安野たかひろさんのマニフェスト、そうだろうなとはおもっていたけど、政治というにはどこを見ているかがけっこう偏っているな
https://docs.google.com/presentation/d/1kE_W3NpvIODglaN1OrKKxmq-rNMu69Vnh7M9hhSpFwU/edit?usp=sharing
安野たかひろさんのマニフェスト、そうだろうなとはおもっていたけど、政治というにはどこを見ているかがけっこう偏っているな
https://docs.google.com/presentation/d/1kE_W3NpvIODglaN1OrKKxmq-rNMu69Vnh7M9hhSpFwU/edit?usp=sharing
自分が特に厳しいなと思うのは、経済格差の問題についてなにも言及・政策がないことで、これを肯定的に受けとるのはIT企業勤務とかまあ高級サラリーマン層で、そのへんへの目配せがないという時点で、政治としては駄目だとおもう。その層のなかからでてくる多様性なんてたかがしれている。ブレーンとしている分にはすごく優秀だとおもう。
ブロードリスニングという語は、問題提起のしかたとしてはおもしろいと思うんだけど、10年以上前に東浩紀がニコニコ動画に現代の民主主義の技術的基盤の更新を見ようとしていたところからあまり変化がないとおもう。あのとき東浩紀は政権交代・政権運営を、テクノロジーをつかった「声」の可視化によって可能になると本気で考えていたとおもうけど、いまはたぶんそう考えていないんじゃないだろうか。
自分は、このへんは、「声」をあつめてレポーティングするという方向を一切信用していなくて、ひとつひとつの具体的な「声」に向き合うほうが意味があるとおもっている。それが世論と違っていてもどうでもいい。
「近世の遊廓と客」は、著者が遊廓に通う客の気持ちが一切わからねぇというところから研究を出発した論考で、いままでの江戸期資料の読解が、「書き手および読み手が男性客である」ということを忘れた読解にもとづいているということを明かにしたというだけでも画期的な論考だとおもった
https://www.yoshikawa-k.co.jp/book/b548025.html
「男性客にとって都合のいい遊女」という像が、出版物などを通じて構築されるんだけど、それもまるっと読みおとされて「遊女の規範」みたいなものが直接的に語られてきた、というなかなかびっくりする状況であったと。
色道みたいなものが江戸期に確立するけど、これも男女の関係というより、男性同士のかなりホモソーシャルな世界があったから成立していたように思える。
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ナウシカがアメリカで公開されたときのポスターらしい。名前も「ナウシカ」から「ザンドラ姫」に変えられたりけっこう編集されたとか。
このガイコツ剣士とか誰?
http://www.impawards.com/1985/warriors_of_the_wind.html
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