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これって実数がわからないという話ですよね。2x2=4, 3x6=18はそれぞれ2が2つ、3が6つある、といえるけど、10x0.3は「10が0.3ある」という概念がわからない、という疑問はわかる。0.3倍するという言い換えで納得したのはわからなかったけど...。
https://on1000mark.club/2023/10/02/411/
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10x0.3が体感で3.3333になり、倍概念が身体に浸透しているなら、なぜ10x0.3に疑問をもったのかがわからない。
森毅の『魔術から数学へ』がめちゃくちゃおもしろかった記憶があるので、温泉マークさんは読むと気持ちよくなれるとおもいます(家にはこの本が見当らないけど、たぶんこれだったはず)
https://amzn.asia/d/dpvsSDf
「10を0.3回加えるって説明だと意味わかんないじゃないですか」から「ある数を指定した他の数だけ倍にする」で納得してしまうの、まじで意味がわからないな。説明されるべき項目を使って説明してるようにしか見えないけど...。「n倍とはなにかがわからない」という疑問に「n倍することですね、納得しました」みたいな。
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@on1000mark これって、2倍や3倍はわかる(=脳内で自然なイメージに変換できる)が、0.3倍はわからない(イメージ変換できない)ってことじゃないんですか?だとすると、「かける」とか「倍する」とか言い回しの問題なのではなくて、問題は2や3と0.3の違いにあるのでは??
まず「最初に『かけざん』が発明されたときの発想」と、「最初の発想を “自然な範囲” で拡張していって定着した『現代のかけざん』」は、同じ系譜の元ネタと進化形で別物であるとして区別する必要がある。
多分根本的にはここの区別が甘いのではなかろうか
@on1000mark そうなると、温マさんにとって「わかる」とは何か聞きたくなりますね。前半のカント話は、つまり 2x2 という式を具象的なイメージに変換できるかどうかが「わかる」かどうかのキーになっているとおもいます。 x0.3 が「わからない」のは、式のイメージ変換できない=わからない、を意味しているのでは?
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「2倍3倍はわかるが、0.3倍はわからない」は正当な疑問だとおもっており、というのは「0.3、あるいはある数を0.3倍した数は、数えることができるのか」という問いに対する回答はそんなに簡単じゃないとおもうためです。
そもそもマイナス1とか0.5とか言いはじめた時点で既に <https://mastodon.cardina1.red/@lo48576/111165897287848950> なんだよな。
「数の元ネタとなる発想は『個数』だった」を受け入れるとして、だからといって「現代における『数』が個数と完全に同じ概念である」とはもういえない。
「個数として問題なく使えるが、個数以外にも使える」という “拡張” を施されてしまっており、だから数をいつでも個数であると思ってはいけない
森毅が、ギリシャ数学においては自然数しかなかったのが、デカルトが数直線なる魔法を発明したことによって、その直線上の任意の地点を「実数」として扱うようになったのが近代の始まりだと言っていて、それがすごくおもしろかった。3.3333...なんて古代ギリシャにそんな概念はなかった。
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これは、近代になってそのような世界理解の図式ができあがったという話で、それがまさに数直線のイメージ。アキレスが亀においつけないというパラドックスは、直線の無限分割を禁じるためのものだと言える(直線の無限分割を受けいれてしまうとアキレスが亀においつけなくなる)。