『罪と罰』でポルフィーリイがラスコーリニコフに対して「あなたがやったんですよ」という台詞が、告白という文学的な制度にたいするアンチとして成立していたんだということに、いまさら気付いた。
「閉じた内面」というものがあって、それが他者から見えていないから、文学における「告白」という仕組みは成立しているんだけど、『罪と罰』がラスコーリニコフの「私がやりました」という告白を物語の焦点としながら、いきなり他人から「あなたがやったんですよ」と、自分しか知らないはずのことを告げられる。内面はなにも隠れていなくて、外部に露出してしまうと、告白になんの意味もなくなる。