自分のサーバーに届いていない投稿あるな...
@hidetakasuzuki
天空を行く一人一人 57億の孤独......!!
インターネット、こういうことなんですよ
@hidetakasuzuki 鉄骨渡り、まじで素晴しいので是非
再読したくなってきた
『バトラー入門』p.229 で "emergent coalition" を「とりあえずの連帯」と訳しているけど、「創発的な連帯」なんじゃないのかな。文脈的にも、最初からアイデンティティの同一性によって統合された連帯と対比された、アイデンティティを根拠とせず「連帯の集まりの形態や意味はその達成に先立っては知りえない」ような連帯のことだから、emergent は創発のことを言っているとおもう。
"emergent coalition" で検索したらこの論文がでてきた。これはバトラーが言っているのとたぶんおなじような組織化のことを言っているとおもうけど、「創発的連帯」としている。
脱国民化された対抗的公共圏の基盤
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsr/60/1/60_1_124/_article/-char/ja/
『バトラー入門』のクィアポリティクスの箇所を読んで、やっぱり最近の運動について考えていて、やめたほうがいいなとおもったのは、たとえば「左派」というアイデンティティだなと。「左派」という語はそれ自体内包を持たないけど、パフォーマティブに「左派でないもの」をつくりだしてそれを排除することによってのみ「左派」という集団的なアイデンティティを作り出す。これはバトラー入門で語られているクィアポリティクスとちょうど逆だとおもう。
自分が最近の流れで強い拒否感があったのはこれだったんだなと理解できた。
『バトラー入門』読みおわった、めちゃくちゃよかったです。
自分は自身のジェンダーについて疑問に感じたことがなく、そういったアイデンティティへの疑問のなさはマジョリティの意識そのものなんだけど、この本は自身のマジョリティ性を揺さぶるものがあった。自分のマジョリティ性にもまた疑問をつきつけられる。この本で藤高さんがバトラーの戦略として取り出そうとしているのは、そういうものなんだとおもう。
「わたしはシスでヘテロで日本人です」と自身を呼んでしまえば、そのことがまさに自身をトラブルから遠ざけ、安定した構造のなかに配置してしまう、いやマジョリティとはまさにそうして安心を得るものなんだ
バトラーがジェンダーとセックスの非連続性を主張するのは、バトラー自身がジェンダーのトラブルにみまわれたからだろうし、人をトラブルに巻き込むものでもあるんだろう
だいぶジェンダー・トラブル読んでみようという気になったけどたぶん挫折する
藤高さんの『バトラー入門』が最初から最後までめちゃくちゃおもしろかった勢いで『ジェンダー・トラブル』を読みはじめたけど、文章めんどくせぇ
藤高さんの『バトラー入門』は、現在の言説的・政治的な状況への洞察を与えるもので、バトラーに入門するつもりがない人が読んでもおもしろいと思います
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小池百合子を「名誉男性」だとする文章を左翼学者が書いてるけど、まじで悪質だと思う。何がなんでも小池を「女性」のカテゴリーから排除したがるの、差別そのものだし、女性からの投票が多かったという事実に鑑みても、その投票した女性たちも「名誉男性」化する。こいつが市民連合で野党に口出ししてるの悪夢だと思う。
「真の女性」と「偽の女性」がいるという論、分断・差別でなくてなんなのか
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明治26年にいまの著作権法の前身にあたる「版権法」というものが公布されるのだけど、時期的に浮世絵の衰退と関係がありそうな気がしないでもないな。
新ヶ江章友さんの「クィア・アクティビズム はじめて学ぶ〈クィア・スタディーズ〉のために」も読んだけどたいへん勉強になりました(すぐ読めた)
ACT UP のことはナン・ゴールディンの映画にもちらっとでてきて気になっていたけど、自分も生きていて同時代に起きたことなのに何も知らなかった
明治に輸入しようとしていた洋装も、ジェンダー差がかなりはっきりしたもので、男性は装飾を排した黒の上下、女性は華やいだ色とスカートのようなものなわけで、浮世絵みたいに男女の交換が可能な表現をしてしまう世界と合わないとおもうのだよな(浮世絵が男女交換可能な表現なのは歌舞伎に女形あるからと言えるけど)。
熊襲征伐の図、芳年武者无類より
https://dl.ndl.go.jp/pid/1302752
これお話としては女装した小碓皇子(のちのヤマトタケル)が女装して熊襲タケルを殺そうとするところなんだけど、西南戦争の謂でもあったりするんだろうか。西南戦争であろうとなかろうと、女装的要素がちょっと飲み込めないんだけど。
やべーの出てきたな
200万くらい行くんじゃないか
【真作】月岡芳年 「藤原保昌 月下弄笛図」明治十六年 三枚続 浮世絵 木版画 アンティーク YOSHITOSHI https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/o1144881485
これ朝日の退職者かな。発言主はツイッターに「発言は個人の見解です」と書いてあるけど、会社の意向で謝罪しているのはあきらかで、個人の云々は意味がない言及だとわかるな。ほんとうに個人の見解でやるんだったら謝罪などする必要ない。
https://x.com/ttakechan/status/1813179656029499711
アサシンクリードの件、日本で黒人奴隷が買われていたかはよくしらないのだけど、「日本は西洋人が奴隷化しようとしたから秀吉に追放された、奴隷制は西洋にしかなかった」って沸いてるのがめちゃくちゃ多いけど、いや倭寇っつーのがあるしそもそも朝鮮出兵でも20万から30万単位でかどわかしで連行していてですね、とか言ってもまじで無駄なんだろうな
朝鮮出兵でかどわかし(誘拐)やってたのは、奴隷として人身売買するためがほとんどで、なかには有田焼とかの技術を伝えた李参平とかいてこの人は大事にされているっぽいけど、まあたぶん例外ですよね
倭寇とか中学校でやったとおもうけどな。ヨーロッパ人がやってたのとおなじく、奴隷貿易商ですよね。
ヨーロッパの宣教師が日本人を奴隷として連れだしていたという話も、ようするに日本で奴隷市場があったのを購入していったという話で(ヨーロッパ人によるかどわかしによる日本人の奴隷化ではない)、これに比べれば暴力で拉致やってた売り飛ばした秀吉とか倭寇とかはどうなんだ。当時の日本で奴隷制は自明だったんだけど、悲しいことにフツーの日本人は理解しないんだろうと最近思うようになってしまった。
「奴隷制はヨーロッパにだけあった!」みたいなご都合主義理解、フツーの日本人による太平洋戦争理解と並行するもので、強制連行はなかったとか従軍慰安婦は捏造とかそういうやつとおなじ。今回のを見て心底ウンザリしてしまった。 いやウンザリしている場合ではないのかもしれない。
こういうどうしようもない記事が悪いんだな...。
https://toyokeizai.net/articles/-/411584
だいたいここにある話だけでも、なんでポルトガル商人が奴隷を買ったのかって奴隷市場が確立していたからでしょ。国内の奴隷はよくて海外に売られるとダメとか、すぐれて日本的な解釈である。
まあ案の定というか「アサクリ問題は第二の慰安婦問題!」て騒いでいるのがいた。
この文章を読んで、「まるで白人は黒人奴隷に反対してたけど、日本人は喜んで使ってたみたいな話」を読みとって、「白人が自分の罪意識を日本人に押し付けようとしている」まで読みとってしまう人たちの想像力が豊かすぎてすごい。
https://x.com/nekonomical/status/1813185735895490717
ふつうに、
* イエズス会は奴隷貿易に反対していた
* ポルトガル商人は奴隷商売をしていた
* 日本人はポルトガル商人から奴隷を買っていた
以外読みとることができない。イエズス会とポルトガル商人との対立関係はただの史実だし。トーマス・ロックリーの本が全体として信用できるかは不明だけど、この想像力豊かな人たちよりはぜんぜん信用してよいだろうと確信できる。
日本にヨーロッパのような公論がおきないのは、江戸時代に形成された検閲システムが明治期に引き継いで発展させ、太平洋戦争時にはそれが肥大化したけど、ほとんどそのせいじゃないかなという気がする。検閲こそが批判を封じる。
戦後に、健全な批判的言論環境が形成されたかというと、ぜんぜんそんなことない。制度的な問題もあるし、ならい性みたいなとこある。
江戸期には、同業団体(仲間)による事前検閲があり、幕府のほうはといえば、事後的な出版差し止めが可能であることと、仲間は連帯責任をとらされた。これは自主検閲を促進したし分散的な言論統制だったけど、明治期以降は徐々に検閲制度そのものが中央集権的になっていき、太平洋戦争までには全面的な中央集権的検閲が可能になっている。
明治から太平洋戦争にかけて、国民の権利は徐々に抑制されていく歴史だったけど、戦後になったらそれに変わって徐々に権利を拡大する・獲得するというイメージを持てるものだろうか
記事差止命令は、事前制約をいっそう厳しく通告する一連の同系統の通達にと発展して行き(おそらく一九二〇〔大正九〕年頃までに)、これによって内務省は、ある種の話題に関する報道や書籍を印刷しないよう、発行者に勧告することができた。一九二〇年代の後半までには、かかる内密の注意が受けられて発禁を避け売るような、内務省御贔屓の出版社に数えられることは、一種の名誉と見なされるにいたっていた。国家総動員法が一九三八(昭和一三)年四月に公布されて、こういう法規外の慣習は、ついに法令の位置に格上げされ、それによって大衆に伝わる戦争情報は、すべて朗報に限られることが確実になったのである。
『風俗壊乱』ジェイ・ルービン
蓮舫が個人を標的とした誹謗中傷を訴訟するのはべつに言論弾圧と関係なくないかね。左翼だって安倍を誹謗中傷してたじゃないかというのは、それはそれで訴訟すればいいし(当人がいないけど)。安倍への誹謗中傷が許されるのであれば蓮舫への中傷も許されるべきだということにするのがおかしいので、誹謗中傷を止める手段として法をもちだすのはなにもおかしくない。
SNSのファンネルみたいな現象がやばいので、それに対する牽制としていまのところ訴訟しかないわけだし。
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