このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
出生時に身体で性別を決定すること自体が「当たり前」と思われているが文化的に構築されたイデオロギーであり、権力作用の発生源なわけですよね。
そしてこのことと、医学的な知見や身体の条件性を否定することは違う。
つまり二つは両立するのだけれど、後者を否定しているように見えてしまう。前者を否定してるのに後者を否定してるように見えてしまうこと自体が、前者のイデオロギーが「成功」し、権力作用が働いてるからなんだけど。
書物と映画がそれぞれページとウィンドウというメタファーとしてコンピュータのデザインに取り込まれているというマノヴィッチの話、ページはサーバー側にその区切りの根拠があってユーザー側で変更効かないけどウィンドウはそうではないとか、そんなことを考えた。
そういえばJavaScriptにもdocumentとwindowがあるのだった。
ウィンドウのなかには情報が埋まっているわけではないけど、ページのなかには情報が埋めこまれている
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
村上浩康の その一本に魅せられて 第四回「エルミタージュ幻想」|土田有紀恵(おっとり工房)
https://note.com/tsuchinoko/n/nb7d18a1b25b4