって言われたらムカつくと思う
専門家という存在、たしかに経験や知識があるので言っていることの妥当性が上がりやすく一般の人より信頼を置きやすい特性があるが、信じているものやイデオロギーによって偏りを生じさせることは全然起き得るので、専門性だけで判断しない方がいい、というのがある
わかりやすい例を言うとコロナは嘘って言う元医者とか普通に居たので、専門性をもって陰謀論やそれに近いもの、大政の翼賛をする人間はいる
「本当の医者じゃない」とかいう話でもなく、本当の医者でもコロナは嘘とかガンは食事で治せるとか性別で脳の作りが違うとか全然言うんすよ
だから誰も信じるなという話でもないけど、たとえば専門家の話を信じようとするとき、ある一方の意見だけを妥当だと思ってしまうのは自分の中の偏りのせいではないかとか、そういう視点も必要だと思うのよね
”専門家”が世に蔓延っていて、専門家は各々自分たちの立場からの意見を言うので、それを全部信じると当然どこかに齟齬が生じる その生じた齟齬をこそ見ておくべきなのかもしれませんね(作文)
新しく住むところ、自治体の活動に参加したいなという気持ちがある 災害のことを考えると自分で見ておきたい……
「我々に迷惑をかけず適度に合わせてくれる宗教者なら許す」みたいなんめっちゃ流れとる~~~~最悪 死んでくれ
「ウィットに富んだ言い訳をしながら牛丼を食べるヒンドゥー教信者」みたいな話好きよね~~~ホント ケチで傲慢で優しくないね
普段食ってるもん食いたいのがそんなに変か?日本国籍者の被災者だって毎食乾パンと冷や飯と干し肉じゃあ嫌でしょ 安心したいだろ
たとえ食事内容で避難できてないとしても、それを外野が馬鹿にする必要ないのにやれ本当の危機じゃないとか選り好みとかブツクサ……帰れ…………