いま仮に twitter がなくなったらネトウヨたちはどこに行くことになるんだろう
ていうかトランプがやってるっぽい TruthSocial はどうなってるんだ
いま仮に twitter がなくなったらネトウヨたちはどこに行くことになるんだろう
ていうかトランプがやってるっぽい TruthSocial はどうなってるんだ
これは重要な話だとおもいました
https://forbesjapan.com/articles/detail/63809
アメリカ国旗を燃やすのは free speech だけどレインボーフラッグを燃やすのはヘイトクライムだって、何故?みたいなのを見て、当たり前だろなにいってんだとおもったけど、説明しろっていわれるとよくわからないな。
まあそもそも燃やすなって話なのと、「旗を燃やす」っていう行為だけ取り出して、その形式的な類似性だけで、よく並べることができるねとおもうけど。
常識的に考えたら、レインボーフラッグを燃やすという行為は「当事者に向けた侮辱」以外の意味がみつからないとおもうんだけど、それが「それなら、国旗を燃やすのもヘイトクライムでは?もしくは、レインボーフラッグを燃やすのも free speech では?」ということを言う人達は、それが屁理屈だとはおもわないんだろうな。
This account is not set to public on notestock.
This account is not set to public on notestock.
This account is not set to public on notestock.
This account is not set to public on notestock.
フランスにみる「植民地忘却」––『<新>植民地論』を手がかりに––
平野千果子
https://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/k-rsc/lcs/kiyou/19-1/RitsIILCS_19.1pp.29-36Hirano.pdf
これはあとで読むか
ある言論や作品が後に重要になるかどうかは、そののちに形成される文脈次第で、その文脈のなかで意味が読解される(当たり前だけど)。ある作家が忘れられるのも当然おなじ仕組み。良い作品であったり面白い言論で、いま不当に評価が低いから将来は評価があがるだろうと思ってしまうのは、作品や言論がなんら党派性なく評価可能だという思い込みからくるものだとおもう。
ある作品を、積極的に評価・称揚したい場合に、批評家などが取るべき戦略は、その作品が適切に配置されているように見える文脈を形成すること、以外にはないとおもう。
This account is not set to public on notestock.
思ったよりムチャクチャなこと言ってた
https://www.youtube.com/watch?v=v_s8bnd7WpI
「歴史の発展法則に基づいて人間が主体となって世界が作られると考える実存主義を構造主義は解体する役割を果たした」って、これはかなりひどい
SNSもGoogleも情報流通のプラットフォームだとおもうけど、人間を介在して情報を伝達するぶん怒りを媒介にすることに危うさがあり、どうしたらマシなプラットフォームになるんだろうか
テレビとか噂とかもそうなんだけど
This account is not set to public on notestock.
一行空け問題、自分はスライドでの発表があるときにかなり意識していて、論理的にわざわざ飛躍するようにしている
それはメディアの特性がはっきりあって、スライドというのは非連続な情報のつらなりだと気付いたからそうするようになった
This account is not set to public on notestock.
This account is not set to public on notestock.
最近の人文書に一行空けが多用されているかは知らないのだけど、そうだとしたらスライド的な思考・方法が文章のほうに適用されているのでは?という気がしなくもない
スライド作るときの論理的な飛躍の数々は、星座みたいなもんだとおもっており、実際に空間的位置がぜんぜん違うのになんとなく形に見える「星座」はいいメタファーだとおもう(ベンヤミンです)
星座みたいなテキストって隙だらけであって、そういう隙も重要な要素だとおもう
突っ込まれビリティみたいなのはテキストを構成する重要な要素で、テキストが隙だらけであることによってしか間テクスト的にならない気はする
これは文章というものについての省察が足りないのではという気がする
https://x.com/matsuda1993/status/1802663597291765933
カントとか読んでもバラバラなものを構築的に見せるために、部材間の繋がりがキレイに見えるようにしている(それがカントの建築術だっていったら本人は怒るだろうけど)
そもそも、アイデアというものは統合的に発展するわけではなく、バラバラに断章として発展する。それを統合するとき、どうやっても繋がりがたいものはあり、そこはさまざまなごまかしのテクニックがある。そういうのが章の分割だったり段落だったり、つまり非連続性の切れ目を入れるのはそういうところで、読むときにもそういう切れ目には注意しながら読むようにしている
This account is not set to public on notestock.
スマホ購入に際してマイナンバーカードによる認証をというのは、マイナンバーカードの使い道としては妥当には見えるんだけど、義務化はありえない。高木氏の見解を読みたいが、まだ高木氏も鈴木正朝氏もこの件についての発言がない。
つーかいままでも免許証とか保険証とか出させてたのも、基本的には重要事項伝達のための住所確認のはずだからな。それ考えるとマイナンバーカードの認証による確認はたしか住所取ろうと思えば取れるけど、それを目的としたものではないはずで、おかしなことをやっている気がする。
よく考えたら、自分のこのsimも契約の際に顔写真による本人確認みたいなものあったけど、あれ意味わからないな。顔写真と免許証の組み合わせで本人確認するやつ。「本人」を確認する必要ある?申請のあった住所にぅ郵送物を配布して返却があればOKじゃないの?
顔写真と免許証の組み合わせは免許証が窃盗されたものでないかどうかの確認として必要。本人確認という文脈ではなく、免許証の住所の真正性を確かめるための手段。
マイナンバーカードの利用義務化はやっぱりかなり変だな。
契約時の本人確認について |一般社団法人 電気通信事業者協会(TCA)
https://www.tca.or.jp/mobile/confirmation.html
> 「携帯電話不正利用防止法」とは、どのような法律ですか?
>
> 携帯電話等の契約・譲渡時の本人確認を義務付けることを柱とするもので、振り込め詐欺などの犯罪に携帯電話等が悪用されるのを防ぐことを狙いとしています。
この文脈を理解していなかったので、オンラインのみでマイナンバーカードの読取の義務化というのはおかしくないというか、やむを得ない気はする
https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/joho_tsusin/d_syohi/050526_1.html
オフラインは別にマイナンバー必須というわけではないし