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招待作家が招待された枠のなかでスポンサーに抗議活動をするのは矛盾している、みたいな人がおおいのけっこうびっくりするけど、清志郎についてはどういうんだ
西洋美術館での抗議行動、倫理的うんぬんというより、「歴史を逆撫でする」かんじがいいよね!とおもっていて、おれも歴史を逆撫でしてぇ〜ってなる
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アメリカ美術批評が根深く排除してきたのが、まさにこの手の演劇性な気はする。
https://activehistory.ca/blog/2015/06/29/the-die-in/
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むしろTwitter住民はオルタナティブスペースを重視していないからじゃないですかね。
Twitter使っているのにTwitter批判するんだwwみたいな嘲笑たくさんあるし、バリエーションに「日本批判するなら日本から出ていけ」があり、こういうのを解消するための手段としてオルタナティブスペースは模索されているようにおもうけど、この嘲笑をする人たちは、オルタナティブスペースには関心がない(Fediverse に関心がないし)。
東浩紀がオルタナティブスペースをつくっているのめちゃくちゃ重要な活動だとおもうけど、「批判するならオルタナティブスペースで!」はただの絶望でしかない。マスメディアで批判の回路を回復させる行動があったほうが確実にいいし、今回の抗議活動はまさにそういう行動になっている。
オルタナティブスペース志向が2010年代後半くらいからあるとして(Fediverseもその運動の一種だと見做す)、それがある種の自閉性をもってしまうことの弊害は、最近 Fediverse でも感じることではある
新しい村とか民芸運動とか民衆版画運動とかちょっと気になっているんだけど、まさにこういうオルタナティブスペース志向からでてきたものとおもわれ、その限界を知っておく必要は感じる。
公開だったから共有してしまおう。
https://www.facebook.com/hisa.matissage/posts/pfbid02S4UC1h5oYCDv1d8QBi51ZNtZC2UcGiKNJ47UtzgBQpwd7meTXkMzN1AQGZ9yCVzDl
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会社の雑談で、浮世絵はいいぞ、なんせ買って楽しめるのがいいってしばらく前に話して、ひさしぶりにその人と話したら浮世絵を買ってた
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「一部条件下でのみ動かない」みたいなバグの原因がわかったけど、原因がわかってみると逆にどうして普段動いているのかわからない
西洋美術館の抗議、スポンサーからお金もらってスポンサー批判するのは矛盾してるじゃないか、みたいなのがけっこういる。矛盾してるとも思わないけど、むしろ、そんなにクリーンに生きたいのか?って思うな。生きてることのほうが無茶苦茶なのにな。
うしろぐらいことなんて無数にあるけど、だから「批判するのはおかしい」とか、批判にはどんな人格が必要なんだ。
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